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連載版開始しました。
王立学園の卒業記念夜会。
天井から吊るされた巨大な魔石のシャンデリアが眩い光を放ち、色とりどりのドレスや豪奢な燕尾服に身を包んだ貴族たちを照らし出している。
王都でも限られた特権階級の者たちだけが集うその絢爛豪華な大広間の隅で、王都警視庁強行犯係の末端捜査官であるレオンは、死んだ魚のような目をしながら大理石の壁に寄りかかっていた。
(あー、帰りたい。ひたすらに帰りたい。王都駅前の限定激甘マカロンの賞味期限が切れてしまう……)
黒の地味な制服に身を包んだレオンは、華やかな貴族たちの談笑をBGMにしながら、内心で盛大にぼやいていた。
彼には前世の記憶がある。
かつての日本では、若くして名を馳せた天才犯罪心理学者だった。
それがどういう因果か、気がつけば剣と魔法が存在するファンタジー世界に転生していたのだ。
しかも、生前妹が狂ったようにプレイしていた乙女ゲームの世界に、である。
(魔法があろうが貴族がいようが、人間の嘘や犯罪の構造なんてものは前世と何も変わらないんだよな)
そんな達観した思考回路を持つレオンは、ゲームの主要キャラクターたちと関わる気など毛頭なく、日々の糖分補給だけを生きがいに、目立たないモブ捜査官としての平穏な日々を送っていた。
だが、その平穏は唐突に破られる。
「きゃあああああああっ!」
広間を見下ろす大階段のほうから、華やかな空気を切り裂くような少女の悲鳴が響き渡った。
(なんだなんだ、事件か?)
レオンが気怠げに視線を向けると、そこには乙女ゲームにおける見慣れたテンプレの光景が広がっていた。
大階段の下で、可憐なピンク色のドレスを着た少女がうずくまって泣いている。
このゲームの主人公であるマリアだ。
そして、階段の上には、燃えるような赤いドレスを身に纏った公爵令嬢セシリアが、表情を崩さずに立ち尽くしていた。
「マリア! 大丈夫か!」
群衆を掻き分けて駆け寄ってきたのは、王国の第一王子であり、マリアの熱烈な信奉者となっている王太子アルベルトだ。
アルベルトはマリアを抱き起こすと、階段の上にいるセシリアを憎悪に満ちた目で睨みつけた。
「セシリア! お前という女は、どこまで邪悪なのだ!」
アルベルトの怒声が広間に響き渡り、オーケストラの音楽がピタリと止む。
周囲の貴族たちは息を呑んで事の成り行きを見守り始めた。
「殿下……怖かったです……」
マリアはアルベルトの胸に顔を埋め、小動物のように震えながら涙を流している。
「私、ただセシリア様とお話をしようとしただけなのに……突然、隠し持っていたナイフでドレスを切り裂かれて、そのまま階段から突き落とされたんです……!」
嗚咽混じりに語られるその言葉に、周囲の貴族たちからセシリアに対する非難のざわめきが起こる。
「許さんぞ、セシリア! 嫉妬に狂ってマリアを殺そうとするとは、公爵令嬢にあるまじき恥知らずな凶行だ! 私とお前の婚約は今この瞬間に破棄する! そしてお前をこの学園から追放し、罪人として捕縛する!」
アルベルトの劇的な宣言。
まさに、乙女ゲームにおける断罪イベントのクライマックスである。
だが、少し離れた場所からその光景を観察していたレオンの目は、犯罪心理学者としての冷徹な光を帯びていた。
(おいおい、なんだあの三文芝居は)
レオンの目は、マリアがアルベルトの胸に顔を埋める直前の一瞬を、決して見逃さなかった。
マリアは確かに大粒の涙を流していた。
しかし、彼女の顔の筋肉、特に口角を引き上げる大頬骨筋が一瞬だけ不自然に収縮したのだ。
それは心理学的に見れば、悲しみや恐怖の表情ではない。
他者を陥れることに快感を覚える人間が、目的を達成した瞬間に見せる抑えきれない歓喜の微表情。
俗に言うデュシェンヌスマイルの欠如であり、典型的なサイコパスの反応だった。
さらに、プロファイリングの観点からも彼女の供述は異常だった。
突然ナイフで切りつけられ、階段から突き落とされたというパニック状態にあるはずの被害者が、自分の身に起きたことをあそこまで理路整然と、時系列順に、完璧な構成で語れるはずがない。
あれは明らかに、事前に用意された台本を暗唱しているだけだ。
一方、糾弾されているセシリアの様子もレオンの興味を強く惹いた。
彼女は泣き喚くことも、取り乱すこともなく、ただ冷ややかな目で眼下の茶番を見下ろしていた。
(あの令嬢、自分の置かれた状況を完全に客観視してやがる。とんでもなく肝の座ったお嬢様だ)
アルベルトが近衛兵に目配せをし、セシリアを捕縛させようとしたその時だった。
「あー、すんませーん。ちょっとそこ、現場保存お願いしまーす」
緊迫した空気をぶち壊す気の抜けた声と共に、レオンが群衆を掻き分けて二人の間に割り込んだ。
「なんだ貴様は! 私は王太子のアルベルトだぞ! 警備の分際で無礼であろう!」
