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4.おいパスタ、付け合せのくせに出しゃばるな (後編)




 唐揚げくんは”送る”と言ったけれど、一体どこまで送るつもりだろう。

 そう思っても、問いかけられる雰囲気ではなかった。なんというか、糸が張りつめたような空気といえばいいのか、唐揚げくんの表情が強張っていたのだ。

 とりあえず私としては玄関まででいい。というか、それが望ましい。

 そうしてひとまず、共に玄関まで歩んだ。そこで、ようやく私は気づく。

 ガラス製の自動ドアの向こうは、雨が降っていた。室内にいるとどうも忘れがちになってしまう。すっかり暗くなった世界に、照明の光を反射した水滴が地面を弾く。

「あの、唐揚げくん」

 二人で立ち止まった拍子に声をかけた。こちらに首を回らした彼に、言葉をつぐ。

「私、課に傘忘れたみたいなので……どうぞ先に帰ってください」

 この会社は、玄関に傘袋が用意されており、各々の傘は所属の課に設置される傘立てで保管する。だから、課までの往復時間を待たせるつもりはなかった。

 言葉を選んだつもりだが、嫌味がないよう聞こえただろうか。そんな不安をわずかに抱きながら、私より背の高い唐揚げくんを見上げる。

 きょとん、と目を数回瞬いた唐揚げくんは「あ」と呟いた。

「俺も忘れた」

 その声に彼の手元まで視線をおとすと、確かに傘を持っていない。車通勤ならば駐車場まで少し歩かねばならないし、電車通勤だとしても駅まで距離があるから、どちらにしても傘を社に持ってきているだろう。

 私と唐揚げくんは顔を見合わせ、失敗を誤魔化すように二人で苦笑した。



 エレベーターで数階昇り、廊下を歩く。

 それは、課の扉が見えた時だった。

 かすかに、人の声が反響する。本当にかすかな、誰のものかもわからない音で。

 なんとなく、歩調がゆっくりになった。

(まだ白飯課長が残ってるのかも)

 そう思うものの、今日は課で残業したのは、白飯課長と私、唐揚げくんだけ。

(……独り言?)

 それにしては声が大きい。ならば、電話でもしているのかもしれない。

 扉の取っ手に手をかけると同時に、なぜか唐揚げくんが眉間に深い皺を刻みながら私の手首を掴んだ。

「……な、なに?」

 どもってしまったのは、驚いたから――ということにしておいてほしい。

 心臓の鼓動が速まったのを感じながら、隣で真剣な眼差しを向けてくる唐揚げくんに困惑の色を示すことしかできなかった。

 彼が止めるには、なにかそれなりの理由があるのだろう。それでも取っ手から手を離さなかったのは……好奇心なのか、脳裏に過ぎった正体を確認したかったからなのか。

 扉の向こうの声は、判別できるような――どんどん甲高いものに変わっていく。明らかに女の声だった。

 唐揚げくんはなおも止めようと、私を見下ろす。けれど。私は、「大丈夫」と小さく笑みを返して少しだけ扉を開けた。


 明かりがわずかにだけ灯る室内。音は、雨と――女の嬌声、そして荒い息づかい。

 細く開いた隙間から室内を覗いた私は目を瞠りながらも、頭の片隅で(やっぱり)と思った。

 視界には、うつ伏せという体勢で机に身を預ける女。見る限り、課の人間ではないだろう。スカートは腰まで捲れ上がっていた。それだけでも状況はおおよそ想像がつくが、私は吸い寄せられるように続く人の影まで視線を移した。……彼女に背後から覆い被さる男は激しく腰を振っていた。

 時々洩れる声から、なんとなく”彼”ではないかと予想していたけれど、まさにその通り。

 ショックを受けたはずなのに、乾いた嗤いが喉までこみ上げた。それなのに、どうしてだろう。目が、熱い。視界がぼやけていく。涙が、溢れそうだった。

「行こう」

 目に溜まった雫が落ちるかと思った瞬間、唐揚げくんは握っていた私の手を自分へと引く。そのまま、扉を完全に閉めることができたか確認できないまま、彼に引きずられるようにして、もと来た道を辿った。



