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「おまえと張り合うのはごめんだ」

 上官の気遣いはありがたかったが、リサは突如として与えられた休暇を持て余していた。もとより、休みをうまく使えない質の人間だった。

 一日目の休暇は、自宅のベッドの上でほぼすべての時間を使用した。知らず知らずのうちに疲れがたまっていたのか、目が覚めた時には太陽が空高くに上がっていた。そして、部屋には勝手に寝泊まりしている男の姿があった。部屋に入る際には、一言くらい言ってもらいたいものだ。

 翌日の朝早くもない時間に、彼女は起こされた。ウィルに肩を揺すられて目を開けると、相変わらず太陽は高くに昇っていた。


「なんだ……?」


 まだ頭が覚醒しない。彼女は少しばかり不機嫌な声で、寝起きの顔をのぞき込んでいた男に問うた。


「そろそろ起きろよ。出掛けるぞ」


 よく見れば、彼はすでに着替えて支度を整え終えているようだ。しかし、リサはまだベッドが恋しかった。ゆっくりとした動きでうつ伏せになり、枕を抱き抱える。


「……まだ、眠い」


 そのまま目を閉じる。

 ウィルがこれ見よがしに長い溜息をついたが、与り知るところではない。


「起きろって言ってんだろ」


 シーツを奪い取られ、唸り声を上げて抗議を申し立てる。だが、今度は枕さえも奪われてしまった。どうやら、こちらが折れる他ないようだ。

 二度寝という至福の時間を諦めた彼女の目覚めは早い。先程までは眠たそうな目をしていたのに、今では普段と同じ目つきになっていた。


「どこに出掛けるんだ?」


 上体を起こして伸びをする。その後、体を左右に捻りながら問い掛けた。


「頼みがある」


 真面目腐った表情と声に、リサは遠慮することなく眉根を寄せた。


 クレムスは何もない街だが、街外れに澄んだ湖があった。暑い季節には、水遊びを楽しむ子供たちとアウトドアキャンプを楽しむ者たちの姿が絶えず見られる。今は辺境都市のクレムスが最も賑わう季節なのだ。


 対岸の喧騒を尻目に、リサとウィルの二人は腕を組みながら仏頂面を合わせていた。

 一般人は立ち入ることが出来ない場所なので、彼女たちの周りに人の姿はない。対岸の喧騒も、ここには届かない。


「……いまいち、判らねぇんだが」

「理解しろ」


 二人が仏頂面をしていたのは、他ならぬウィルからの頼みごと故だった。

 彼の頼みごと。それは魔法を教えてくれということだったのだが、自ら苦手だと豪語するだけはあり、順風満帆とは言い難かった。


「もう一度見せてくれ」


 リサは溜息をつきながらも、呪文を唱えて魔法を発動した。

 湖の水面が揺れて、一陣の風が巻き起こる。風はその強さを増し、龍のごとく湖の水を天まで巻き上げた。

 目を開けていられないほどの暴風だった。湖畔に落ちていた小枝や小石が舞い上がり、生い茂る草木を激しく揺さぶる。

 風がやむと、雨が降った。


「これ、雨じゃないよな?」

「いや、雨だ」

「――魚、落ちてきたぞ」

「おかしいな。魚が降るなんて、そんな予報は出ていなかったはずだ」


 リサは湖の冷たい水を浴びながら惚けて見せた。

 たとえ、自然現象の竜巻が起ころうとも予報で魚が降るとはいわないだろう。我ながら、この男の前ではくだらぬ冗談を口にしてしまうことに呆れを感じた。ウィルも肩をすくめている。


「手本を見せてくれるのはありがたいが、これは上級魔法だろ? もっと簡単なのにしてくれないか?」

「上級魔法だからといって、別段難しいわけじゃない。単に消費する体内魔力が多くなるだけだ」


 魔法は呪文によって魔力を活性化させることで成り立つ。魔力の制御や流れを意識する必要はない。呪文が制御を司っているのだ。意識してしまえば、呪文の効果がなくなる。大切なことは、魔法を発動するための呪文と体内魔力の量なのだ。


