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「神様なんているわけがない」

 リサとウィルは神殿前の川へと下りた。

 神殿に入るには、大きな岩が転がる川を渡らなければならない。川を渡ること自体は簡単だ。岩の上を跳んでいけば良い。問題は、その川にも亜人がうろついていることだ。


「どうやって入る?」

「魔法で何とか出来ないのか?」

「私も魔法はあまり得意じゃないんだ」


 リサとウィルは、神殿の入口から少しばかり下流に位置する大岩に身を隠していた。


「身近に魔力の化身みたいな奴がいたからって、それと比べることないだろ。実際、魔法科の奴もおまえには下を巻いてたしな」

「それは初耳だ」


 リサはそう嘯いた。


 魔法には姿隠しなどの潜入に適するものもあるが、彼女が学んだのは治癒魔法と攻撃魔法がほとんどだ。他にも照明魔法など便利で簡単な魔法を習得したが、隠蔽魔法は学んでいない。


「……隠蔽魔法は難しいからな」

「使えたら便利だぞ」


 む。

 それは習得した者の台詞だ。ウィルが言えたものではない。


「だったら、おまえが使えるようになれ」

「馬鹿言え。俺はカンヘルだけどな、魔法が苦手なんだ」


 威張ることではない。これが主席だったと考えると、何とも言えない気分になった。


「それにしても、亜人ってのは見張りも出来るんだな」


 神殿の入口前にうろつく亜人は、ただふらついているわけではない。ここから観察することしばらく経つが、亜人はこの場から離れようとはしなかった。否、それだけではなく、警戒しているようにさえ感じられた。時折、立ちどまって耳をぴんと立て辺りを見回す。


「私たちに気づいているのかもしれない」

「なら、どうして攻撃してこない?」


 二人がいる位置は入口から離れている。ここまで見張りがきてしまったら、入口が手薄になると警戒しているのだろう。


「人数までは判らないのか?」

「多分な。ここまで見張りが離れたら、違う場所から増援が来ると警戒しているんだろう」

「増援かぁ……。いないな」


 任務だというのに緊張感のない声だ。それだけ余裕があるということだが、見張りが近くにいるのだから静かにしてもらいたい。


「川の水量増やして、あいつら流せねぇのか?」

「私たちも流されるぞ」

「いや、俺たちが離れてからだ。当たり前だろ?」

「そんな魔法知らない」


 しかし亜人どもを押し流せずとも、魔法で見張りの気を散らせばいいのだ。

 リサは高く聳える断崖を見上げた。

 入口の上流だ。断崖の上部に迫り出した岩がある。あれを攻撃魔法で落盤させれば、亜人たちの気を散らすことが出来るだろう。


 リサは魔法を唱えた。説明せずとも、ウィルは彼女の目論見を理解したようだ。岩陰から首を捻じ曲げるようにして、入口と見張りをする亜人に目を凝らす。

 岩の上空で微かな稲妻が発生する。その直後に空気を震わせる雷鳴が谷間にこだました。

 紫の雷光が迫り出した岩に直撃した。想像していたよりも崖がもろかったのか、迫り出した岩だけでなく崖さえも大きく抉れてしまった。

 砕けた岩が轟音を立てながら断崖を転げ落ちた。川が大きな水しぶきを上げる。


「やりすぎだろ」


 リサは何も答えずに、亜人の動きに目を向けた。

 恐慌状態だ。見張りの亜人は、すぐさま落盤した場所へと向かった。入口からは、轟音を聞き取った亜人たちが断続的に走り出てくる。

 その間に、リサは自身とウィルに守護魔法と強化魔法を掛けた。二人の身体を白い光が包み込んだ。身体が軽くなる。


 出てくる亜人の数が落ち着いたところで、二人は川を渡り難なく神殿へと侵入した。


 神殿内の空気はひんやりとしていた。

 入口からしばらくは、凹凸だらけの通路が続いた。二人が並んで歩ける程度の幅はあるが、剣を振ることは出来ない。前をウィルが歩き、リサは一歩後ろを歩いた。時折、背後に目をやり奇襲を警戒する。

 光源は、壁に一定間隔で取りつけられた松明だけだ。目が慣れていないせいもあり、足下はほとんど見えない。照明魔法を使えれば良いのだが、それでは亜人に見つけてくださいと言っているようなものだ。

