プロローグ
何故か気がたかぶっていた。敵に囲まれたというのに、危機感どころか緊張感さえもなかった。
――問題ない。
心の中で呟く。
「なぁににやけてんだ、リサ?」
背を合わせる男に言われ、リサは一層口元を緩めた。
「おまえこそ、ずいぶんと楽しそうじゃないか」
「おまえと組むのは久しぶりだからな」
けど、と彼は続ける。
「欲をいえば、相手はもっと手強い方が面白い」
武装する異様な魔物たちを前に、相も変わらず口の減らない男だ。しかし彼ではないが、そうでなくては面白みに欠ける。
「倒してから言えよ、ウィル」
「なら、さっさと倒しちまおう」
軍刀を一閃し構える。
空気が変わった。
「行くぞ」
「ああ」
二人は同時に地面を蹴った。それを合図として、対峙する魔物たちも動いた。
正面から突撃してきた魔物が間合いに入った瞬間、リサは右の足を踏み込んで軌道を変えた。相手の袈裟斬りを避け、無防備な腕を薙いだ。さらに腰を捻り、振り向き様に一閃。
文字通り、血飛沫とともに魔物が項垂れた。
しかし、息つく暇はない。傾いだ身体を蹴り倒し、左右から襲い掛かる魔物を一瞥する。
先に躍り掛かったのは右の魔物だ。二振りの半円状の刀が予備動作で引かれた隙に、一歩踏み込んで防具の隙間から腹部を刺した。流れるような動きで、背後からの斬撃を弾く。続けて振られた二の剣は振り下ろした得物で叩き落とす。次いで膝の裏に蹴りを入れ、体勢を崩したところを斬り捨てた。
深呼吸ひとつし、リサは再度地面を蹴った。ウィルの背へと振り下ろされた二振りの斧を受けとめる。短柄の斧に鍔はないが、鍔迫り合いとなっては体格で劣るリサが不利だ。
彼女は水平に構えた剣の先をわずかに引いた。力の均衡が崩れた瞬間、二振りの斧を横へ受け流し、そして反対方向へと跳び退いた。
刹那、背後から伸びた切っ先が防具ごと亜人の鳩尾を貫いた。
ウィルが亜人の身体から剣を抜く。
「礼は言わねぇぞ」
礼くらい言えと口にしたのは彼自身だ。それなのに、何とも身勝手な男ではあるが、結局のところリサも言わなかったのだから、文句を言う口もなかった。
「いらない。けれど、当てにはするな」
愛刀を一閃し、鞘へとしまう。
リサの忠告に、ウィルは小さく肩をすくめるだけだった。
「怪我は?」
「こんな奴ら相手に、怪我しろって方が無理だ」
先程相手にしたのは、仮にも軍を騒がせている亜人という魔物だ。彼の腕は確かだが、慢心して良い相手ではない。
「油断して足すくわれるなよ」
「りょーかい」
本当に判っているのかと問い質したくなるような返答だ。覚えず、リサは溜息を漏らした。この男には、忠告するだけ無駄だった。
「――それにしても、数が増えてきたな」
獣道を進みながら、ウィルが口を開いた。
「ああ。もうすぐだ」
街を出て数刻が経つ。山を進むにつれ、亜人と遭遇する頻度はずいぶんと増していた。それだけ、彼らの根城に近づいているということだ。
「おまえも行ったことないんだよな?」
「魔物の駆除にしても、こんな山奥までは来ない」
魔物の駆除に借り出されたことはあるが、駆除範囲はあくまで街周辺だ。山をひとつ越えた先まで行くのは、駆除部隊の訓練くらいだ。
「それに最近はもっぱら、訓練兵の指導だったからな」
「教官だって?」
ウィルがにやりと揶揄の笑みを浮かべた。
「ノエルみたいに、鬼教官って言われてたんじゃないか?」
「そうかもな」
恩師の名を耳にし、リサは当時のことを思い出した。今になっても思うが、士官学校時代はずいぶんと無茶をしたものだ。ウィルいわく、鬼教官に何度も手合せを願い出て、そして返り討ちにあった。隣の男とともに。
とはいえ、容赦ない教官ではあったが、その姿を手本としていたのは事実だ。ならば、鬼教官と呼ばれていても不思議はない。
「けれど、もう教官の任からは外された」
「そりゃ、しょうがないだろ。おまえはまだ、問題児だからな」
む。
この男に問題児呼ばわりされるいわれはない。
「私が問題児なら、おまえもそうだろう?」
「否定はしないでおく」
忌々しい奴だ。
リサは胸中で毒づいた。
「けど、教官なんて似合わねぇよ。どっちかっていったら、こうして亜人相手にでも暴れてる方がおまえらしい」
「おまえと一緒にするな」
憤然と答えるが、彼女自身も理解していた。確かに、彼の言う通りだ。街の中で訓練兵の相手をしているよりも、いささか高揚していた。
リサは自嘲を漏らした。口では否定しても、結局は同じ穴の狢ということだ。
「――さっさと行くぞ」
歩く速度を上げる。獣道故に足下は悪いが、転ぶようなへまはしない。
二人は黙したまま足を進めた。やがて視界の先の森が途絶える。崖だ。
リサとウィルは切り立った崖の上に経つ。崖下の川をのぞき込むと、あまりの高さに内臓がうずいた。
「落ちたらひとたまりもない」
のぞき込むのをやめて、上流へと目をやる。
「あれだ」
リサは崖の一点を指差した。
切り立った絶壁に穴が開いていた。多少の水の浸食は見られるが、周辺の崖は綺麗に彫り込まれている。明らかに、人の手によるものだ。
「神殿、だな」
「ああ。亜人の根城だ」
言葉を裏づけるように、崖の穴から亜人が出入りしている姿が確認出来た。思いの外、数も多い。
「入るのも一苦労しそうだ」
「そうだな」
崖下の川にも亜人の姿がいくつもある。下りれば連戦は避けられないだろうが、亜人の駆除も任務のひとつだ。無論、生命の危険がない程度にだが。
――そもそも、二人でというのが危険だ。
実力を認めてくれるのは嬉しい。しかし、今回のような任務を押しつけられるのは考えものだ。上官たちも気を使うのであれば、もう少し違う気の利かせ方してもらいたい。
「ここで眺めてたってしょうがねぇよ」
互いの顔を見合う。
「行こう、ウィル」
「おう」
二人は拳を軽く突き合わせた。