「おまえは魔力を制御しようと考えすぎているんだ。余計なことは考えるな。魔法が発動された光景を思い描くだけでいい」

「それが判らねぇんだ」

「とりあえず、やってみろ」


 言葉では説明しきれない。魔法の習得は、実際にやってみることが一番の近道だ。

 ウィルが呪文を唱え終えると、水面に小波が立った。次いで風が吹き、水を少しずつ巻き上げる。


「上がれ……っ」


 思わず漏れた呟きに、リサは息を吐き出した。直後に風はやんでしまう。


「上がれじゃない。おまえは竜巻で水が巻き上げられた光景を想像するだけで良いんだ」

「……頼むから、もう一回やってくれ」


 リサはこれで何度目か判らない呪文を唱えた。


 しかし、上級魔法は短い時間の中で連発するものではない。

 風がやみ魔法の発動を終えた瞬間に、全身の力が抜けるような目眩に襲われた。がくりと膝をつく。心臓が鈍い痛みを発している。どうやら、体内魔力を消費しすぎてしまったようだ。


「大丈夫か?」


 ウィルが隣に膝をつき、顔をのぞきこんだ。


「……ああ」


 湖畔に大の字に寝転がる。荒くなった息を整えようと、深呼吸を繰返した。


「わりぃな、リサ」

「心配するな……。私も、調子に乗りすぎた……」


 息苦しさはすぐに消えた。だが、心臓の鈍い痛みはなかなか消えない。カンヘルの心臓は、魔力を生み出す器官でもある。リサの心臓が早鐘を打っているのは、大慌てで魔力を生成しているためである。


 隣でウィルが大の字に寝転がった。


「それにしても、魔法も不便だな」

「使えないよりは便利だ」


 かつては魔法を行使できるのはカンヘルだけだったが、今日では魔導石を所持していればアスクルでも魔法を使用出来るようになった。今や、カンヘルとアスクルに大きな差はない。何せこの男のように、カンヘルでも魔法が苦手という者もいるのだ。


