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「家族みたいなものじゃないか」

 夜は魔物の時間と言っても過言ではない。多くの魔物が夜になると活発に動き出す。

 リサとウィルは軍刀を持っていなかった。持っている武器は長靴に潜ませたナイフと己の身体のみである。戦闘になれば、非常に危険だ。別れた元同僚たちにも、注意を促された。

 しかし、実際に戦闘になることはなかった。リサの照明魔法が魔物たちを遠ざけたのである。


 二人は途中で何度か休憩を取りつつ獣道を進んだ。

 目指す高原は、かつて訪れた洞窟の近くだ。リサとウィルは、洞窟から教都へと下った。地図がなくとも、通った道は覚えていた。


「――それにしても」


 東の空が明るくなったころ、やおらウィルが口を開いた。

 山に降る季節外れの雨は疾うにやんでいた。快晴とまではいかないが、雲は少ない。リサとウィルが調査のために来た時に限って降るとは、何とも間の悪い雨だ。


「神様を召喚するなんて、とんでもないことを考えたもんだよな」

「まったくだ」


 リサは憮然とした表情で答えた。無神論者の彼女には、何とも烏滸がましい計画だと思えてならない。


「いると思うか?」

「前にも言ったはずだ。神様なんているわけがないと」

「けど、あいつらの口ぶりからすると、守護者ってのは本当に存在するみたいだぞ」


 三体の守護者のうち、アスクルの守護者のみが消滅したという。御伽話にしては、何とも中途半端で現実味のある言葉だった。ならば、守護者も神も存在すると考えられるだろう。


「神様とやらがいるのなら、さっさとザインを復活させてやれば良かったんだ」


 神は万能の存在だ。不可能なことはないとされている。それが、何故守護者を復活させないのか。


「神様はいない。それとも、万能じゃないか」

「アスクルを見捨てた可能性もある」

「そんな奴を崇めているのか。あいつらは」


 リサの言葉にウィルは肩をすくめて見せた。


「あいつらが儀式を実行すれば、神様の存在も判るだろうよ」


 リガス教はカンヘルの滅亡を望んではいない。しかし、混乱が起きることは目に見えている。面倒の種は、芽生える前に早々に摘んでおくべきだ。


「面倒事はごめんだ」

「違いねぇ」


 高原に入ってしばらくし、二人はアウトローたちと出会うことが出来た。リヴィウスが言っていた通り、彼らは高原の遺跡を新居と定めたようだ。再会したアウトローに案内を頼んで、新居にいるリヴィウスのもとに辿りついた。

 先日別れを告げてから、一週間ほどしか経っていない。リヴィウスも、こんなに早くに再会することになるとは思わなかったのだろう。彼は怪訝な表情を隠さなかった。


「そんなに俺のことが恋しくなっちまったのか、お嬢さん?」

「お嬢さんはやめろ」


 そんな呼び方をされる年齢ではない。何より、隣の男の揶揄の視線が鬱陶しい。


「遊びに来たわけじゃなさそうだな」

「ああ。いくらあんたが恋しくなろうが、態々こんなところまで遊びには来ない」


 ウィルの言葉に、リヴィウスは肩をすくめて見せた。


「つれねぇこと言うなよ。俺ぁ、また会えて嬉しいんだぜ?」

「この前、聞き忘れたことがある」


 冗談に付き合っている場合ではない。一刻も早く事実を知りたかった。


「あんたは亜人について話してくれただろう?」


 アウトローの長が顎を引く。


「何か言い伝えがあるのか?」

「言い伝えだぁ? おまえらは何も知らねぇのか?」


 軍人二人は黙したままうなずいた。するとリヴィウスが、渋面をつくる。


「けど、あん時亜人が何だとは聞かなかったろう?」


 彼は難しい顔のまま顎の髭を撫でた。彼が何を考えているかは、充分に察せられた。それでも、睨むように真剣な眼差しを向けると、リヴィウスが不承不承口を開いた。


「本当かどうかは判らねぇ。俺は御伽噺のひとつだと思っていたからな」


 リサとウィルは上体を乗り出して、彼の声に耳を傾ける。


「亜人はこの世ならざるものだ。七百年前の大戦は知っているだろう? そん時に召喚されて、アスクルの兵として戦いに参加したって話だ」

「召喚……?」

「ああ。その亜人と兵器のせいで、世界はこの有り様だ」


 神を召喚するだの七百年前だの、ずいぶんと話が大きくなってきたものだ。


 結界の外には、亜人がうじゃうじゃと徘徊しているのだろうか。

 その光景を想像し、戦慄が走った。まるで地獄だ。人類が住めるはずもない。伝説の通り、守護者が人類のために結界をつくったというのなら守護者様様ではないか。

 枢機卿のひとりが口にした耳慣れない『アーク』という言葉。それはおそらく、結界をつくる魔導石か結界で守られた人類の生存圏のことだろう。そして、アスクルの守護者ザインはついえた。大聖堂の像で、ザインだけが眠っていたのは、彼の者がすでに消滅したことを意味していたのだ。


