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「三年前に大暴れした奴らとは違う」

 翌日の朝、訓練兵二十人と教官二人は駐屯地を出発した。

 軍服の一行は街中を抜け、西に広がる山へと向かった。


 西門から出ると、太い木々が立ち並ぶ獣道が続く。その幹の太さが、何百年という歳月を生き長らえたことを証明していた。

 足下は悪かった。木の根が縦横無尽にはり、降り積もった木の葉が敷かれている。油断すれば、湿った落ち葉に足を取られるだろう。


 どす。

 派手に尻餅をついた訓練兵がひとり。転び方と同様、派手に顔をしかめている。

 訓練生の足取りは覚束ない。

 無理もなかった。一般人が街の外に出ることは禁止されている。街の道は舗装されているため、足下の悪い地を歩くことは滅多にないのだ。


「気をつけろよー」


 一行の先頭に立つジュードが注意を促した。

 尻餅をついた訓練兵が立ち上がるのを待って、一行は再び歩き出す。


 広大な世界の中で人類が生存を許された結界の中とはいえ、街の外には魔物などの危険な生物が生息している。特に、魔力の強いこの山には凶暴な魔物が多い。無防備な状態でとどまるのは危険だ。

 結界内でも危険だと騒いでいるのだから、一切の出入りが禁じられている結界外は人類には及びもつかない世界が広がっているのだろうと、漠然と考える。


 結界が設けられたのは七百年も昔のことだ。

 七百年前、人類は過ちを犯した。カンヘルとアスクルとの戦争である。

 世界には二種類の人種が存在する。カンヘルとアスクル、総じて人類と呼ばれる存在だ。

 カンヘルとアスクルに外見的差異はない。強いてあげるのであれば、カンヘルは翠玉の瞳を持つことだ。

 しかし、その出自は大きく異なるとされている。真偽のほどは定かではないが、アスクルは神に創造され、カンヘルは絶滅の危機に瀕した竜の姿をアスクルに似せたものだとされているのだ。

 その出自故か、カンヘルは自ら魔力を生み出すことが出来て、魔法を自在に操ることを可能としていた。

 一方のアスクルは、自らの身体で魔力を生み出すことが出来なかった。その代わり、高い繁殖力により勢力を拡大したという。


 歩みを進め、しばらくすると目的地へとたどり着いた。

 今は教官という立場のリサとジュードも、何年も前にこの場で訓練に励んだ。


 ……そう思っても、感慨などというものはわかない。感慨に浸っている場合でもない。何しろ、今は訓練中だ。


 荷物を一箇所に集め、可能な限り列を整えて並ぶ。

 ジュードが声を張り上げた。


「出発前に説明した通りだ。二人一組になって魔物を狩ってもらう。標的は大きい蟹だ」


 魔物にも一応名前はあるのだが、訓練兵に教えたところで標的と認識出来るわけがない。百科事典を持ち歩いているのなら話は別だが、それにしても魔物を目の前にして百科事典を広げている姿は滑稽だ。


「いいか、あいつはでっかいはさみを持っている。腕なんてはさまれた先からなくなっちまうから、充分気をつけろよ」


 脅しすぎだ。はさまれても切断することはない。せいぜい骨折程度だ。無論、痛いことに変わりはないが、実践訓練では痛みを味わうことで学ぶこともある。


「回復は基本的に自分たちでやるんだ。あまり教官を頼りにするなよ。俺たちも近くにいるとは限らないからな。ただ、無理はするな。危険だと思ったら、すぐに連絡を寄越せ」


 ジュードの脅しに、訓練兵の表情が引き締まる。


「最後に、狩った魔物は今日の昼食だ。食いっぱぐれるのが嫌なら、本気でやれよ。以上だ」


 訓練兵たちがあらかじめ決めていたペアとなって木々の中へ姿を消した。

 リサは近くに訓練兵がいなくなったことを確認し、ジュードへと歩み寄った。


「脅しすぎではありませんか?」

「大丈夫だ。今年の連中は、いつもより厳しい教官に訓練されてるからな」


 ジュードは昨年も教官として訓練に当っていた。つまり厳しい教官というのは、リサのことを言っているのだ。


「だが、そうだな。三年前に大暴れした奴らとは違うから、少し脅しすぎたかもしれない」


 クレムスに配属された新米兵士の実践訓練で、いつも話題になることがある。ジュードが先程口にした、三年前に大暴れした連中の話だ。

 三年前もこの場で同じ訓練が行われた。二人一組になって、魔物を狩る訓練。しかし、あるペアが、協力ではなく競い始めたのだ。その軍人二人が、運が良いか悪いか、腕利きの軍人だったために、無傷のまま蟹を百匹くらい狩ってしまい、他の訓練兵の訓練にならなかったという逸話が伝えられている。


