「ここで終わらせてやる」
転移先の魔法陣は神殿から少しばかり離れた位置に描かれていた。
転移が完了し、目を開ける。山の中だ。周囲は鬱蒼とした木々に囲まれている。足下に視線を落とすと、草をむしり取り踏み固められた地面が目に映った。そこに、駐屯地で踏み締めた陣と同じ陣が描かれている。
「ようやく来たか」
転移先に待機していたクレムス駐屯地の軍人が三人に歩み寄る。
「おまえたちは、また厄介なことを運んできてくれたよな」
「そう言いながらも、なんか生き生きとしてるじゃないですか?」
「してねぇ」
ウィルの減らず口に、待機していた軍人が肩をすくめた。
「時間がないんだろ? さっさと行くぞ」
一行は神殿へと向かい歩き出した。
転移陣が描かれていたのは神殿の対面の崖の上だ。神殿の入口の近くに魔方陣を設けなかったのは、人の目を警戒してのことだろう。
神殿が近いというのに、亜人の姿は見えなかった。合流した軍人に、そのことを問うと彼はこう答えた。
「亜人はほとんど始末しておいた。出歩いているのも、それほどいないはずだ」
ソルジェンテの遺跡に巣食っていた亜人と違い、神殿の亜人は手強い。ひとりで複数相手にさえしなければ倒すことは可能だが、しかし数日のうちにそのほとんどを殺してしまったとは信じがたい。これがクレムス駐屯地の底力ということか。
――まったく、恐れ入る。
神殿前の川に合流する沢を進む。草と木々で視界は効かないが、まだ太陽は高い。昼間に好戦的な魔物は少ない。
「それよりも、駐屯地の人間じゃない奴らがうろついている。そっちに気をつけろ」
「中央の連中だな」
彼の言う通り、警戒するは魔物よりも軍人だ。隠れる脳があるだけ、亜人よりも数倍厄介といえるだろう。
「見掛けた軍人は捕まえるか始末しているが、まだどこかに隠れているかもしれない」
不意に葉が擦れる音と、空気を裂く鋭い音が耳に届いた。反射的に身を屈めると、次の瞬間木の幹に矢が突き刺さる。
「敵襲だ!」
案内役の軍人が短く叫び、鞘から剣を抜き放つ。他の三人も彼に倣い剣を抜こうとするが、制止の声が掛かる。
「この沢を下れば、神殿前の川の上流に出る。おまえたちは先に行け!」
三人側に制止する隙はなかった。声を掛けようと口を開いた時には、彼はすでに飛び出していた。
「あいつが引きつけている間に行くぞ!」
三人は足下に注意しながら、先を急いだ。
石の多い川に下り立つ。相変わらず足場は悪いが、三人は岩や石を蹴って進んだ。
リサは岩の上を跳びながら、剣の柄を握った。前方――下流から、軍服姿の人間が抜き身の剣を手に向かってきた。数は十だ。周囲にいたクレムス駐屯地の人間を合わせても、こちらが数で劣る。
ウィルが先頭にいた男に斬り掛かった。だが、一撃目は難なく相手に防がれ、背後に跳んで距離をあけた。
ウィルが間合いを取った直後、リサは大きな岩から跳び下り様に、その軍人に剣を振り下ろした。敵はまたしても剣で斬撃を受けとめようとするが、力負けして手から剣を取りこぼした。肩口から腹部にかけて刃が滑る。
リサとウィルは背を合わせた。剣を構え直す。
「特務隊の人間か?」
「さぁな。見覚えはない」
二人を囲った中央の兵が、じりじりと間合いを詰める。しかし、大きな岩の死角から、クレムス駐屯地の兵が躍り出た。中央の兵が気を取られた隙に、リサとウィルは地面を蹴る。
迎え討つように二人の兵が前へ出た。
左側の兵が予備動作で剣を引く。右の兵は二撃目を放つために速度を緩め、突きの構えをとる。