「よく治癒魔法は使えるようになったな」

「おまえが手首切って焦らすかだ」

「普通、焦ると出来なくなるはずだけどな」

「土壇場に強いんだ。俺は」


 士官学校での授業を思い出し、二人は口元を緩めた。もう、六年近く前のことだ。


「ならば、戦闘中に唱えたら出来るかもしれない」

「余裕だ」

「出来るようになってから言え」

「習得したら、ここまで見せにきてやるから楽しみにしとけ」


 それはずいぶんと先のことになりそうだと、リサは嘲笑した。

 ところでさと、ウィルが話を替える。


「魔法ってのは、攻撃魔法と治癒魔法を同時に発動することは出来ないのか?」


 何とも突飛な質問だ。それも、答えるのが馬鹿馬鹿しくなるような。


「両方同時に使えたら、怖いもんなしだろ?」


 冗談で言っているのだろうかと訝り、隣に顔を向ける。ウィルはまっすぐに天を仰いでいるが、その横顔からは感情を読取ることが出来なかった。


「魔法は呪文が引金になるんだ。同時に二つの呪文を唱えられたら出来るかもしれないが、人間には口がひとつしかないだろう?」


 リサは続けた。


「仮に同時に呪文を唱えられたとしても、魔力の放出口はひとつとされている」

「つまり?」

「そんなこと出来ない。出来るのなら、誰かがとうにやっているはずだ」


 説明を終えた後で、ウィルが深い溜息をついた。


「やっぱ不便だな」

「使えないよりは、遥かに便利だ」


 二度目の指摘にも、彼は肩をすくめるだけだった。

 しかし、確かに魔法も万能ではない。リサ自身も不便に感じることはあった。


「独りで戦うには、攻撃魔法は不便だな。詠唱中は無防備になる」


 ウィルが納得したような声を上げた。


「だったら、剣振りながら魔法使えたら実践的なわけだ」

「簡単に言ってくれる」


 ただ実際に、剣で接近戦をしながら魔法を使用出来るのであれば、複数の敵相手には特に有効的だろう。呪文の詠唱が隙になってしまえば意味はないが。


「おまえなら出来そうだよな」

「試そうとも思わない」


 亜人問題で騒いでいようが、そのような窮地に立つことはないだろう。それに、窮地であれば態々危険な賭けにはでない。


「やってみりゃいいのに」

「そういうのは、土壇場に強いおまえの役回りじゃないのか?」

「そういう切返しが出来るなら、隊長にも社交辞令じゃなくてうまい言葉返してやれよ」


 む。やはり、あれは確信犯だったということか。


「……出来たら、やっている」

「それもそうだな」


 ウィルが諦めたように呟いた。

 彼に助けられたことは数知れずある。戦いの中でも、一昨日のように生活の中でも。いい加減、ウィルの口のうまさを見習うべきかもしれない。


「その話はいいだろ」

「そうだな。今は魔法の講義中だ」

「まだ続けるのか……」


 項垂れる。体内魔力が枯渇した状態では、話すのさえも億劫なのだ。出来ることなら、早々に帰りたい。


「明後日には中央に帰っちまうんだ。もう少し付き合えよ」


 何を言っても無駄のようだ。ここは大人しく付き合った方が賢明だろう。


「またつまらないことを言い出すなよ」

「つまらなかったか? 俺はいい案だと思ったんだけどな」


 しかし、逸れた話を本筋に戻そうとしたところで、遠くから大きな呼び声が聞こえた。ウィルが何かと思って上体を上げるが、次の瞬間には派手に顔をしかめた。怪訝に思い、リサも上体を起こすが、彼女も同じように顔をしかめる。

 軍服を纏った男たちが駆け寄ってくる。市街地から走ってきたのか、全員が肩で息をしていた。


「やっぱり……おまえらだったか……っ」


 先頭を走っていたのはジュードだった。彼は湖畔に座り込む二人の前で足をとめて言った。


「湖で暴れている連中ってのは……!」


 暴れはしていないが、何度も魔法を連発していれば通報されてもおかしくはない。


「――それで、何やってたんだ?」


 全員が息を整えた後に、駆けつけた軍人のひとりが問うた。


「こいつに頼まれて魔法を教えていました」

「魔法? なんでまた?」

「まぁ、色々あるんですよ。事情ってやつが」


 駆けつけた元同僚がウィルの頭を叩く。


「いて! なんで叩くんすか?」

「おまえなぁ……。少しは休暇の意味を考えろ。休暇は休むためにあるんだ。休むのが道義だ」

「それは大袈裟……」


 もう一発。今度は拳が落ちた。


「ただでさえ忙しいってのに、おまえらは余計な仕事を増やすなよ」

「ディオンもちゃんと休んでいるのか? 顔色が良くないぞ」

「大丈夫です。少し魔法を使いすぎただけなので……」


 リサの言葉を聞いたジュードが、ウィルの頭に拳を落とした。


「いってぇ!」

「この馬鹿野郎!」


 ウィルは頭を押さえて蹲った。目尻にうっすらと涙を浮かべて、元同僚たちを見上げる。だが、上官たちがウィルの抗議の視線を取り合うことはなかった。


「とにかく、魔法の訓練はもう終わりにしろ。これ以上騒ぎを大きくするな」

「了解」


 リサは相槌を打ち、ゆっくりと立ち上がる。直後、目眩に襲われて足下がふらついた。倒れそうになった彼女を、立ち上がったウィルが支えた。


「大丈夫か?」

「ああ……」


 視界が歪んでいる。目を閉じて、目頭を押さえた。


「今日は帰って、大人しく休めよ」

「そういや、ディオン妹に会ったんだが、彼女も体調崩していたみたいだぞ。忙しいんだから、風邪もらって休暇長引かせようなんて考えるなよ」


 リサは上官の言葉に力なく笑った。


「それは、良いことを聞きました」


 帰宅した二人を、少しばかり気だるげな笑みを浮かべたソフィアが迎えた。どうやら上官が言っていた通り、風邪をひいてしまったようだ。

 ソフィアはリサとウィルに風邪をうつしたくないからと言って、早々に自身の部屋へと退散した。体内魔力を消費しすぎたリサは身体が弱っている。このような時は、風邪もひきやすいのだ。

