「レヴェリスは現界する」
軍服を着こんだ男女二人組が、しかつめらしい表情で扉を開け放った。
突然の乱入者に、室内にいた者たちが大きく目を見開く。その後、ひとりの男が眉をひそめ、鬼のような形相で男と女を睨みつけた。
「何のつもりだ? 突然入ってくるなど、無礼にもほどがあるぞ。それにおまえたちは、まだ停職中のはずだ」
唸るような声に、乗り込んだ二人が同時に鼻で笑った。しかし、握られた拳には一層の力が加わる。
「おまえたちに礼を尽くす気はない」
「こんなところに、ダグラス国家元首が何でいるんだ? 悪だくみの会議の時間か?」
時計もしていないのに、ウィルがそれらしく左手首を人差し指で何度か叩いて見せる。
「悪だくみだと……?」
アドルフは嫌悪の情を隠そうとはしなかった。彼の副官であるオルディスも同様だ。そして、二人はどこか焦りを抱いているようにも感じられた。
「リガス教を利用して、何を企んでる?」
息苦しささえ感じるほどに、空気が張り詰めた。今までに味わったこともない緊張感に、心臓が早鐘を打った。
ウィルの問いに、オルディスが一歩前に出た。ダグラスの護衛も、彼を守るように前へ出る。だが、ウィルの問いに答える者はいなかった。
「もう一度聞く。あんたらは何を企んでるんだ?」
リサたちは、事件の黒幕が政府と特務隊であることに気づいていた。
最初に疑問に感じたのは、魔導石の出荷量だった。出荷量は各都市が希望を出すことになっているのだが、最終的に決定を下すのは政府の人間だ。施設の建設も然り。リガス教に力があるとはいえ、彼らだけではことをうまく運ぶことは不可能である。リガス教はカンヘルからの独立を願っていたが、知らず知らず計画を後押しされていたのだ。
「――気づいたのはいつだ?」
「その声、修道院で聞いたんだよ。オルディス」
さらに、あの夜間諜は二人いた。ひとりはリサたちが捜索していたウェイドだ。彼はナイセルと呼ばれていたが、もうひとりは先程二人に問いを投げ掛けた人物と同じ声をしていた。
亜人の捜査は特務隊が担当している。人手が足りないというのに、各駐屯地から仕事を奪い取ったのは手柄欲しさではなく、リガス教に辿りつかせぬためだろう。特務隊が関与していることは、疑いようもない。
「なるほど。クレムスの人間だけじゃなく、おまえらも来ていたのか」
オルディスは口元を歪めた。だが、その笑みに余裕は感じられない。
「不確定因子だとは思っていたが、ここまでとはな……」
アドルフの呟きに、ウィルは唇を上げる。
「まぁ、この隊が関係してるって判ってからは、納得出来ることもあった」
「神殿調査は、私たちの暗殺が目的だったんだろう?」
調査以前に、彼らは神殿の現状を知っていたはずだ。危険な任務をウィルに与えたのは、殺害が目的だった。ひとりでクレムスへ行かせれば、リサを伴うと踏んでいたのだ。
彼らの予想した通り、ウィルはリサを連れて行った。そして、その場で巨大亜人を召喚し、二人を任務失敗に見せ掛けて殺そうとした。
しかし、二人は亜人に勝ってしまった。それに加え、転移石により脱出を図ろうとした。曲刀が飛んで来たのは、亜人の仕業ではなかった。焦った暗殺者の悪あがきだろう。
「買ってくれるのはありがたいが、納得した半面判らないこともある」
「俺たちをこの隊に呼び寄せた理由と、保管庫の事件を担当にした理由だ」
特務隊に呼び寄せたのは、監視のためかもしれない。あるいは、暗殺の機会をつくり出すためか。だが、リガス教の計画に関係する保管庫の件の捜査を担当させたのは納得が出来ない。
「――ったく、アスクルの馬鹿どもが勝手に動きやがったせいだ」
オルディスが悪態をついた。修道院で盗み聞いた話で、ウェイドとオルディスの関係が良好でないことは察せられた。おそらくは、保管庫から食糧を盗み出す計画を知らされてはいなかったのだろう。
「雨まで降らせったってのに、無駄足になっちまった」
「季節外れの雨とは聞いていたが、あんたの魔法だったのか」
山のどこにあるとも知れない痕跡を消すためには、雨を降らせるのが手っ取り早い。それで、一体どれほどの魔導石を無駄遣いしたのかは不明だが。
「大した魔道士だ」
「おまえほどじゃない」
リサは眉を吊り上げて見せた。
「それで、俺らをこの隊に呼び寄せたのは?」
「……監視が目的だ」
アドルフが重たい口を開く。すると、場違いにも笑い声が響いた。
笑い声を上げたのはダグラスだ。愉快だとばかりに笑う彼に、リサとウィルは眉をひそめる。他の男たちは、戸惑いの表情を浮かべていた。
「――もう隠す必要もなかろう」