「その話は、やめてください」


 リサは唇の端を下げた。

 教官をしている彼女こそ逸話の片割れだ。若気の至りとはいえ、面白おかしく言い伝えられるのは勘弁願いたかった。

 しかし、最もこの話をされたくないのは彼女ではないだろう。


「それで、あいつだけ腹壊したんだったな」


 ジュードは愉快だとばかりに口元を緩めた。


「あいつは、馬鹿ですから」


 腹を壊した馬鹿者は、中央のエリート部隊員になった。士官学校を首席で卒業した馬鹿者は、その隊に所属するのが本来的だったのだ。


「――私たちも、そろそろ」


 訓練兵を放っておいて立ち話とは職務怠慢だ。教官として示しがつかない。


「そうだな。准尉のことだから大丈夫だと思うが、無理はするなよ」

「了解」


 二人は任務を果たすために分かれた。


 実践訓練では、基本的に教官は助けに入らない。命の危険がある場合にだけ戦闘へ介入する。教官の仕事は、訓練兵には手に余る魔物を討伐すること、もしくは追い払うことだ。

 少し頭をひねった者は、山にいくつもある沢へと向かっただろう。討伐対象は蟹なのだから。


 獣道を進み、沢へと向かう。

 途中、木々の間から蟹ではなく獣と戦う者の姿がちらりと見えた。犬のような獣だ。蟹よりも好戦的で手強い。さらに、家族単位で行動する獣だ。訓練兵には注意がいる。

 鋭い牙に噛まれれば泣くほど痛い。噛まれたことも、泣いたこともないので想像ではあるが。


 感心することに、垣間見る限りでは危なげなく戦っているが、念のために様子を見に行こうと足を進める。

 しかし、目の前に広がる窪地に視線を落とした時、獣の甲高い断末魔が耳に届いた。

 倒せたのかと一安心し、視線を戻す。

 と、木の陰になって見えないのか、あるいはさっそく次の標的を探しに行ってしまったのか、人の姿は見えなくなっていた。

 どちらにせよ、無事に戦闘を終えたのなら様子を見に行く必要もないだろう。


 リサは再び獣道を進んだ。

 足場の悪い道をしばらく進むと、鳥の鳴き声の合間に水の流れる音を聞き取った。

 歩く速度を上げる。

 ひょい、ひょい。

 凹凸を軽やかに跳び越えながら、あっという間に沢が見える位置までやってきた。


 沢まではまだ距離がある。だが、その地形上、彼女の立つ位置から一望することが出来た。

 沢の水量は多くない。沢に踏み入っても、足を取られることはないだろう。暑い季節だから、水を浴びるのも悪くはない。


 ――悪くはないが。


 リサは長い溜め息をついた。

 暑いのは認めるが、頭から水をかぶって戦う阿呆がいるだろうか。


 目下の窪地を流れる沢には四人の訓練兵の姿、二つのペアがいた。どちらも、人の腰辺りの背丈を持つ巨大な蟹と向かい合っていた。両ペア共に、二対一に持ち込み危なげなく戦っているように見えるが、片方のペアは頭から水を滴らせていた。

 汗ではない。水だ。十中八九、沢の。

 二対一に持ち込むのは正解だ。蟹相手なら安全性は格段に増す。問題なのは、戦う場所を選ばなかったことだ。


 もう一方のペアは沢の近くの岩場で戦っていたが、蟹との戦闘を終えて次の標的に小石を投げ付ける。

 蟹は好戦的ではない。こちらから仕掛けない限り、戦闘にはならない。だからこそ、戦う場所を選べるのだ。より安全な位置に。

 暑い時期に沢の水をかぶるのは気持ち良いだろうが、服が濡れて重くなれば動きが鈍くなる。何より――。


 水しぶきが背後の巨大なサンショウウオに当たった。

 サンショウウオがゆっくりと動く。水しぶきを攻撃と受け取ったようだ。

 訓練兵は目の前の蟹にばかり気を取られている。背後の魔物が、交戦体勢になったことに気づいていない。


 太い尾で一発殴られるのも、良い経験になる。

 と思ったが、リサは足下に落ちていた木の枝を拾い上げた。それをサンショウウオ目掛け、投げつける。間髪入れずに、彼女は窪地へと滑り下りた。


 小枝は魔物の頭に当たった。振り返り、駆け寄るリサを標的と定める。

 巨大サンショウウオは動きが遅い。ゆっくりとした動きで岸へと向かうが、辿りつく前にリサが岸へとやってきた。

 サンショウウオが、岸で足をとめるリサとの距離を徐々に詰める。


 あと三歩というところで、サンショウウオの上体が起き上った。女性にしては長身といえるリサよりも頭ひとつ大きい。

 このサンショウウオは、戦う時のみ二足歩行になる。後ろ足と太い尾で巨体を支え、前足で相手を攻撃するのだ。


 視界の隅で、訓練兵がこちらに目を向けているのが見えた。彼らも蟹の相手をしているというのに。


「目の前の敵から目を離すな!」


 一喝と共に足を踏み込む。帯剣した剣を抜きながら、横薙ぎの一閃を放った。

 ばしゃんと大きな水しぶきを上げて巨体が倒れた。

 サンショウウオが上体を起こすのは、戦闘のためではない。身体を大きく見せ、相手を威嚇しているのだ。

 つまり、直立直後のサンショウウオが攻撃を仕掛けることはない。相手が怯み、逃げるのを待っている。リサはその隙を的確に突いたのだ。


 抜いた曲剣を払って、鞘にしまう。

 一息ついて訓練兵に目をやると、彼らも無事に戦闘を終えたようだった。


「戦う場所を考えろ。周囲の魔物まで刺激して、囲まれるぞ」

「はい!」


 ひとりはきちんとした敬礼をするが、もう一方は唇を引き結び、必要以上に胸を張っての敬礼。教官のリサを恐れていることが、ひしひしと伝わった。

 リサはあえてフォローを入れなかった。教官は恐れられていた方が良い。それと同時に慕われるべきでもあるが、そちらはジュードの役回りだ。


 沢の上流へと向かう。

 訓練生が辿りついたかは判らないが、上流の滝壺が蟹の繁殖地だ。好戦的ではないといえ、訓練兵が踏み込むのは危険である。先程のように、周囲の魔物まで刺激するような戦い方をすれば、あっという間にこちらが餌になる。

 とはいえ、良識を持つ訓練兵なら、繁殖地まで行くことはないだろう。何しろ、集合場所から結構な距離がある。

 しかし、四年前に繁殖地まで足を踏み入れた訓練兵がいる以上、確認を怠るわけにはいかなかった。


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