 しかしながら、その心配は翌日になると綺麗さっぱり消え失せた。目を覚ますとまだ疲れは抜けきっていなかったものの、体調を崩してはいなかった。ソフィアも倦怠感はなくなったようで、いつもの明るい笑顔に戻っていた。




 この日はウィルとすごす最後の休暇だった。明日の朝、彼は一度駐屯地に顔を出し、そして中央へ戻る。

 最後の休暇だからといって、とりわけいつもと変わったことはなかった。ただ夜になってから、二人は散歩に出掛けた。

 気の向くままに歩いていると、昨日ウィルの訓練に付き合った場所へと辿りついた。


 リサは湖畔に転がっていた石に腰を下ろした。

 そよ風が頬を撫でた。真っ暗な水面に小波が立つ音がする。

 不意に、背中にウィルの体温を感じた。大きく、寄り掛かったくらいではびくともしない彼の背中だ。

 肩越しに振り返ると、彼も背を向けて湖畔に座していた。


「どうしたんだ?」


 視線を湖の対岸へと戻し、背中合わせになった元相棒に囁き掛ける。

 二人は滅多に胸中を晒さない。だが、二人の間で暗黙のうちに通じることがあった。滅多に口にしない胸中を吐露する時には背を向け合う、ということだ。腐れ縁故か、あるいは性か、互いの顔を見て胸の内を語ることに、きまり悪さを覚えてしまうのだ。


「いや……」


 ウィルが言葉を濁したことで、沈黙が二人を包んだ。

 リサは先を急かさなかった。このような時間も悪くはない。ウィルは明日になったら、中央に戻ってしまうのだから。


 しばしの間、背を合わせて互いの呼吸を感じていた。

 どれほどの時間が経っただろうか。長くも短くも感じられた沈黙を、背中の男がようやく破る。


「悪かったな。調査と訓練に付き合わせて」


 ぽつりと呟かれた言葉に、リサは短く息を吐き出した。


「謝るくらいだったら、礼を言え」

「おまえも言わなかっただろ?」


 笑う気配。一瞬、西門の外で助けられた時のことを根に持っているのかと邪推したが、それは違った。リサは忘れていたのだ。二人の間では、謝罪の言葉は礼の言葉にもなり得る――つまりは照れ隠しである。


