「おまえたちの味方だ」
変人研究者に魔力の再注入をしてもらっていなければ、脱出は出来なかっただろう。否、転移石が使用出来なければ、軍や政府を放っておくしかなかった。危険な賭けではあったが、これで彼らの真の目的が解明されたのだ。
前回クレムスを訪れてから一週間も経っていないというのに、懐かしい風景だと感じた。あの時とは、状況が変わりすぎた。今や中央は、二人を反逆者として指名手配しているだろう。
「急がないとまずいことになるぞ」
リサとウィルはクレムス駐屯地の一角に転移した。ここの軍人たちには、ジュードが話をつけているはずだ。巻き込んでしまったことには申し訳が立たないが、二人だけでどうにか出来る相手ではなかった。
「リガス教が神様とやらを召喚する前に阻止しないと、おまえがどうにかなっちまう」
ウィルも珍しくあまり余裕が感じられない表情をしていた。
「――大丈夫か?」
「心配するな。まだどうにもなっていない」
足早に歩きながら肩をすくめて見せる。しかし、冗談を言った直後唇を引き結んだ。器などという得体の知れないものになる宣告を受けたばかりなのだ。普段通りというのは、いささか難しい。
「安心しろ。おまえがどうにかなっちまった時には、俺が殺してやる」
「ああ。頼む」
守護者に憑依され、大量殺人を犯すよりは死ぬ道を選びたいものだ。だが、いくらウィルの腕が利くとはいえ、そんな簡単には殺せないだろう。器とならぬためにも、彼の身を守るためにも、リガス教には大人しくしていてもらわないとならない。
建物の入口にジュードの姿があった。彼は二人の姿を確認すると、大きく手招きする。
「余計なことは言うなよ」
「判った」
リサの口どめの言葉にウィルがうなずいた。
いたずらに懸念材料を増やすことはない。計画の阻止に失敗すれば、後はないのだから。しかし、隠す以上は普段通りに振る舞わねばと、リサは深呼吸ひとつした。
元教育係は、突如として現れた二人に驚いた様子も見せなかった。彼にはあらかじめ、転移石で脱出すると伝えていたのだ。
「無事で何よりだ」
「協力してくれるんすね?」
彼を信用していたからこそ、脱出方法を知らせた。だが、彼らは協力を拒むことも出来た。その場合、転移先にクレムス駐屯地の人間が待機して、リサとウィルを捕らえようとしたはずだ。そうなれば、さすがの二人も降参せざるを得ないが、ジュードは二人を迎えてくれた。
「当たり前だ。特務隊の連中が何を考えているかは判らないが、ここにいる全員、おまえたちの味方だ」
力強い言葉に、リサとウィルは小さく笑った。
「ありがとうございます」
ジュードも口元を緩めた。特務隊では感じることのない心地良さに、胸が温かくなる。
「それより、目的は判ったのか?」
ウィルがにやりと笑って見せる。
「もちろん」
「無茶をした甲斐はあったんだな」
「あったよ。とんでもないこと聞いた」
「みんなお待ちかねだ」
三人は司令室へと向かう。そこで、ダグラスや特務隊の計画を話すのだ。ウィルが口にした通り、とんでもないことを。
本来なら一刻も早く計画を阻止すべく動きたいのだが、協力を仰いだ以上話さないわけにはいかない。儀式は今日行われる。時間に余裕があるわけではないが、焦って突撃する方が危険だ。
三人が司令室へと入る。中には、グラントと各隊の隊長と副隊長の顔が勢揃いしていた。全員が、しかつめらしい表情でリサとウィルを見る。
「時間があまりない。手っ取り早く話せ。まず中央の連中の目的は?」
グラントが低い声で問うた。
「アスクルとアークの消滅」
「アーク?」
聞き慣れない言葉に、多くの者が目を眇めた。
「アークってのは生存圏のことだと思います。アスクルを閉じ込めておくための監獄とも言ってました。だから、アスクルが滅べば結界が消えるとも」
