「私たちは亜人の存在を当たり前に考えすぎていた」
問題は深刻化している。数日前にも報告があったが、さらに事態は悪化している。
薄暗い室内には、豪勢なローブに身を包んだ四人と二人の平服の男の姿があった。
六人の中では若年と称せるだろう平服の男が、神妙な面持ちで口を開いた。
「今日、私を捜し回っている者たちがいると報告を受けました」
彼は間諜のひとりだ。あらゆる場所に赴き、情報収集や情報操作を行う役目を担っている。危険な役ではあるが、彼らの長年の悲願を達成するためには欠かせない存在だ。
「捜し回っているのが何者なのかは判っているのか、ナイセル?」
半白髪の頭をしたローブ姿の男が問い質す。
「報告してきた者たちに聞いたところ、おそらくクレムスの憲兵ではないかと」
ナイセルは以前、短い期間ではあったがクレムスの施設に滞在していた。その間に、クレムスでは殺人事件が起き、さらに施設居住者が騒動を起こした。
「簡単に人を殺すからだ」
もうひとりの平服の男が冷淡な口調で言った
「そのまま放っておけば、問題にはならなかった。保管庫の件も――」
「――あいつらが泣きついてきたんだ! 殺す他なかった……!」
平服の男が唸る相手を、冷ややかに見下ろした。
彼も間諜のひとりだ。主に、政府や軍の動きについて調べるのが彼の役目だった。ナイセルと同様、常に危険がつきまとう役目でもある。
「すぎたことを申しても、仕方あるまい」
「ですが、ワイズ様……」
ワイズと呼ばれた男がゆっくりとかぶりを振って見せた。
「軍が動き始める前に、儀式を始めなくてはならぬ」
「しかし、まだ準備は完全に整ってはおりませぬぞ」
皆が眉間に深い皺を刻んでいた。計画は最終段階に入ろうとしているが、ここにきて鼻が利く軍人が目障りに動き出していた。
「バーネット殿。慎重なのは良いことだが、計画が破綻すれば我らが同胞はカンヘルに蹂躙され続けるのだ」
「七百年前、確かに我々の祖先は過ちを犯した」
彼らは過ちを悔いていた。あのような大戦は、二度と起こしてはならないと肝に銘じている。故に近代兵器の製造を禁じ、それを守り続けてきた。
しかし、彼らアスクルは自由を求めていた。現在の世界のありようは、確かに平和といえるだろう。だが、それは彼らが求める世とは違う。偽りだ。
「我々は対等な存在のはずだ」
皆が顎を引いた。
「施設に入れられた同胞は、不要と言い渡されたも同然。目を覚ましてやらねばなるまい」
多くのアスクルは、カンヘルの築き上げた制度の中で、施設という場所で生活することを強要されている。働かずとも住む場所と食べる物を与えられ、家畜のように飼い慣らされている。否、家畜の方が人類の役に立てられているといえるだろう。
「神より授かりしかけがえのない生を、浪費するばかりだ」
「その通りよ、アルベルト殿。神に与えられしこの命、我らとて神のために使わねばならん」
アスクルの大多数は淘汰され、愚かしくも安穏と生きている。政府に不要の産物とされても、それにさえ気づかず偉大なる神に授けられた生を無駄にしているのだ。
「クレムスの時と同様、暴動を起こすのだ」
「亜人はそのためにも使える」
「カンヘルの支配から脱し、同胞のための国を築き上げるのだ。小さな犠牲はやむを得ない」
彼らは大戦を過ちだと認めているが、必要最低限の犠牲は容認している。綺麗ごとばかり並べていては、計画を完遂することは出来ない。さらに、暴動を起こしさえすれば、政府や軍の目はそちらに向く。時間を稼ぐことも出来るだろう。
「モーリス様。お聞きしてもよろしいでしょうか?」
ナイセルが躊躇いつつも口を開いた。
「改まって何だ?」
「同胞のためを思うのなら、神を召喚した後でカンヘルの抹消を望むべきではありませんか?」
ナイセルの言葉に、枢機卿と教皇が眉をひそめた。鬼のような形相に、ナイセルは気圧されて一歩後退りする。
「何ということを言うのだ……!」
「それでも、貴様は神に身を捧げた者か!」
唸るような声に、ナイセルの全身から冷汗が噴出した。もう一方の間諜は、相も変わらず冷ややかな目で彼を一瞥するだけだ。
「申し訳ありません……っ!」
ナイセルが深々と頭を下げた。
「――確かに、神に希うことも出来よう」