「久しぶりに、楽しめた」

「死にかけたけどな」

「生きて帰ってこれたんだ。文句言うなよ」


 謝っておきながら悪びれる様子も見せない。


「運が良かっただけだ」

「おまえがいたからだ」


 背中に重さが加わった。


「まぁ、半分は俺の腕だけどな」


 相変わらずの減らず口だ。一年半も経つというのに、まったく変わっていない。それが一層、侘しさに拍車を掛けるというのに。


 再び訪れた沈黙の後に、ウィルが口を開いた。


「――なぁ、リサ」

「うん?」

「おまえ、中央に来る気はないのか?」


 のんびりとした口調だ。そこに、好奇心以外の感情を感じ取ることは出来なかった。


「来る気も何もない。異動を決めるのは、上の人間だ」

「けど、おまえなら希望出せば通るだろ? 俺らのとこも、人手が足りないって言ってんだ」

「人手が足りないのは、ここも同じだ。なら、私はここでいいさ」


 士官学校時代の三年間は中央に住んでいたが、別段愛着があるわけではない。中央よりは、まだ生まれ育ったクレムスの方が愛着があるというもの。

 だが、好奇心で聞いてみる。


「中央はどうなんだ?」


 すると気の抜けた声が返ってきた。


「ああ……。別にどうってことはない。面白くねぇよ」


 ウィルは苦笑を漏らしながら続けた。


「おまえがいたら、少しは張り合いも出るかもしれねぇな」

「おまえと張り合うのはごめんだ」


 物足りなさを感じていたのは、リサだけではなかったようだ。その事実が、彼女にほんの一握りの安堵を与えた。


「おまえはどうなんだよ? ルーカス少尉とうまくやってんのか?」


 ウィルの問いに、即答することは出来なかった。不満はない。彼は面倒見の良い上官だ。関係も悪くはないだろう。

 しかし、リサは一歩踏み込めずにいた。頼りがいのある上官かと問われたら、素直にうなずくことは出来ない。何が問題なのかは、彼女自身にも判らなかった。ただ、今背後にいる男と比較してしまうのが良くないということは、充分に理解しているつもりだ。


「それなりに、な」

「それなりに、か」


 リサは溜息をついた。明日、再びウィルと別れることに感傷的になっているのかもしれない。


「迷惑ばかり掛けているんだろうな」

「仕方ねぇよ。俺たちは問題児なんだ。入った時から、ずっと言われてんだろ」


 悪びれる様子など微塵も見せないで肩をすくめた。


「特に、おまえは何を考えてるか判りにくいからな」

「おまえだって充分判りにくい」


 リサは表情の変化が乏しい。それは、内心を悟らせないためでもあった。一方のウィルは、よく表情が変化するが、しかしそれが必ずしも本心と同調しているとは限らない。彼は必要とあれば簡単に嘘をつく。つかみにくい奴なのだ。


「少尉の苦労が目に浮かぶ」


 む。こいつだけには言われたくない。


「私たち二人の教育係だった時よりは楽だと言っていた」

「そりゃ、二人がひとりになればな」


 まるで他人事だ。一年半前は、彼自身も迷惑を掛ける側だったというのに。


「おまえも迷惑を掛けていたということだ」

「迷惑を掛けたくないって言うなら、良い解決策がある」


 ウィルの真面目腐った声に、リサは怪訝な表情を隠せなかった。


「おまえも中央に来ればいい。俺の退屈さも少しは軽減出来るし、魔法を使えなくとも問題はなくなる。一石二鳥どころじゃない。三鳥の名案だ」


 今は、その手の冗談に付き合う気分にはなれなかった。


「言ったはずだ。異動を決めるのは上の人間だと」

「だから、希望を出してみろって言ってんだよ。ソフィアだって今は中央にいる。それに、もう子供じゃないって言ったのはおまえだろ? クレムスにこだわる必要があるのか?」


 確かに軍人となった今では、クレムスにこだわる必要はないのかもしれない。だが、ウィルがいるからという理由だけで、異動希望を出すのはあまりにも幼稚でおこがましい。


「ああ。子供じゃない。私もな。だから、おまえがいるからという理由で異動願いは出さない」

「……そうか」


 やがて発せられた相槌には、気のせいか落胆の色が含まれていた。


 ――いや、こいつに限ってそんなわけはない。


 気を紛らわせるために、リサは背中を押し返した。


「ソフィアとはちゃんと話せたんだよな?」

「おまえが酔って寝ちまった後にな」


 含み笑いの気配がするが、無視を決め込む。


「あいつも心配していたんだぞ。たまには、連絡くらいしろ」

「ソフィアも、おまえが連絡してくれないって言ってたぞ」

「している」

「たまに?」


 無言のまま顎を引くと、気配を察したウィルが今度は声を立てて笑った。


「もう少ししてやれよ」

「おまえには言われたくない」


 憮然とした表情で呟くが、ウィルには取り合ってもらえなかった。

 釈然としないまま口を噤んでいると、背中から体温が離れた。どうやら、ウィルが立ち上がったようだ。


「そろそろ戻ろう」


 粗い砂を踏みしめる音が一歩ずつ遠ざかっていった。リサはゆっくりと立ち上がり、離れた背に身体の正面を向けた。


「ウィル」


 先を歩く彼が足をとめる。


「いつでも、来いよ」


 ウィルは振り返りもせずに後ろ手を振った。

 しかしながら、別れの言葉は意味をなさなかった。

 リサに辞令が出されたのはその翌日、二人が駐屯地へと赴いた時だった。


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