 帰るのかと思ったけれど、唐揚げくんが向かったのはファミリーレストラン。居酒屋とか、お酒を飲む雰囲気のところより気が楽だった。ここならば、傷心に慰められ、うっかり間違いを犯すような事態にはなり辛いだろう。

 雨の中歩いたから、涙はきっと気づかれていない……と、思いたい。ついでに雨水で目が冷やせたから、腫れてはいない。化粧崩れは既に諦めた。

 半濡れの状態で案内された席につく。

 まだ二十時前ということもあり、人は多かった。

 泣いた後、人目に晒されるのはご免でも、今は人恋しい。ならば友達に連絡すればいいのかもしれないが、彼女たちも仕事をしている身。平日気軽に電話していいものか、突然会おう、というのも申し訳なさを覚える。確かに親友の方が気が楽ではあるけれど、こうして付き合う姿勢を見せてくれる唐揚げくんの気持ちを無下にする必要もない、と今は思う。

 唐揚げくんは上着を脱ぐ。スーツの下はそんなに濡れていないようだ。対する私も上着を着ていたからそれに倣い、濡れた肌はハンドタオルで拭った。

「なにか食べよう、元気が出るように」

 優しく癒すように目を細めた唐揚げくんは、メニュー表を私に差し出す。

「ありがとう」と受け取れば、彼ははにかむように笑った。

(うわぁ……っ)

 唐揚げくんにこの言葉は失礼かもしれないが、かわいい、と思ってしまった。仕事中は沈着冷静だし、年に数回ある会社の飲み会でも、絡んでくる女性社員たちにそっけないイメージが強かったから、普段とのギャップが浮き彫りになった気がした。

 目の保養とばかりに凝視したかったものの、欲求を抑えて抑えてなんとか抑えて、気を逸らすため、かわりにメニュー表をじっと見つめた。


 ちなみに、注文した夕食はがっつり食べた。食欲が落ちることもないあたり、私の心はまだ元気らしい。おまけにデザートのアップルパイもいただいた。もちろん、ドリンクバーつき。

 アップルパイをつついていると、コーヒーを口にした唐揚げくんが言葉を紡ぐ。

「……知ってたんだ」

 主語が省かれていて、意味がさっぱりわからない。

 疑問符を浮かべているのに気づいたのか、返答を待たずして彼は続ける。

「和風パスタ、最近白飯課長に対してのみ態度が変わっただろ」

 とりあえず、それは思っていたことだから肯定の意を示して頷く。

 すると唐揚げくんは、苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。

「……あいつ、白飯課長に彼女を寝とられたらしい」

 私が思わず顔を上げると、嘆息しながら「そう、あいつから聞いた」と呟く。

 妙に納得してしまった。和風パスタさんの一方からしか聞いていないだろう唐揚げくんの言葉だったけれど、以前の和風パスタさんを思えば、唐揚げくんの言葉に不思議はない。

 ――それに、見てしまったから。

「……白飯課長が自主的に残業をしていたのって」

 言えば、唐揚げくんが目を伏せた。これが答えなのだろう。

 いつだって白飯課長は残業する際、誰よりも遅くまで残業していた。おそらく、そうすることで人目につかずして逢引を成功させていたのだ。

(メロドラマみたい)

 どこか他人事のように、心の中でぼやく。確かに他人事ではあるが、それまで恋にも似た憧れを白飯課長に抱いていたというのに。

 ――偶像崇拝。その言葉が脳裏を過ぎった。まさにこの言葉は今までの自分にぴったりだったのかもしれない。理想を勝手につくりあげて、勝手に崇めて、勝手に失望して。もしかしたら白飯課長からしてみても、いい迷惑だった可能性は否めない。

(……いい機会だったじゃない)

 心に空洞が空く感覚に寂しさを覚えながら、小さく自嘲した。


 結局、その後はドリンク片手に朝まで二人で過ごした。もちろん、ファミリーレストランで。そこは二十四時間営業だったから、雨がやむまでそこにいられた。

 まさか、唐揚げくんと朝日を拝む経験が一度でもあるとは思わなかった。さらに、会社が休みの日に唐揚げくんと一緒にいるなんて驚きだけど。

 とても、とても感謝している。

 ずっとだらだらと他愛もない話をして過ごした。唐揚げくんが、そうできる相手であることに驚愕しながら。

 文句も言わず付き合ってくれた彼は、素敵なひとだと、思った。




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