はじまり
こころなし冷たい秋風がさわさわと梢を揺らし吹き抜けて行く。
時折、甲高い鳥達の鳴き声が、それに重なり響き渡り、辺りの静けさを余計にを感じてしまう。
私の胸には懐かしさと共に、甘酸っぱいような寒いような『侘しさ』で、いっぱいになって行く。
童謡の『小さい秋見つけた』を、エンドレスで口ずさみながら歩く私の足元は、枯れ葉が深く積もっていて若干ふわふわと頼りない。
枯れ葉の下に少し大きな石でもあれば、バランスを崩して転んでしまったり、足をくじいたりもすることもある。
今のところ転びそうになったのは石では無く、硬い木の根が地面に瘤のように出ていたところだけだった。
下草はほとんど無く、遠くまで同じような景色が広がっている。
森とか山とか竹林とか、手入れをされているものとそうでないものの違いをあなたは知っているだろうか?
私もあんまり詳しいわけではないけれど、あきらかにここには人の手が入っている。
石がほとんど無い事も、下草がほとんど無い事も、長年に渡り石を拾い下草を刈って手入れをしてきた人間がいる事を指し示す。
それに、葉を落とした広葉樹とおぼしき、この雑木林の木々達は、ほとんど同一の太さで続いていた。
種類によっても樹齢による太さは変わるけど、明らかに人の手が入っている。
ふと気が付いたら見知らぬ場所に迷い込んでいた私が、多少の落ち着きを保っていられたのはそのせいだ。
人の手が入っているのであれば、このまま歩き続けていれば、どこかで人の住む場所に出るだろうし、いつか人に出会うはず。
気をつけるべきは、一見して人の歩く道のように見えてしまう細い獣道に迷いこまない事と、人の手が入っていない方向へは行かない事。
そう思っていたんだけれど、かれこれ歩き続けて数時間は経っている。
もう間もなく陽が暮れてしまう。
いい大人になってから迷子になるとは思ってもみなかった。
早朝、私は日課であるダイエットの散歩にでかけていた。
いつものように駅を過ぎ、線路を越え、河川沿いに設けられたサイクリングコースを歩いていた時。
住宅街にひっそりとした佇まいの、赤い鳥居を入口に構えた竹林に目が止まった。
初秋とは言え太陽はまだその日差しの熱さを失ってはおらず、ずっと歩いてきた私は暑くてしょうがなかったし、青々とした竹がびっしりと立ち並び、鳥居の赤さも相まって、よりいっそう涼しそうに見える。
恐らくは私道だろうけど、赤い鳥居があるのだからお稲荷さんでも祭っているんじゃないかな?
お稲荷さんにお参りしようと私は決めた。
それなら例え私道の持ち主に見とがめられたとしても、そんなに怒られたりしないと思う。
一歩足を踏み入れれば、思っていたように求めていた冷んやりとした清涼感に包まれた。
清涼感と言えばミントだけど、別にスースーするわけじゃない。
細かい霧のミストが顔にあたるような潤いに満ちた、やんわりと包み込むような冷んやり感。
森のマイナスイオンとか、いろいろな商品でよく目にするけれど、例えどんなに深い森の中でもここまでの潤いを感じるのは竹林ならではだ。
同じだけ潤いのある冷んやりは、深い森の滝壺のそばとかなら感じられるかもしれないけれど、ここまで肌辺りが柔らかくは無い。
祖父母の家の裏手の山の杉林の北側にある、蛍も夏には見られるちょっとした段差が滝のようになっている農業用水路のあたりの空気も肌触りは柔らかいけれど、竹林ほどではないんだ。
溜息をつきながら私は思う。
竹林は手入れをするのが大変で斬られちゃうんだろうな。
最近は全然見かけなくなったけど、タケノコは美味しいし、ウドなんかも竹林と相性がいいのか意外と取れたりもする。
本当にもったいないって思う。
確かにアスファルトの道路だろうが、ベタ基礎のコンクリだろうが、構わず頑張って生えてきちゃうんで大変だから、仕方ないかもしれないけれど…。
私は竹林が好きだ。
だから久しぶりに見かけたのもあって、つい踏み込んでしまったんだ。
後でとんでもない事になるとは思ってもみずに。
内部でところどころで折れ曲がっていた小道に、入口の赤い鳥居はもう見えなかった。
竹の幹と枝で作られた薄茶色の垣根がずっと続いている。
足元は誰かが掃除しているのか、黒い地面がところどころ見え隠れする程度にしか笹の葉は積もってはいなかった。
上を見上げても、竹林の中を透かして見ても、竹とその笹以外は見えず、内部はずっと薄暗く、小道はずっと細く長く続いている。
代わりばえのしない景色の中、だいぶ来たところで人が腕を広げた幅分ほど垣根が途切れており、小道の傍らに黒ずんで古そうな小さな木の祠があった。
その中には風雨に削られ元の形がよく分からないお地蔵さんのようなものが祭られている。
足元におはぎが2つ置かれていて、横には少し萎れた菊の花が数本、挿された花差しがあった。
お稲荷さんかと思っていたら、これって道祖神様だよね?
私は家を出た時からずっと握りしめていたペットボトルの水を、花差しへと少し足してあげた。
花のお供えをした人が水を持っていなかったのか、それともお供えが数日前であったのか、花差しの中に水が無かったのを少し可哀相に思ったから。
そしてふたをしたペットボトルを脇で抱え直すと、しゃがみこんで手を合わせた。
思いつく願いも無いので目を閉じて適当に祈り始める。
あなたに幸せが訪れますように。みんなが幸せになれますように。あ、あと、もしいろんな人に迷惑でなければ、この竹林を守ってください。そしたら私また来ますから。今度はお菓子でも持ってきますね。
満足した私が目を開きながら立ちあがった時、目の前にあったはずの祠は消えていた。
祠どころか、今まで歩いていた小道も、ずっと続いていた垣根も、青々とした竹林さえも。
狐に騙されたような気分とは、まさにその時の自分の心情だった。
あっけにとられて見回すも、周囲は秋の気配に満ちた雑木林の中。
枯葉色の光景。
葉を落とした広葉樹が青い空へとその黒々とした枝を伸ばしていた。