 いつ戦闘になっても対処できるように、二人は抜き身の剣を握っていた。


「来るぞ」


 耳に金属が擦れ合う微かな音が届いた。続いて、鋭い爪が石を引っ掻く音が耳に届く。


「二匹だ。後ろの奴は任せる」


 リサは黙って顎を引いた。


 二人同時に地面を蹴る。

 通常の亜人だ。背丈はリサよりも幾分か低い。手にしている武器は、弧を描いたような曲刀だった。体格と武器の長さから、ウィルの方が間合いが広い。

 手前の亜人が間合いに入った瞬間に、喉元を目掛けて水平に一閃。その軌道の下をリサが潜り抜け、屈んだまま奥の亜人の脇腹に剣を突き立てる。

 二体の亜人がどさりと倒れた。

 剣についた血も拭わずに、今度はリサが先陣となって前進を再開した。


 足音を殺して進むと、やがて狭い通路がひらけた。四角い部屋で広さは、通路の十倍近くあるだろう。天井も高く、圧迫感が消えた。

 四隅には柱のようなオブジェがあった。ただの円柱ではない。上部や足下に細かな装飾が施されている。壁もしっかりと装飾されていて、掘られた岩が剥き出しになっていた通路とは雰囲気が全く異なる。

 神殿に踏み込むのは初めてだった。二人に限らず、今までも。故に内部の構造も不明だった。


 四角い部屋は三方向に進めるようになっていた。通路の対面には大きな両扉があり、左右は通路に繋がっているようだ。

 正面にある扉は壊れているのか半開きになっていた。隙間からのぞくと、奥はさらに広い空間になっているようだ。おそらく礼拝堂だろう。

 ようやく目が慣れてきたので、少ない光源でも視界が利くようになった。扉をのぞくと、奥の大広間には祭壇のようなものがあった。礼拝堂で間違いない。


「どうする?」


 このような広間は危険だ。四方から敵が来たら、簡単に囲まれてしまう。


「とりあえず、右だ」


 二人は右の通路へと進んだ。

 同じ通路とはいえ、二人が横に並んで歩いても余裕がある幅だ。だが、やはり二人で戦うには少しばかり狭い。


 通路の両側には、飾りの柱が立ち並んでいた。広間と同様に凝った装飾が施されていて統一感がある。

 しかし、何百年もの間使われていなかったためか、至る所にひび割れが生じていた。それでも、大きなひびは見られない。頑丈な岩盤なのだろう。


 通路は少し進んだ位置で左に曲がっていた。

 突当りに片開きの扉がある。しかし、その扉を開ける前に、曲がった先に亜人がいるか確認する。

 リサは壁に背を押しつけて、角から顔をのぞかせた。


 二体だ。一体は背を向けて歩き、もう一体はこちらに向かって歩いてくる。

 隣に控えるウィルに身振りでそれを伝えた。

 足下に落ちていた小石を拾い上げ、向かいの壁に放り投げる。石は放物線を描き、松明の光を反射して一瞬だけ煌めいた。

 かち。

 石が壁に当たる。

 かちかち。かち。

 石は間を置かずに床に転がった。


 通路の奥から足音が近づく。

 リサは息を殺した。亜人が姿を現した瞬間に、左手で逆手に持った剣を亜人の喉に目掛けて突き上げた。


 断末魔の悲鳴すら上がらなかった。

 突き刺した切っ先を抜くと、血しぶきが上がった。傷口と口から鮮血をどっと流しながら亜人の身体が傾いだ。

 どさ。

 もう一体の亜人の唸り声がした。唸り声と足音が迫る。


 ウィルが亜人の前に躍り出た。

 金属同士がぶつかり合う。ウィルが亜人の曲刀に、自らの武器を絡めて動きを封じた。その隙に、柱の陰に隠れていたリサが防具の隙間から脇腹を刺した。

 剣を抜くと同時に、二人は背後へと跳び退いた。

 曲刀が音を立てて地面に落ち、亜人が倒れた。

 亜人が動かないことを確認し、二人は移動した。突当りの扉をそっと開けて侵入する。


 扉の先は部屋だった。朽ちた棚や机、ベッドなどが置かれたままになっていた。かつてはこの部屋で生活していた者がいたのだろう。

 部屋の中に亜人はいない。部屋を調べるためにも、二人は一度扉を閉めた。