ウィルはあくまでもふてぶてしい態度を崩さない。少しばかり切羽詰まったような顔を見せたのは、リサの前だけだ。彼女が余計なことは言うなと口にしたからだろう。
リサ自身も普段通りの表情に徹している。とはいえ、彼女は常時険しい表情をしていて判りにくいのだが。
「結界の外では人類が生きることは出来ないのではないか?」
「いや、奴の――国家元首様のいわく、生存は可能のようです。同胞がいるとも言ってましたしね」
「カンヘルのことか?」
リサとウィルはうなずいた。
「あいつらが殺そうとしてるのは、アスクルだけじゃない。カンヘルのほとんども、見捨てるつもりですよ」
元同僚たちが歯を食い縛った。ここにいる全員が、死の宣告を受けたということになる。多くが同じカンヘルでありながら、見捨てられたのだ。
「――許せんな」
グラントが言う。鋭い瞳には、怒りの炎が宿っていた。
「だけどなぁ、そんな大量にどうやって殺すつもりなんだ?」
こんな場面でも緊張感のない声を出したのは、ケインズだった。
「えらい手間だぞ」
「神様とやらが召喚されると、レヴェリスが現界するそうです。アスクルを殲滅するために」
「世界の守護者か……」
全員が押し黙った。一足先に、リガス教の企みについては知らされていたはずだ。それさえも、にわかには信じられなかっただろうが、ダグラスと特務隊の計画はそれを上回るものだ。言葉を失うのも致し方ないことだ。
「何としても、リガス教の計画を阻止しなければならない」
やがてグラントが呟き、全員が顎を引いた。
「問題は閉ざされた扉だな」
儀式が行われるのは魔法陣で閉ざされた扉の奥だろう。あの魔方陣を解除しなければ、先には進めない。魔導石を壊すことが出来れば魔法陣を解けるのだが、それは神殿調査の際に試みて失敗に終わった。
皆が頭を抱える中、ジュードが司令室からこっそりと出て行く姿を視界の隅にとらえた。
魔法陣をどうするか議論を始めようとして、しかし慌てた様子で扉を開けた軍人に阻まれる。
「どうした?」
大慌てで姿を現した軍人に、直属の上官が問い掛けた。
「報告します! 施設居住者が暴動を起しました!」
ケインズが舌打ちをする。ついでに、この忙しい時にと悪態をついた。
「今は何とか抑え込んでいますが、すでに怪我人が多数出ています!」
「案内しろ」
ケインズは珍しくきびきびとした口調で指示を出し、部下の男と共に部屋から去って行った。
――と思ったら、再び扉が開き顔を覗かせる。
「神殿へ行くなら、ルーカスの野郎を連れて行け。あいつなら、他の連中よりも扱いやすいだろ」
それだけ言い、今度こそ暴動の現場に行ってしまった。
上官を扱うなどという表現はしたくないが、ジュードを助けとして寄越してくれるのはありがたかった。特に、共に行動するには他の者たちよりも気が楽だ。
「魔導石じゃなく、扉自体を壊すことは出来ないのか?」
「出来ません」
「じゃあ、壁はどうだ?」
「生き埋めになります」
年嵩の軍人が憤慨したように肩を怒らせる。
「おまえは否定ばかりしてないで、他のことを言ったらどうだ?」
何とも理不尽な言葉に、冷静な判断を下していた軍人が肩を落として謝罪した。二人のやり取りを見ていたグラントも、呆れたとばかりに溜息を漏らした。
沈黙が訪れたところで、不意に扉が開いた。先程部屋を出ていったジュードが、何やら箱を抱えてやってくる。
「魔法陣なら、これで解決出来るはずです」
手にした箱をローテーブルの上に置き、中身を見せた。
「これは?」
「俺の同期から送られてきたものです。魔導石の術を解除するものだと書いてありました」
リサとウィルは箱を覗き込む。中には、見たこともない装置と、ジュードに宛てたと思われる短い文章が書かれた紙が入れられていた。その手紙の最後の文字を見て、二人は目を見合わせた。
「ランセルか……」