さらなる罵倒を覚悟したが、頭上から聞こえたのは穏やかな声だった。
「しかし、考えてみよ」
モーリスが続けた。
「神は世界を創造しただけではない。三体の守護者を生み出した。守護者がそれぞれ何を守っているのか、おまえも知っているだろう?」
ナイセルが頭を上げてうなずく。
「レヴェリス様は世界、ザイン様が我々アスクル、リオン様がカンヘルの守護を使命としています」
「神はカンヘルにも守護者を与えた。つまり神は、カンヘルの滅亡を望んではいないということだ」
滅亡を望むものに、態々守護者を授けるわけがない。
「ザイン様の御霊は七百年前の大戦で、我々を救済するためにアークをつくり、そして消えてしまわれた。我々が神に願うは、ザイン様の復活のみ。カンヘルからの解放と建国は、我々自身の手で達成せねば意味がない」
ナイセルは浅はかな問いを投げ掛けたことに羞恥心を覚えた。それと同時に、枢機卿と教皇に一層強い尊敬の念を抱いた。
「理解したのなら、役を全うしろ。三日後に儀式を執り行う」
「神殿周辺の警戒も怠るな。あの場が要だ」
間諜二人は頭を下げて部屋を後にした。
夜の闇の中、停職中の二人とクレムス駐屯地の人間は集まった。
人気のない森の中だ。施設の門限がすぎた今、教都駐屯地の人間に見つかれば連行は免れないだろう。そうなる前に、教都を脱出せねばならない。
「――リガス教も、とんでもないことを考えているようだな」
「神を召喚して、守護者を復活させるか……」
リサとウィルからリガス教の目的を聞いた元同僚たちが、沈痛な面持ちで呟いた。
アルベルトと話している最中に、ウェイドが現れたのは僥倖だった。
リサとウィルが大聖堂に居座ったのは、聖職者から修道院のつくりを聞き出すためだ。リガス教が何かを企んでいるのなら、上層部の人間に報告が上がるかもしれないと踏んだのだ。
報告の内容については、密かに行っていたウェイドの捜索をジュードたちに大々的にやってもらうことにした。そうすることで、彼らの危機感を煽り、話し合いの機会を設けさせようとしたのだ。
運良く、リサとウィルに枢機卿のアルベルトが声を掛けた。そして、上層部の部屋の位置が判明した。
さらに幸運は続いた。二人がアルベルトと話している最中にウェイドが姿を現した。その時点で、リガス教が一連の事件に関係していることは明白になったわけだが、二人は捜査を続けた。
少し離れた位置に移動したアルベルトの足下に、リサが密かに無線を投げた。中庭には芝生が敷き詰められていた。小さな無線が落ちても、音は立たない。二人は抱き合うふりをして、アルベルトとウェイドの会話をウィルの無線から聞き出したのだ。
聞き出せた内容は、彼らが密談のために集まる時間と場所だ。その情報をもとに、二人は修道院の壁によじ登り、密談に耳を傾けた。装飾が多い壁を登るのは、比較的簡単だった。
「これで全部繋がったわけだ」
「ああ。けれど、すべて解決したわけじゃない」
リガス教が亜人を利用していることは判明したが、情報が充分とはいえない。ウェイドを捕まえて、亜人の情報を聞き出すことも出来たが、それはリガス教に手を出すことになる。現状では、自分たちの立場を一層悪くするだけだ。
リサは短く息を吐き出した。
「ルーカス少尉たちは、クレムスへ戻ってください」
「おまえたちはどうするつもりだ?」
さすが元教育係だ。ジュードは、リサが大人しく戻るつもりはないのだと直感したようだ。
「私はアウトローキャンプへ行きます」
「私たち、な」
ウィルがにやりと笑って言った。
「んで、なんでまたアウトローキャンプに行くんだ?」
不敵に笑って見せた割には、何とも間の抜けた質問だ。リサは覚えず溜息をついた。しかし、他の者たちも説明を求めているようなので、話してしまった方が良いのかもしれない。何より、話さなくては、元同僚たちは大人しくクレムスへ戻ってはくれないだろう。
「正確には、アウトローたちをまとめているリヴィウスという男に会いに行こうと思います」
「確か、アウトローも亜人の被害にあっているんだったな?」
上官のひとりが確認の問いを発する。情報は共有していた方が、何かと便利だ。ここにいる者たちには、保管庫の件はすべて話してある。