リサは剣を左下段に構え、躍り出たひとり目の袈裟切りを弾いた。
金属同士が激しくぶつかり合い、甲高い音が響く。
袈裟切りを横の下段から弾かれ、対峙した兵が体勢を崩した。その腹部に蹴りを入れ、背後へと突き飛ばす。
男が信じられないと目を見開いた。突きの構えをしていた兵の剣が、突き飛ばされた男を貫いたのだ。さらに、リサは間合いを詰め、偶然にも仲間を突き刺した男を斬り捨てる。
間髪入れずに、新たな兵が斬り掛かる。水平に薙がれた斬撃を屈んでかわし、腕と剣帯をつかんで投げる。
男が宙で綺麗に一転し、ごつごつとした地面に激しく背を打ちつけた。相手が息を詰まらせた瞬間に、鳩尾に剣を突き立てた。
彼女の周りに敵はいなくなった。背後を振り返ると、ウィルが最後の生き残りを相手にしていたが、駆けつける間もなく絶命させた。
二人が相手にしなかった兵は、ジュードたちが倒したようだ。
三人はうなずき合い、神殿へと侵入した。
ジュードが神殿内で見張りをしている者同僚に声を掛ける。
「何かあやしい動きはあったか?」
「いや。なさすぎて心配になるくらいだ。リガス教の人間は一向に現れねぇよ」
誰ひとりとして姿を見せないということは、やはり閉ざされた扉の奥に転移陣があるのだろう。仮にそうならば、彼らには扉から出てくる必要性はない。
足音を殺して下層に繋がる階段を下りる。階段で張り込んでいた男の肩に手を置くが、彼はゆっくりとかぶりを振って見せただけだ。
「うんともすんともいわない」
内部の様子が判らないのは不愉快だが、扉の前で作業するには好都合だ。
不気味に光る魔法陣が施された扉の前に移動する。ジュードが手にしていた荷物を置き、手紙に書かれていた説明通りに作業を開始する。
「――ところでさ」
おもむろにウィルが口を開いた。
「これいつ送られてきたんだ?」
「ディオンは覚えているだろ? 俺が出向していた日だ。だから、四週間くらい前だな」
リサは思い出した。態々、中央から戻ったジュードは駐屯地にやってきた。その時に、サインを頼まれていた。その時の荷物だったのだろう。
「神殿調査の時にはあったってことか?」
「そうだ」
肯定すると、ウィルはこれ見よがしに長い溜息をついた。
「だったら、神殿調査の時に言ってくださいよ。そしたら、こんな面倒なことにはならなかったってのに」
不可抗力だ。大体、神殿調査に赴いたからこそ、この扉の存在が明らかになったのだ。この装置の存在を知っていたところで、持ってくることなどかっただろう。
「面倒なのは認めるが、どうしようもないだろう」
そうこう言っているうちに、扉に浮かびあがっていた魔法陣の光が消えた。
リサとウィルは立ち上がり、石造りの頑丈な扉に手を伸ばした。
しかし、リサは不穏な空気を読取り、伸ばした手をとめた。
反射的に装置を片していたジュードを押し倒す。彼は突如として押し倒されて、何ごとかと目を瞬いたが、伸し掛かった元部下の向こう側に亜人の姿を認めて状況を理解する。
扉が開き、何体もの亜人が押し寄せた。リサと亜人との間に、抜身の剣を手にしたウィルが立ち塞がる。
リサは素早く立ち上がり、自身も剣を抜いた。扉の前で押し寄せる亜人を食いとめていたウィルの加勢に入る。
相棒が水平に薙いだ刹那、リサがウィルの横をすり抜けて亜人の前に躍り出る。
左下段から振り上げて武器を弾く。さらに流れるように一転し、腹部に蹴りを入れた。体勢を崩した亜人の首に、間合いを詰めたウィルが剣を突き立てた。
