3.おいパスタ、付け合せのくせに出しゃばるな (前編)
――人は、一人一人が主人公。
そんな言葉を聞いたことがあるけれど、私の物語のヒーローは白飯。誰がなんといおうとこれは譲れない。そしてヒロインはまだ未定。
データ処理の最中、室内に男性特有の低い声が響く。今日は朝から雨が降っているから、その音にまじって私の耳に届いた。
集中したい作業をしていると、音に過敏になる。ゆえ、その声に苛立ってしまう私は心が狭いのかもしれない。それでも、ミスは防ぎたい。
つい、声の主を睨んでしまった。
課長席の前で、和風パスタくんが白飯課長になにかを訴えていた。仕事に関わることのようだが、声はもう少し抑えてほしい。「ですが」「それでも」という言葉を聞く限り、おそらく口論はまだ続くだろう。
溜息をつくことで心の蟠りを吐き出し、私は作業に戻ることにした。
和風パスタくんは、課の盛り上げ役的存在。年齢は唐揚げくんと近く、飲み会では二人が並ぶ姿をよく見る。唐揚げくんに近寄る女性社員の壁のようなのに、彼自身は親しげに彼女らと話す。明るくて陽気なひとだと思っていた。が、近頃はよく白飯課長を敵視するように絡む。
とりあえず私は白飯課長の味方だから、つい和風パスタくんを敵視してしまう。悪いひとではないとわかっているけれども。せめて声量はおとしてほしいものだ。
(付け合せのパスタなんぞ、唐揚げから染み出た旨みくらいしか取り柄がないくせに)
苛立ちを行動にとるように、勢いよく席を立ち、私は血の上った頭を落ち着かせようと給湯室へ向かうことにした。
給湯室には、社員がそれぞれ持参したマグカップが置かれている。
私のカップは白。シンプルに、白。イメージ崩壊もなにもない、無難な白。しかも税込み百五円で買ったものだ。
(こういうところにも女子力ってあらわれるよね……)
ちなみにキャベツさんのマグカップはペールピンク。
備え付けのポットの水を確認すると、一人分はあるものの、後の人の分がないから沸かすことにした。
その間、カップの中に持参した抹茶ラテのフレーバーを入れて待つ。給湯室に紅茶やコーヒー、砂糖とミルクは備品として用意されているけれど、好みに分かれるようなものは持参だ。自販機もあるものの、濃い抹茶ラテは自分で作るのが一番。
ただそうしているのもつまらないから、いろんな人のマグカップを観察することにした。
ナポリタンさんは水玉模様。色っぽい彼女は意外とかわいいものが好きなようだ。ガーリックパスタさんは一見シンプルだけれど、取っ手がハートになっているマグカップ。センスが光る。白飯課長はアルミ製。保温効果があるから、機能重視なのかもしれない。唐揚げくんは――。
探していると、ひょい、と一つマグカップがとられた。
私のマグカップと似た、でも一回り大きなそれ。
「なに飲むの?」
いつの間にやら隣にいた唐揚げくんが言った。彼が髪を揺らした拍子に香った爽やかなにおいは、シャンプーなのかコロンなのか、整髪剤なのか。
とにかく、その香りを感じるくらい近くにいることを実感して、思わず仰け反りそうになった。でも、それはそれで不自然だから、腹筋に力をいれてやり過ごす。
「私は抹茶ラテです」
「好きなんだ?」と問うから、正直に頷いた。
すると、「俺ももらっていい?」と彼が首を傾げる。驚いて目を瞬いてしまったが、問題ないからスティックを一つ差し出した。
「マグカップ眺めて何してた?」
「え」
見られていたか。少しばかり恥ずかしくなりつつ、「観察です」と苦笑する。ふーん、と喉を鳴らした彼だったが、突如一つのマグカップを指さしてくしゃりと笑った。
「さるぼぼ。これ、お土産かな」
つられて私も笑ってしまう。
「そうかも。あ、こっちは歴代首相マグ」
持ち物は個性や生活が滲み出てくるから、眺めていて楽しい。そうしてしばらく二人で笑っていると、時間はあっという間で、湯が沸いた。
マグカップに湯を注ぐ。
少しの沈黙の後、唐揚げくんが笑みをおさめて言葉を紡いだ。
「……和風パスタのこと、苦手? すごい眼力で睨んでたけど」
ばれてましたか、と複雑な私の胸の内。ばれているのなら隠しておくこともないかな、と思いながら、オブラートに包んだ正直な気持ちを口にした。
「……もう少し、声をおとしてほしい、かな」
和風パスタくんのことが嫌いなわけではない。白飯課長のこともあるから好きにはなれないけれど。こんな時、公私をしっかり分けられるナポリタンさんを尊敬する。
完成した抹茶ラテを持って席に戻ると、場は静かになっていた。なにやらよくわからないが、これで仕事に集中できる。
パソコンのキーボードを叩きながら白飯課長を窺い見れば、彼はいつもと変わらず、穏やかな表情をしている。反対に、和風パスタくんはかつての朗らかさは嘘のように、眉間に皺をつくって作業していた。
近頃和風パスタくんがよく白飯課長とぶつかるのを見る。以前はお互いに意見を尊重し、妥協できるところは妥協していたのに。どちらが正しいのかわからない。私はその問題の当事者ではないから。もしかしたらどちらも正しくないのかもしれないし、どちらも正しいのかもしれない。そもそも、答えはないのだろう。
それでも白飯課長の味方を心の中でだけでもしてしまうのは――。
やがて、終業のチャイムが鳴る。
今日残るのは、私と唐揚げくん、それに白飯課長だ。結構このメンバーで残ることが多い。唐揚げくんと白飯課長は仕事量が多いからだろう。私は切りのいいところまで終えて、次の日を迎えたい、という理由。そして残業は一定時間までしか残業代が出ないから、文句を言われることはない。
人数の少ない部屋では、物音がよく響く。
和風パスタくんと比べ、白飯課長は自ら残業をする。だから私は、彼を応援したくなるのだ。私もよく残業するから、一方通行な仲間意識。敬愛、仲間意識といった様々な私情ゆえに、心の中でだけ白飯課長を応援する。
しばらく作業に没頭していると、「そろそろあがろうか」と白飯課長が告げた。
時計を見れば、時刻は十九時。いつも平日は十九時、金曜日だけ二十時まで残業していたから、時間になったことを白飯課長が教えてくれたのだろう。彼はいつも私が帰る時間を憶えていてくれたのだ。そう思うと、嬉しくて心がこそばゆい。
締まりのない顔で「はい」と返事をして、片付けをはじめる。荷物の確認後に立ち上がれば、共に残っていた唐揚げくんも同時に腰を上げていた。
目が合った。
「送る」
傍まで歩み寄ってきた彼が、どこか緊張した面持ちでそう言った。