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「同胞に嘘はつかん」

 翌日の朝、駅に見知った男が現れた。しかし、その男は見慣れた恰好をしてはいなかった。何が見慣れていないかといえば、服装と髪型。さらにいうと、目の色も変わっていた。

 すでに到着していたリサとウィルは目を眇めた。初見では、彼がジュードだとは気づかなかった。

 とはいえ、二人もジュードと同様に普段とは異なる装いをしている。二人は一切の荷物を持ってきていなかったが、リサの変装は家に置いてある服で事足りた。ウィルが着用しているのは、昨日ジュードから借りた物だ。さらに、教都ではカンヘルは敬遠されるために目の色も変えている。


「これから教都にいる間は敬語を使うなよ。名前も呼び捨てでいい」

「わかった、ジュード」


 ウィルは一片の躊躇いも見せずに、緊張感のない声を出した。早速、元上官を呼び捨てにしている。


「おまえは清々しいほどに手の平を返すよな」

「こんな時しかこんな態度とれないから、充分に楽しんどく」


 潔いウィルに、ジュードが肩を落とした。まるで、今までも上官として敬われてなかったのではないだろうかと錯覚を起こしたのかもしれない。無論、錯覚ではないと言い切れもしないが。


「さっさと行こう。九日間付き合えるといっても、充分とは言えない」

「ディオンも、それが普段通りだってことは判るんだが、もう少し柔らかい言葉遣いには出来ないのか?」


 リサはジュードを一瞥した。きっぱりとした口調で言ってのける。


「それは無理だ」


 ジュードが項垂れた。


「本当に、上官だと思ったことあるのか? もう少し、躊躇う素振りくらい見せろよ……」

「まぁ、細かいこと気にしたって仕方ねぇよ」


 ウィルがジュードの肩を叩いた。完全に面白がっている。


 三人は改札を抜け、プラットホームに停車していた列車に乗り込んだ。

 リサとウィルの停職期間に合わせ、教都でウェイドを探す期間は九日間となった。しかし、仮にウェイドがリガス教の人間ならば、捜索は困難を極めるだろう。リサたちはリガス教に手出し出来ないのだから。


 やがて、列車がゆっくりと動き出す。

 クレムスと教都は遠く離れている。始発に乗ったのだが、到着するのは昼すぎだ。

 一般人のいる車内で打合わせは出来なかった。一行は車内での時間をほとんど寝てすごした。


 教都は山の中腹に築かれた街だ。岩場の多い険しい山から切り出した組積造の建物が立ち並ぶ。行き交う人の数は多いが、落ち着いた雰囲気の街だった。

 ここに住まう人々は、熱心な信者が大多数を占める。リガス教の信者はアスクルが圧倒的に多いが、ここでは管理層のカンヘルも信者である場合が多い。

 街行く人々は、教都のあちこちにある聖地の巡礼をしているのだろう。整列して歩いているわけではないが、自然と流れが出来上がっている。

 変装した一行は、流れに逆らうように歩いた。


「とりあえず、大聖堂に行ってみよう」

「おお、わかったー」


 ジュードの言葉にウィルが気の抜けた返事をした。もともと彼は慇懃無礼な気質があった。これは演技ではなく、本来の彼に近い。


 三人は大通りの坂を上る。坂の上には、いくつもの尖塔を持つ大聖堂が厳かに聳え立っていた。

 大聖堂に入ると、讃美歌が一行を迎えた。聖堂内で幾重にも反射したそれは、信者でなくとも耳を奪われる美しい歌声だ。


 他にも二人を迎えた物がある。それは、大聖堂の門を潜ると目の前に現れる像だ。繊細さの中にも猛々しさが溢れる像だった。

 像の中央には人の姿をした者が立っていて、それを囲むように三体の竜が存在した。人の姿をした者は、リガス教が神と崇める存在だ。そして、神を囲う竜が守護者と呼ばれる存在だ。よく見れば、三体の竜はそれぞれ違う表情をしている。


「初めてここを訪れた者は、皆そこで足をとめる」


 横合いから声を掛けられて、三人はそちらへと目をやった。

 六十をすぎたであろう男だ。凝った刺繍が施されたローブを纏っている。そのローブから、リガス教の司祭であると判断出来た。それも、地位の高い司祭だろう。


「足とめろって言ってるようなもんだろ?」


 ウィルがそう言うと、男は目を瞬いた。しかし、すぐに笑い声を上げる。


「長い間、ここで同じことを申してきたが、そう返されたのは初めてだ」

「おい! 枢機卿に失礼だろ」


 モニター越しに見たことはあるが、現物を見るのは初めてだった。

 枢機卿は三人いるが、この男はそのうちのひとりだ。確か、名はアルベルトといったはず。


「いや、気になさるな。まさに、彼の言う通りだ」


 アルベルトは穏やかに笑った。


「この世界――アストルムの成り立ちについて考え、神や守護者に祈りを捧げてもらいたいがために像が置かれたと聞く」


 アルベルトが像を見上げた。その目は慈しみに溢れているように見えた。


「神も願いばかり聞いていたのでは、疲れてしまう。我々も、たまには神に謝辞と労いの言葉を捧げなくてはならない」


 信者ではない三人は何と返答したら良いか判らずに黙りこくった。しかし、アルベルトが不審に思った様子はない。もしかすると、信者さえも何と言葉にしたらよいのか判らずに黙り込むことが多いのかもしれない。