「けど、またリヴィウスのところに押し掛けたって、新しい情報は得られないだろ。それとも、おまえもあいつら唆して、教都を襲撃させる気か?」
「そんな野蛮なことはしない」
盗み聞きした内容から、保管庫を襲うよう唆したのもリガス教だと判明した。だが、それをアウトローたちに伝えるつもりはない。
「なら、どうして?」
「確かめたいことがある」
リサは続けた。
「亜人の生態は判らないことが多い。在来種なのか新種なのかも判明していません」
初めて亜人の情報を耳にした時のことを思い返した。
「クレムスで初めて亜人の存在が確認されたのは、一ヶ月半前。ソルジェンテはその少し前だった。アルトシュタットもほぼ同時期。つまり、どこも亜人が確認されたのは最近だということです」
生存圏は決して広くはないが、在来種にしろ新種にしろこんな偶然があるはずもない。
「けれど、それはおかしい。私たちは亜人の存在を、当たり前に考えすぎていたんですよ」
「どういうことだ?」
全員が険しい表情のままリサの言葉に耳を傾けた。
「ウィル。リヴィウスは何故亜人を知っていた?」
「そりゃ、あいつらも亜人の被害にあってたからだろ?」
「違う。そういうことじゃない」
リサがかぶりを振ると、ウィルは一層怪訝な表情になった。仕方ない。気づいていたら、説明する必要もない。
「言い方が悪かった。では何故、あいつらは『亜人』という単語を知っていたんだ?」
リヴィウスの言葉を直接聞いていなかったジュードたちは理解出来ないかもしれない。しかし、一緒に話を聞いていたウィルは、リサの言葉に息を詰まらせた。
「私たちは亜人のことを、初めは『武器を持った魔物』とか『見たこともない魔物』と呼んでいました。呼び方が偶然一致するとは思えない。あいつらは何年も街の人間に接触はしていないんだ」
キャンプの人間は、全員が生まれも育ちも街の外だと言っていた。アウトローが街から脱走した人間と接触したとは考えにくい。そもそも、街の住人も亜人という単語を知らないはずだ。
「魔導石を持ってきた不審者に教えられたとも考えられるけど、一言も話してないリヴィウスが当然のように使うとは思えない」
「ああ。アウトローには、亜人についての言い伝えがあるんじゃないか?」
リガス教の人間に聞けないのなら、態々山に出向いてアウトローに尋ねるしかない。リヴィウスと別れてから何日も経っている。おそらく、すでに高原の遺跡に移住しているはずだ。
「おまえら、それって……」
ジュードが肩を落とした。
「後のことは、お任せします。リガス教は明日からでも、何かしでかすに違いありません」
「暴動、だな?」
リサは黙したまま顎を引いた。
「アウトローキャンプには、本当に二人だけで行くつもりか?」
「あまり大所帯で行っても、警戒されますから」
一度は行ったことがあると知らせてあるにもかかわらず、ジュードたちは不安そうな表情をしていた。
「奴らは犯罪者なんだろう? 危険じゃないか?」
リサとウィルは一瞬声を詰まらせた。元同僚の言う通り、街で暮らす人間はアウトローをそのように認識している。
「彼らは犯罪者ではありません。ずっと昔に、街を出た人間の子孫です」
「そうなのか?」
ジュードたちは微かに目を見張ったが、すぐに納得したようにうなずいた。
「ああ、確かに。言われるまで気づかないなんてなぁ」
関心がなかったのだ。だから、考えようともしなかった。少しばかり頭を使えば判りそうなものを。
「悪い奴らじゃありません」
「まぁ、槍で殺されそうになったけどな」
「……」
「殺されそうにはなりましたが、悪い奴らじゃありません。多分」
ウィルの余計な一言のせいで、リサの言葉の信憑性が地に落ちた。元同僚たちの疑わしい目が痛い。
「まぁ、そういうことなんで、キャンプには俺たちだけで行きますよ。また襲われるのは嫌なんで」
「だけどな、こんな話を聞いて俺たちはどうすりゃ――」
「――ですから、後は任せますと」
後頭部を掻く元同僚の肩に、ジュードが手を置いた。元教育係は、これ以上何を言っても無駄だと察したようだ。
「報告、待っているからな」
リサとウィルは黙って顎を引いた。
その後、彼女たちは夜の闇に紛れ教都を脱出した。軍の立場が弱かったことが幸いだった。見回りの軍人は少なく、脱出は思いの外容易に終わった。