彼の横合いから振るわれた曲刀を絡め取り、もう一方の腕を斬りつける。斬撃により武器がこぼれ落ちたと同時に、脇腹に剣を突き刺した。
背後の敵はウィルが始末してくれた。
息の合った戦いに、駆けつけた者たちが踏み込む余地はなかった。二人の戦いは、まるで互いの視界と思考を共有しているがごとく、的確に相手を補助する。息が合うというよりも、一心同体という表現の方が的を射ている。
押し寄せた亜人は、それほど時間を掛けずに倒された。すべて、返り血を浴びたリサとウィルが撃退してしまったのだ。
二人は荒い息を整えた。
「大丈夫か……?」
「ああ……。おまえも、怪我はしていないだろう?」
「こんな奴ら相手に、後れなんて取らねぇよ」
血に濡れた剣を一閃し、鞘にしまう。最後に深呼吸すると、荒い呼吸が収まった。
広くなった空間を見渡すが、何もなかった。人の姿もない。
「まだ先があるみたいだ」
照明魔法で辺りを照らすと、厄介なことに、いくつかの通路が浮かび上がった。
「時間が惜しい。小隊を組もう」
ウィルの提案に、ジュードが顎を引いた。駆けつけた軍人たちを集め、手短に指示を出す。
小隊が編成され、それぞれの隊が先へと進んだ。
リサとウィル、そしてジュードの三人は、魔法陣で閉ざされていた扉の対面にある通路を進んだ。二人並んで歩くには充分な幅だったが、並んだまま剣を振るうには充分といえない幅だ。
上階とは違い、この階には松明がなかった。まだ亜人が徘徊しているかもしれないが、自身の指先も認識出来ぬほどの暗さでは危険だ。
一行は照明魔法を消さずに注意深く足を進める。
しばらく進むと、通路は右に折れていた。先頭を行くウィルが内側の壁に背を預け、曲がった先をのぞき込む。
距離を置かずに、再び通路が左へと曲がる。次は右だ。そして、さらに左に曲がった時だった。
ほのかに明るくなった通路に、床を蹴る音が響いた。先頭のウィルが剣の柄に手を伸ばし、刀身を引き抜いた。
リサも同様に抜剣する。曲がった先を睨み据えると、光源の向こうからマントを羽織った男の姿が目に入った。手には剣が握られている。
間合いを詰めた男が振るった剣を、ウィルが受けとめた。激しい金属音が鳴り響く。
襲い掛かった男は即座に距離をあけた。
「ウェイドか……」
「俺も覚えてるぜ。クレムスと教都で会ったよな?」
ウェイドが不敵に笑う。
「けど、残念なことにそれは偽名だ」
「今さら、そんなことはどうでもいいさ。あんたたちのくだらない計画は、ここで終わらせてやる」
「邪魔はさせない」
ウェイドが床を蹴ると同時に、ウィルも走り出した。相手が横に剣を構えたのを認め、防御すべく刀身を片手で押さえる。
ウィルがウェイドの剣を弾き返した瞬間、リサが間合いに跳び込む。右上段から袈裟切りを放つが、体勢を崩しつつも回避されてしまう。続けて一歩踏み込み、水平に一閃。さらに、突きを放つ。
しかし、それさえも避けられ、ウェイドに柄を取られてしまう。
武器に執着しては相手の思う壺だ。リサは柄から手を離し、ウェイドの腕をつかんだ。そのまま背負い投げを食らわす。
背から地面に落ちたウェイドは即座に横に転がり、リサの拘束の手から逃れようともがく。だが、拘束の手は緩まなかった。その間にウィルが近づき、一片の慈悲もなく軍刀を鳩尾に突き刺した。
断末魔の悲鳴が鼓膜を打った。
「呆気ないもんだな」
リサは落とした剣を拾い上げ、鞘に戻した。
「行くぞ」
立ち上がり、前方を見据える。ウェイドが待ち構えていたということは、儀式まで時間が残されていないということだ。