 しばしの沈黙の後に、アルベルトが口を開いた。


「ここに来た者のほとんどが、守護者の名と役目を知っていても、この像のどれに当たるか判らないと言う」

「俺も、恥ずかしながら判りません」


 ジュードが申し訳なさそうな声で答えた。

 リサも三体の守護者の名と役目は知っているが、像の三体がどれに相当するのかは全く判らなかった。


「では、簡単に説明させていただこう」


 どことなく嬉しそうにアルベルトが言った。


「守護者である三の竜はそれぞれ、世界・アスクル・カンヘルの守護を神に仰せつかった。この像は、守護者の性格を表しているとも伝えられている。厳格な顔つきで鋭い牙を剥き出しにしている竜が、世界の守護者たるレヴェリス様。神の膝元で目を閉眼されている守護者が、我らアスクルをお守りくださるザイン様。そして、超然たる表情をしているのがカンヘルの守護を命じられたリオン様だ」


 現実に存在するかも判らないものに性格まであるとは、宗教の芸の細かさには恐れ入る。神にも守護者にも興味はないが、わずかながら感心した。


 ――それにしても。


 仮にも世界の主の膝元で眠っているとは、アスクルの守護者はずいぶんと呑気な性格をしているようだ。否、そのような設定だというべきか。


 讃美歌が終わると、アルベルトは三人の偽信者の前から去っていった。その背が見えなくなったところで、ウィルがぽつりと呟く。


「あいつ枢機卿のひとりだったのか……」


 ごち。

 ジュードの拳がウィルの脳天に振り下ろされた。


「いってぇ!」

「少しは言葉遣いを考えろ! 悪目立ちするだろうが!」


 二人の声が反射し、周囲にいた信者たちが遠巻きに視線を送った。

 リサは騒がしい二人の関係者だと思われるのを回避しようと、ふらりとその場を離れる。


「今ので悪目立ちしただろ!」

「うるさい!」


 ごち。

 もう一発拳が落とされ、短い悲鳴が上がった。

 リサは二人を無視して、礼拝堂へと姿を消した。




 やはり、捜索はうまくいかなかった。その日も、次の日も、さらに次の日も、ウェイドと思しき男を見掛けることはなかった。

 後から合流した者たちも、皆が皆かぶりを振った。似顔絵を使って、大々的に捜索するわけにもいかないので、これ以上の進展は望めないだろうと嘆息を漏らした。


 五日目になり、リサとウィルは大聖堂を訪れた。祭壇から離れた長椅子に腰掛け、賛美歌に耳を傾ける。綺麗な歌声は、聴いているだけで心を癒してくれた。つまらない意地や見栄を取り除いてくれる。

 長椅子に置いていた右手に、大きな手が重ねられた。その体温を感じながら目を閉じる。まるで、心が洗われるようだった。

 早朝に大聖堂に入り、あっという間に時間が流れた。昼がすぎ、やがて日が傾き聖堂に残る人影も疎らになった。


「俺たちもそろそろ行こう」


 手を握られるが、リサは動こうとしなかった。


「まだ、ここにいたい」


 手を握り返して囁くと、ウィルは短く息を吐き出した。彼は立ち上がるのをやめて、背もたれに背を預ける。

 この日、ジュードたちは二人と別行動をしていた。否、リサとウィルが一緒に行動していたというべきか。


「何か思い悩みのようだ」


 やおら二人に声を掛けたのは、枢機卿のアルベルトだった。顔を上げた二人は、アルベルトの姿を目にし、沈痛な面持ちを少しばかり和らげた。しかし、ウィルはすぐに唇を引き結び、深く頭を下げた。


