獅子と魔術師
とりあえず試作品。アレク,王女に出会う。
「何で貴方なんかに言われて諦めなきゃいけないの」
その言葉にアレクサンドラ・リュッケルトははっとした。
アーストライアは小さくもなく,大きくもない国だ。軍事的に強くもない。始祖は同じなれど今は社会も文化も肌の色も髪の色も違う三部族が寄り集まって出来た国だ。いや、寄り集まらざるをえなかったといえば良いのか。穏やかな気候のお陰で安定している農業がこの国の経済を、いや、人間という部族の経済を支えていた。
でもいつからだろう、この国に“倦怠”とも“停滞”といえるような雰囲気が漂い始めたのは。きっかけならアレクはよく知っている。十年前に起きたこの娘の母親が起こした内乱だ。アレクにとって良き師匠であった叔父はあれで帰らぬ人となった。
「お、王女殿下、そのような言葉を申し上げたつもりは」
「黙れ。面を上げよ、魔術師アレクサンドラ」
顔を恐る恐る上げると,燃える様な紅い髪をした高貴な服装の娘がこちらを睨みつけていた。冴え冴えとした蒼色の目にアレクは震える。もしここで彼女の機嫌を損ねたら家族に危険が及ぶかもしれない。自分の命など惜しくはないが、家族に何かあったらと思うと恐ろしい。
「この国では始祖エルフ族に支配されていたときから女性が王位に就いたことはありませぬ」
そう言ってしまった自分を,アレクは恨んだ。広間に入り、その高貴な顔を目にしたときから気づいていただろうに、何故こんな失敗をしてしまったのか。
この娘は間違いなく獅子の性だ。ただの獅子ではない,群れの長を殺し、自分が長にならんとする若い獅子だ。
「私では無理だと?この国を支えるということは,この女の手では無理なのか?」
すい、と差し出された細い白魚の様な手。アレクは、こうなればやけだと息を吸い込み,なんとか答えを口に出した。
「恐れながら申し上げます,エリザベート殿下。その御手では何も掴めませぬ。針より重いものを持つことを知らぬ女の手では,この国は到底支えきれますまい。剣を持ったことの無い手で、手綱を握ったことの無い手では戦は出来ませぬ。イゾルデ様をお母上に持つあなた様ならばよくご存知でございましょう」
彼女はただ、正義感にとらわれ、反宰相派に祭り上げられ,そして滅んだ。決して悪気は無かったのだ、何も知らなかったのだと言うことを、アレクはよく知っている。しかし、アレクは彼女を恨んだ。世界で一番最初に自分の存在を認めてくれた叔父を奪った彼女を、アレクは恨んだ。
________恨みっぱなしだな、私は。
「母上のことを口に出さないで」
「ですが、手綱を握ることも剣を持つことも,今から学ぶことが出来ましょう」
その言葉にエリザは驚いた様な顔をして、そして微笑んだ。
「私にそれを教えてくれる?」
「お望みならば。私と貴方で証明しましょう」
もう過去を恨むのはやめだ。他人に悪意あるまなざしで見られるのに慣れた振りをするのもやめだ。どうしようもならない現実に、肩を落として諦めるのもやめだ。この王女様なら変えてくれるかもしれない。ならば全力で支援しよう。
「その話、俺も混ぜろ」
いつのまに入って来たのだろう、銀色の鎧を纏った騎士がにこやかに言った。
アレクは苦笑する。
「ベルトハウト殿,いいんですか?」
「無論だ。戦争論と護身術をやると言うのなら任せろ」
「失敗したらただじゃすみませんよ」
国家反逆罪は重罪だ。たとえそれが王族であろうとも。そして,あの宰相が国政を牛耳る現在,どのような行為も“国家反逆罪”と見なされる可能性がある。アレクたちがやろうとすることは火薬庫で手投げ弾をジャグリングして遊ぶ様なものだ。
「構わん。どうせ、人はいずれ死ぬのだ。ならば貴族の三男坊と言う立派な騎士にも立派な貴族にもなれぬ部屋住みと言う境遇に少しでも抗って死にたい。それに、貴婦人を守るのは騎士の役目だ。その貴婦人が望むことならば騎士が協力するのは世の習いだ」
「むちゃくちゃ言いますねえ、貴方」
「それくらい無茶を言わんとこれから先,やっていかれんぞ」
後に、アーストライアの大魔術師と異名を取った彼女,アレクサンドラ・リュッケルトはこの事を回想して,こう述べる。
あれこそが我が運命の転換点であった、と。