簡単! 多文化理解のすすめ
最近、方言についての認識が、好ましい方に、劇的に変化している。
昔は方言について、「あまり人前で話すべきではないもの」という、とても悲しい共通認識があった。
特に年配の方などは、方言を恥ずかしいもの、正しくないもの、と認識していらっしゃる方が多い。
これは、言語統一による情報伝達の効率化を目論んだ、「方言矯正運動」も大きく影響している。
方言を話すと仲間はずれにされ、いじめられた、という悲しい事件もあった。これはもちろん現在でも、
その数こそ減っているが、なくなってはいない。だが、その状況が今日、変わりつつある。
最近の意識調査アンケートによれば、
「方言を使うことに対してどのように感じるか」という問いに対して、
60代以上では否定的な感情が圧倒的に多いのに対して、40代では否定・肯定半々くらいになり、
20代の若者に至っては、肯定的な感情が多数派となり、否定的な感情はごく少数にとどまった。
方言を持たない、いわゆる標準語を話す若者たちの中には、
「方言がないことが恥ずかしい」というような意見が多数見られた。これには、
全体的に能力の画一化を目指した教育方針から、個性や独自性を発揮させることを目的とする
教育方針に変化したことが、少なからず影響を与えているものと、私は判断する。
すなわち、今の若者は「自らの方言」を「自身の個性」と認識している、ということだ。
これは、社会にとって良い効果を生み出すに違いないと私は考える。
なぜなら、自身が確固たる主体性を獲得し、自己を確立させるのに役立つからである。
きちんとした主体性を持った若者が増えることは、社会の発展に大きく貢献する。
言葉と文化は密接に関係していて、相互に影響を及ぼし合っている、と私は思う。
それゆえに、用いる言葉が異なれば、異なる文化が形成されるのは当然だ。
異なる文化は互いを刺激しあい、切磋琢磨する。これは、それぞれの文化の発展を大きく前進させる。
さらに、身近に異なる文化が多数存在すれば、自ずから人間は「多文化理解」を獲得する。
グローバル化が急速に進む今日、異国の文化に触れることは日常茶飯事である。
それにいちいち戸惑っていては、始まらない。
多文化理解の精神があれば、自分と異なる文化に出会っても、
自文化至上主義(自身の文化こそが最も優れているとする思想の事)に陥ることなく、
相手の文化を尊重でき、様々な文化が共存する「多文化共生」につながる。
様々な主義主張を持った集団が、お互いの文化を尊重し、共存できる。
そのような光景が訪れたとき、
世の中に安らぎと穏やかさや、心の豊かさ等が満ちるだろうと、私は信じている。
どうだろう、たまには祖父母たちをを訪ねて、親愛を深めながら、
地域の方言や文化などを尋ねてみないかい?
きっと君の人生に大きな収穫を与えてくれるだろうと、私は思う。
君の地域の方言はどんなかな?
読んでくれてありがとう。