「罪滅ぼし、か」


 ザインはアークをつくり消滅したという。守るべき者が犯した過ちを、償うつもりだったのかもしれない。


「召喚ってのは、魔法のひとつだよな?」


 ウィルの問い掛けにうなずく。しかし、召喚魔法は今は失われた術だ。使える者はいないはずだが、リガス教には伝わっていたのかもしれない。


「魔導石が関係していてもおかしくはないな。アスクルが考えたことならなおさらだ」


 事件のすべてが、一点に収束した。




 リサとウィルは歩いてソルジェンテまでやってきた。時間は惜しいが、明るいうちに教都へ入ることは出来ない。仮に教都に入れたとしても無断外泊をした以上、モノレールに乗車するのは危険だ。身分を偽装していたことが露見するかもしれない。


 夜になり、リサとウィルは静かな湖の畔で背中合わせに夜空を眺めていた。


「いいのか?」


 やおらウィルが口を開いた。


「何が?」


 背後の男が息を吐き出す。


「俺は身軽だ。けど、おまえにはソフィアがいる。あいつの立場も危うくなるかもしれない」


 確かに、彼の言う通りだ。停職中に問題を起こせば、間違いなくただではすまない。しかし、それでも放っておくことは出来ないだろう。二人は腐っても軍人だ。


「おまえひとりで、どうにか出来るのか?」


 リサは声音に笑みを含ませて言った。問うてはみたものの、答えは判りきっていた。

 ソフィアには迷惑を掛けることになる。それでも、手をこまねいているわけにはいかない。リガス教の計画が実行されれば、世界は混乱する。暴動が起きれば、死者が出るかもしれない。それに、彼らは亜人を利用するつもりだ。多少の犠牲はやむを得ないというのなら、ソフィアにも危険が及ぶかもしれない。


「出来ねぇだろうなぁ」


 ウィルがだらしのない声を出す。思わず、リサは小さく笑った。


「悪いが、最後まで付き合ってくれるか?」

「今さらだな」


 小刻みに背が震えたのが伝わる。犯罪者に成り下がろうとしているのに、二人の心は驚くほどに穏やかだった。


 しばしの沈黙が二人を包む。そよ風が葉を揺らしていた。揺らされた葉が触れ合い、かさかさと音を立てる。遠くの森からは、フクロウの鳴き声がした。


「――なぁ、リサ」

「うん?」


 前にも、同じやり取りがあったことを思い出した。


「おまえに黙ってたことがある」


 ウィルの声からは、どことなく負い目が感じられた。


「何だ?」

「少し昔話になる」


 心を落ち着かせるように、背後の相棒が深呼吸した。


「俺がクレムスを希望地にした理由、覚えてるか?」

「物好きで変な奴の影響だろう?」

「よく覚えてんな」


 リサの言葉は、かつてウィルが口にした言葉そのままだった。一言一句、間違えてはいないだろう。


「その物好きな奴に会ったのは、施設から自由に出られないくらい小さいころだった。よく覚えてはないんだけどな、そいつが仕事で中央の施設に来て、そん時に初めて話したんだ。多分、ぶらさげてた軍刀に子供ながら興味を持ったんだろうな」

「軍刀……?」


 うなずく気配。


「ああ。そいつは軍人だった。向こうも、話し掛けてきた俺に興味を持ったのかもしれない。それから、何度も孤児の俺を訪ねて来ては、外の話とか故郷の話をしてくれた。剣と体術も教えてもらった。とんだ物好きだろ?」


 ウィルは自嘲気味に笑ったが、リサは黙したままだった。


「忘れようとしてた。そいつが言ってたほど、軍人なんて大した職業じゃなかったからな。けど、中央に戻って思い出したんだ。クレムス出身の、そいつの名前――ディオンってんだ」


 予想通りの言葉に、リサは思わず鼻先で笑った。


「――私たちの腐れ縁をつくったのは、父だったのか」


 ウィルが肩越しに振り返るが、リサはその大きな背に寄り掛かった。


「それだけか?」

「他に何か言ってもらいたいことでもあるのか?」


 一層口元を緩めて問うた。告白した彼からすれば、彼女の反応は予想外だろう。


「いや……。一発殴られるくらいは覚悟してた」

「父親を物好きと言われたくらいで、殴るわけがないだろう?」

「……そうなのか?」

「なら、おまえは、私を物好きと言った奴を殴るのか?」


 ウィルが困ったように人差し指で頬を掻いた。


「おまえじゃ比較対象にならねぇだろ。俺は家族を知らないしな」

「家族みたいなものじゃないか」


 言葉を失った相棒にリサはもう一度問い掛ける。


「で、どうなんだ?」

「まぁ、殴りはしねぇな。おまえが物好きなのは本当のことだし」


 うむ。背後の男が失礼な奴だということは、重々承知している。今さら、腹を立てる気にもならなかった。


「そうだろう?」


 それに、と彼女は続けた。


「おまえは軍人になってまで、父が話していたクレムスに来た。それで充分だ」


 心が温まるような気がした。父親が他界して、十年が経つというのに、その存在を忘れずにいる者がいた。何よりも、それが今背後にいる男だったことが感慨深い。


「やっぱり、おまえは父親に似て物好きだ」

「何とでも言え。おまえは最低だ」


 リサは、ひとつ深呼吸をして星を見上げた。


「けれど、おまえにしか背中は預けられない。私の相棒はおまえだけだ」


 ウィルも同じく星を見上げる。


「ああ。俺の相棒もおまえだけだ」


 独房に入れられようが、極刑になろうが、これで言い残したことはない。二度と話せなくなろうが、後悔することはないだろう。




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