装置を取り出そうとしていたジュードの手がとまる。
「知っているのか?」
「まぁ、少し」
あまり思い出したくはないが、彼は重要な情報を教えてくれた。まさか成り行きとはいえ、一役買ってくれるとは何たる偶然か。
「もしかして、俺のこと話しました?」
「……かもしれない」
ランセルが二人の名を聞いたことがあると言っていたのは、どうやら事実だったようだ。
「あいつ、よく変な物送って寄越すんだ。大抵使えないものなんだけどな」
「使えるのか?」
「変人ですが、優秀な人間です」
グラントの問いに、ジュードが力強くうなずいて見せた。
「それを持って、すぐに神殿へ向かえ。失敗は許さん」
司令室にいた全員が寸分違わず同時に敬礼した。
「了解」
皆が慌ただしく動き出す。リサとウィルはジュードに導かれて、神殿近くへと通じる転移陣へと向かった。
すれ違う者たちも、慌ただしく動き回っている。巻き込んでしまったことに負い目を感じながらも、リサは気が気ではなかった。司令官の言った通り、失敗は許されない。召喚を許せば、彼女たちの世界が滅ぶことになるのだ。
「――教官」
急ぎ足で転移陣へ向かう道中、声を掛けられた。
「ディオン教官!」
教官と呼ばれ、はじめは自分が呼ばれているとは気づかなかった。しかし、ディオンと名を呼ばれれば、さすがに足をとめざるを得ない。
「もう私はおまえたちの教官じゃない」
己を呼びとめた人物を振り返る。そこに立っていたのは、ローウェルだった。
彼女の前を歩いていたウィルとジュードが、少し距離を置いたところで立ちどまる。
「どうした?」
「あれから、ずっとお礼を言えていなかったので……」
彼と話したのは、実践訓練の日が最後だ。以降、教官の任を解かれてからは、顔を合わせてはいなかった。
「律儀な奴だな」
リサは小さく笑う。
「気にするな。それが私の仕事だった」
「それでも、ありがとうございました」
ローウェルが頭を下げる。これで話は終わるかと思いきや、彼は頭を上げて言葉を紡いだ。
「俺、教官に憧れていたんです。強くて、自分というものをしっかりと持っていて。男の俺よりも男らしくて、いつか隣に並べるようになりたいと思っていたんです」
突然の告白に、リサは微かに目を見開いた。何と返せば良いのか判らずに口を噤む。
「けれど、あの時、自分が教官に守られていることを実感して情けなくなった。あなたのことを守れるようになるには、まだまだ時間が掛かるけれど……、その……俺、待ってます! だから、無事に戻ってきてください!」
行き交う者たちの耳にも届いているだろうが、ありがたいことに彼らは聞こえぬふりを決め込んだ。
もう一度深々と下げられた頭を、リサは少しばかり乱暴に撫でた。そして、穏やかな声音で返す。
「私は懲戒処分を食らうような軍人だ。おまえが尊敬するようなところはひとつもない。それに、戻ってきたところで反逆者だ。おまえも無茶はするなよ」
彼女は踵を返し、ローウェルのもとを離れた。
「告白されたのか? 好きです、付き合ってくださいって」
リサを迎え入れた二人のうち片方が問う。もちろん、こんな揶揄の言葉を投げ掛けるのはウィルの方だ。
「軽薄なおまえと一緒にするな」
「じゃ、何て言われたんだよ?」
「妬いているのか?」
ジュードが揶揄の笑みを浮かべて見せる。だが、からかわれたウィルは、肩をすくめてしかつめらしい顔を取り繕う。
「俺とこいつの間に入れるような奴はいませんよ」
「大した自信だ」
決戦前だというのに、何とも緊張感に欠ける。
「けれど、告白なんて決戦前って感じだな」
確かに、そのような見解もある。その場合、今生の別れになってしまう気もするが。
「何言ってんすか。決戦になんないように行くんでしょ?」
「そうだったな」
三人は転移陣の上に立ち、クレムス駐屯地から姿を消した。