「思っていたよりも亜人が少ないな」

「外の大騒ぎで出払ったんだろう」


 確かに、落盤を起こした後、亜人が何十体も出ていった。あの亜人たちが戻ってきたら、厄介なことになる。最悪の場合、脱出自体が困難になりかねない。


 ――それを見越して、転移石をくれたのか。


 転移石は魔導石の一種である。その名のごとく、転移するために使われる。魔導石に転移先を記憶させることによって、一瞬にしてその場に移動することが出来るのだ。

 転移石は軍人とはいえ簡単に入手出来る代物ではない。それをグラントが提供してくれたのだ。二人が無茶と無謀を好むことを知っているが故に。


「その騒ぎがあったからこそ、中で動き易くなったんだ」


 部屋の中に松明がなかったので、照明魔法で部屋を照らす。

 ウィルがその明かりを頼りに室内を物色し始めた。しかしながら、家具が置き去りにされたままで他に目ぼしい物はない。


 ウィルが与えられた任務の詳細については、今朝方ソフィアから伝えられた。昨夜は酒場で意識を失い、聞く時間がなかったのだ。おそらく、ソフィアはリサとウィルを見送った後に駐屯地でも同じことを話したはずだ。

 二人の目的は、何故亜人が神殿をねぐらとしているのか調べることだ。そして、極力亜人を殺すことにあるのだが、撃退任務は可能な限りで良いと言われているようだ。

 亜人がここに住みつく理由が判れば、突如として現れたのか、それとも在来種であるのか判断出来るはずだという。

 亜人については、中央もあまり情報を持っていなかった。新たな情報といえば、クレムスだけでなく各地で亜人が目撃されているということだ。施設居住者への嘘は、謀らずとも事実となったのだ。


「何かあったか?」

「いや。何もねぇな」


 ウィルが肩をすくめて見せた。


「奥にも同じ扉が続いていた。多分、ここと同じような部屋だ」

「望み薄だが、調べないわけにはいかない」


 同じ用途の部屋だからといって、何もないとは限らない。出来る限りの調査をしなければ、亜人の被害はさらに増してしまう。手を抜くわけにはいかない。


「向かいの両開きの扉は、礼拝堂に繋がっているはずだ。入るのは後にしよう」


 リサの言葉にウィルは黙ってうなずいた。


 案の定、隣の部屋にも、その隣の部屋にも、さらに奥の部屋にも手掛かりになるような物はなかった。通路の突当りの広い部屋も、大きく長い机と椅子が何脚も置かれていただけで、他には何もない。

 簡単にはいかないだろうと覚悟はしていたが溜息が出る。


「反対側にいってみるか」

「ああ。そうしよう」


 不意に背後で扉が軋む音がした。反射的に振り返ると、四体の亜人が室内へと入ってくる。縄張りに侵入されて怒っているのか、鋭い牙を剥き出して唸っていた。


「外の奴らが戻ってきたか」

「この数なら余裕だ」


 ウィルが不敵な笑みを浮かべ、敵の眼前へと躍り出た。

 危なげなく戦いを進める彼とは別の亜人に斬り掛かる。振り上げられた刃が下ろされる前に間合いを詰めきり、喉に横薙ぎの一閃を刻む。


 続いて他の亜人が距離を詰めた。

 向かってきた亜人の顔を目掛けて、壊れた椅子を蹴り上げる。刹那、彼女も亜人との距離を詰める。

 亜人が顔を庇うように、眼前に飛んだ椅子を斧で防いだ。その隙に下段から脇を斬り上げ、左の腕を薙ぎ落す。流れるような動きで、さらに防具ごと心臓を一突き。

 突き刺した剣に重みが加わったことで、リサは亜人の死を悟った。引き抜いた剣を一閃し、ウィルへと目を向ける。


 彼も難なく亜人を倒したようだ。リサが倒した亜人を含め、四体が足下に横になっていた。

 二人は互いにうなずき合い、部屋から出ようとした。念のために通路をのぞいてみるが、亜人の姿はなかった。


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