「先日は枢機卿とは気づかず、失礼をいたしました」

「気になさるなと申したはずだ」


 どうやらアルベルトは二人を覚えていたようだ。ウィルの発言が強く印象に残っていたのだろう。


「今日はお二人か?」

「ええ」


 アルベルトが二人の間にある手を見下ろした。


「恋仲、かな?」


 リサとウィルは慌てて手を離した。さらにリサは顔を伏せる。


「お判りですか?」


 枢機卿が声を上げて笑った。


「判るとも。私でよければ、相談に乗るぞ?」

「ですが、お忙しい枢機卿を煩わせるわけには……」

「気になさるな。話したくないというのなら、無理強いはしないが」


 そこまで言われたら、言葉に甘えるしかない。


「それでは、人がいないところでお願いできますか?」


 アルベルトが鷹揚にうなずき、三人は中庭へと出た。

 中庭を囲む回廊は修道院の一部だ。修道院にはリガス教の聖職者たちが住み込んでいる。聖堂と同様に、凝った装飾が施された建物だった。


「聖職者でない私たちが、修道院に入っても大丈夫なのですか?」

「ここなら他の者に話を聞かれる心配もないだろう。私が招いたと言えば問題はない」


 リサとウィルは深々と頭を下げて礼を述べた。


「修道院のことは詳しく判らないのですが、この建物には子供も住んでいるのですか?」


 回廊を幼い子供が歩いているのを目にして問い掛ける。


「そうだ。ちょうど、あの子が歩いているところが学校でもある。あの子たちは、いずれ司祭になる。子供のうちからその修行をしているのだ」

「あんなに幼いころから?」

「聖職者のほとんどがそうだ。私も、幼いころから修行したものだ」


 リサとウィルは微かに目を見開いた。


「そうですか……」


 二人には殉教者たる彼らの気持ちは理解しがたいものだった。施設さえも窮屈だと感じているのだ。修行なんてものに耐えられるわけがない。殉教者には尊敬の念を抱かざるを得ない。


「幼いころから神に身を捧げているのですね」

「俺たちなんて、ただ漠然と崇めていただけだってのにな」


 言い訳がましくウィルが続けた。


「大聖堂に来て、心が洗われました。正直なことをいえば、俺は信仰心があついわけではありません。それが、ここに来て恥ずかしく思えた」


 アルベルトは懺悔の言葉に耳を傾けた。聖職者らしく、軽蔑の表情は見せなかった。


「毎日大聖堂を眺めてすごしたいものです。あの部屋は施設なんかよりも聖堂がよく見えそうだ」


 ウィルは修道院の一番高い階を指差して言った。すると、アルベルトが口元を緩める。


「あそこからは、大聖堂だけでなく素晴らしい景色を望むことが出来る」

「枢機卿は見たことがあるようですね」

「毎日見ている。あそこには私の部屋もあるからな」


 その壮大な景色を想像して、リサとウィルは胸を高鳴らせた。


「バーネット様とワイズ様も同じところに?」


 アルベルトがうなずいて見せる。


「じゃあ、教皇モーリス様も?」

「そうだとも」


 二人はアルベルトたちの部屋を見上げた。視線の先で、リガス教最上位の聖職者である教皇と枢機卿が生活をしているのだ。感慨も湧く。

 口を閉じることも忘れた若者に、アルベルトは穏やかに笑い掛けた。


「さぁ、そろそろ話してみなさい」


 話を本題に戻され、二人は再び表情を再び眉を曇らせた。相手が枢機卿とはいえ、気が重たいことに変わりはない。


「……先日お会いした時にいた、もうひとりのことです」


 それでも、リサは足元に視線を落とし、小さな声で話を切り出した。


「彼と私は幼馴染なのですが……」

「――俺が話す」


 ウィルがリサの肩に手を置き、一歩前に出た。


「結婚の約束をしていると打ち明けたのですが、あいつは俺が気に入らないらしい」

「気に入らないとは、またどうして?」

「俺の信仰心があつくないから、でしょうね」


 深刻な表情を取り繕い続ける。


「でも、一番の原因は……」


 息を吐き出す。最後まで口にするのは、何となく憚られた。


「いっそ、俺が修道院に入れば……っ!」

「でも、そしたら……」


 結婚は出来ない。信仰のあつさは証明出来るかもしれないが、それでは意味がないのだ。


「その問題は、すでに解決しているだろう」


 ウィルがきょとんとする。


「修道院に入らずとも充分だ。毎日、朝と夜に神に祈りを捧げ、彼女を大切になさい。さすれば、彼も判ってくれるだろう」


 枢機卿の言葉だが、ウィルはまだ納得が出来ないようだった。


「けど、あいつも頑固だから……」

「教都の施設に移転出来ればいいんだけれど、住む場所も自由に決められないなんて……」


 アルベルトの手が二人の肩を励ますように叩いた。


「直に、この街に住めるようになる」


 リサとウィルは顔を見合わせた。


「だけど……」

「私の言葉を信じろ。同胞に嘘はつかん」


 力強い言葉に、二人は目を見開いた。感極まったように、リサはウィルの胸に額をくっつける。そして、ウィルはリサの背に腕を回した。


「――ウェイドだ」


 リサは顔を隠すようにして、小さく耳打ちした。


 アルベルトの背後から平服に身を包んだ男が近づいた。男の存在に気づいたアルベルトが二人と距離を置く。

 枢機卿とウェイドは小さな声で二言三言を交わした。その間、リサはウィルの胸に耳を押し当てていた。

 ウェイドが去ると、アルベルトは寄り添う二人に歩み寄った。


「申し訳ありません」


 リサが慌てた様子で身体を離す。


「何か急用でも?」

「急ぎではない」


 アルベルトが続ける。


「それよりも、少しは気は晴れたかな?」


 二人は同時にうなずいた。


「はい。枢機卿のおかげで」

「何とお礼を申したらいいか……」


 アルベルトは鷹揚にかぶりを振った。


「礼などいらん。それよりも、また会えることを楽しみにしている」


 リサとウィルはアルベルトの背を見送った。


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