ひとしきり笑った後に、ダグラスが二人に歩み寄った。
「すべて話してやる。その後で、身の振り方を決めるがいい」
彼は続けた。
「とはいえ、レインくんには大人しくしていてもらうか、死んでもらうかの二つにひとつだが」
「妙な言い方をするな」
「ディオンはどうなるんだ?」
皺の多い顔が不気味に笑う。
「ディオンくんには『器』になってもらう」
リサとウィルは眉根を寄せた。
「『器』?」
「救世主だ」
ダグラスが鷹揚に顎を引いた。その表情は、まるで成功を確信しているがごとく余裕に満ち溢れていた。
「七百年前、ただの一度だけ守護者は現界した。守護者は守るべきものが危機に瀕した折に、カンヘルを『器』として現界する。そして圧倒的な力をもってして、守護対象を危機から救い出す」
ダグラスは続ける。
「しかし、七百年前にアスクルを滅亡の危機から救ったのは、我々カンヘルでもある。この閉鎖された世界――アークはアスクルの監獄だ。愚かなアスクルが二度と過ちを犯さぬよう、監視のために我々も閉じ込められることになった。我々が結界を解くことは出来ない」
ダグラスの口ぶりから推測するに、結界の外は言い伝えとは異なるようだ。
「結界の外では、人類は生きられないんじゃないのか?」
「生きられる。大戦から七百年も経っているのだぞ。それに、外界には我らが同胞がいる」
同胞とはカンヘルのことだろう。生存圏の外に広がっているのは、地獄ではない。
「我々の目的は、アスクルとアークの消滅だ。アスクルさえ滅亡すれば結界は解かれ、この忌まわしき監獄から脱出出来る」
大仰にも両手を広げて見せる。リガス教の神を召喚するという計画も、ずいぶんと馬鹿げた話だと思ったが、この男が話すそれはリガス教以上に滑稽だと思えた。
「大層な計画だ。けど、アスクルをどうやって滅亡させるつもりだ?」
ダグラスがリサを指差した。
「貴様に世界の守護者レヴェリスになってもらう」
「現界のための『器』か……」
リサは息を呑む。胸がざわついた。
「七百年前に、レヴェリスはこう言い残した」
――再びアスクルが過ちを犯せば、問答無用、殲滅する。
と。
「過ち?」
「リガス教が崇めるは、偽りの存在である。神など存在しない。存在しないものを、召喚するということは、世界を穢すということだ。奴らが神と呼ぶ存在を召喚した時、レヴェリスは現界する」
リサは歯軋りした。アスクルを滅ぼすための器にされるのは、ごめんだった。
「――ここに存在するのは、カンヘルとアスクルだけじゃねぇ。混血はどうするつもりだ?」
「生き残るのは、すべてを知る者だけだ。どうだ、レインくん。もう少しの間、大人しくしていてはもらえないか? もとより、きみの有能さには注目していたのだよ」
ウィルにすべてを話したのは、彼を仲間として迎えても良いと判断したからだろう。あるいは、ここで邪魔されてはかなわないからか。
「器はどうなるんだ?」
「器となった者は、名誉の死を遂げる」
ウィルが鼻先で笑った。
「なら、断わる。アスクルがどうなろうと知ったことじゃねぇ。けど、こいつがいなくなっちまったら、つまんねぇからな」
親指で隣のリサを指す。数千万の命が掛かっているとは思えないような、何の気負いもない軽い口調だった。
「死を選ぶというのか?」
「俺が死んじまったら、こいつが器になるのとめられねぇだろ」
「この状況で逃げられると思っているのか?」
今の状況は四面楚歌だ。室内にいる者たちを退けようと、ここで騒ぎを起こせば外の人間も介入してくる。逃げ切るのは不可能に近い。
「逃げられねぇよなぁ」
二人は剣の柄に手を伸ばすことはしなかった。それは賢明な判断だった。扉から、抜き身の剣を手にした軍人たちが入って来たのだ。
ウィルが溜息を漏らした。
「けどまぁ、大人しく捕まる気もねぇよ」
リサは突如として羽交い絞めにされ、目を見開いた。躊躇いなくナイフの刃を首筋に押し当てられ息を詰まらせる。
「っ!」
「何のつもりだ? おまえにその女は殺せないだろう?」
「どうだろうな? 守護者なんて得体のしれない奴に乗っ取られて殺されるくらいなら、俺がこいつを殺す。誰にも渡すつもりはない」
ナイフが宛がわれた場所から、赤い液体が流れ出した。
「残念だ。こいつが器じゃなければ、手伝うことも出来たんだけどな」
「器になるのはその女だ。カンヘルといえど、これほど魔法の才に優れた者はいない」
リサは背後に回された手を握り締めた。前のめりになりながらも、一方の空いた手で背後の男の服をつかむ。
それが合図となった。二人は握り締めていた転移石の魔力を解放した。