激昂するアルベルトに対し、レオンは懐から警察手帳、もとい王都警視庁の身分証をペラリと提示した。
「王都警視庁強行犯係のレオンと申します。殺人未遂事件が発生したと聞いて飛んできました。殿下、ここは我々プロの捜査機関にお任せください」
「捜査だと? 犯人はそこにいるセシリアに決まっているだろう! 見ればわかる!」
「見ればわかる、ねえ。それは主観というものです。我々が信じるのは客観的なファクトだけですから」
レオンはアルベルトの怒鳴り声を柳に風と受け流し、しゃがみ込んでマリアのドレスの破れた箇所をじっと見つめた。
そして、制服のポケットから小さなルーペを取り出し、ドレスの断面を詳細に観察し始める。
「な、何をするの……っ。私、怖くて……」
マリアが怯えたように身を縮めるが、レオンは気にも留めない。
「マリア嬢、あなたはナイフでドレスを切り裂かれたと証言しましたね?」
「え、ええ……そうですわ。セシリア様が突然……」
「おかしいですね。他人に外側から刃物で切りつけられた場合、布の繊維は内側に向かって押し込まれるはずです」
レオンはルーペをしまい、冷ややかな視線をマリアに向けた。
「しかし、あなたのドレスの断面は、布の繊維が外側に向かって反り返り、不規則に引きちぎられています。これは他人に切られたのではなく、あなたが自分で布を強く握り、外側へ引っ張って破いたという科学的な証拠です」
「な……っ!?」
マリアの息が止まり、アルベルトも信じられないものを見るように目を見開いた。
「なにを馬鹿なことを! マリアは階段から突き落とされたのだぞ! 自分でドレスを破いて落ちる馬鹿がどこにいる!」
アルベルトの反論に対し、レオンはゆっくりと立ち上がり、大階段のステップを指差した。
「突き落とされた、ですか。では物理法則のお話をしましょう。人間が上から勢いよく突き落とされた場合、身体は放物線を描いて落下します。つまり、階段の上半分のステップには接触しないはずです」
レオンは階段を数段上り、二段目と三段目のステップを指差した。
「ですが見てください。ここにはマリア嬢のドレスの装飾品が強く擦れた跡がくっきりと残っている。放物線を描いて落下していれば、ここには絶対にぶつからない。これは、あなたが上の踊り場から突き落とされたのではなく、この安全な低い位置から自分で転がったという物理的な証拠です」
広間が水を打ったように静まり返る。
貴族たちはレオンの指摘と、階段に残された明らかな痕跡を交互に見比べ始めた。
「そ、そんなの……偶然です! 私は突き落とされた時に、必死に手を伸ばして……!」
マリアが甲高い声で抗議するが、レオンの追撃は止まらない。
「手を伸ばした? それは致命的な墓穴ですよ、マリア嬢」
レオンはマリアの両手首を軽く掴み、群衆によく見えるように持ち上げた。
「人間は予期せぬ落下をした際、無意識に手や腕を突き出して頭を庇います。これをパラシュート反射といい、その結果として手や腕に擦り傷、いわゆる防御創ができるのが医学的な常識です」
レオンが掲げたマリアの白い腕には、傷一つなかった。
「しかし、あなたの腕は無傷で、ドレスの背中部分だけが綺麗に汚れている。これは無意識の落下ではなく、自分の意志で、安全な姿勢をとってから転がった決定的な証拠です」
三つの圧倒的な客観的証拠。
微表情による心理学的な見立てから始まり、科学捜査と物理法則で外堀を埋め、医学的見地から完全に退路を断つ。
完璧な論破だった。
マリアの顔から悲劇のヒロインの仮面が剥がれ落ち、信じられないものを見るような驚愕と、計画を狂わされた憎悪の表情が浮かび上がる。
「さあ、マリア嬢。これだけの証拠が揃っているのに、まだセシリア嬢に突き落とされたと言い張りますか? 虚偽告訴罪は重罪ですよ」
レオンの冷徹な声が響く中、アルベルトは顔面を蒼白にして口をパクパクさせていた。
「マ、マリア……お前、まさか本当に自分で……?」
「ち、違います殿下! 私は……!」
もはや誰もマリアの言葉を信じていなかった。
周囲の貴族たちの目は、可哀想な被害者に向けるものから、恐ろしい自作自演を行った異常者を見るものへと完全に変わっていた。
形成不利と悟ったのか、マリアは一瞬だけレオンを忌々しげに睨みつけると、アルベルトの腕を振り解き、顔を覆って広間から逃げ出してしまった。
「ま、待ってくれマリア!」
状況を処理しきれないアルベルトも、後を追うようにして無様な姿で逃げ去っていく。
主役の二人がいなくなり、ざわめきだけが残された広間で、レオンは大きくため息をついた。
「あー、疲れた。貴重な糖分が脳から失われていく……」
レオンは乱れた髪を掻きながら、階段の上に立ち尽くしているセシリアを見上げた。
彼女は階段をゆっくりと下りてくると、レオンの目の前で足を止めた。
その美しい顔には、安堵よりも深い知性が宿っている。
「助けていただき、感謝いたしますわ。ですが、なぜそこまで私を庇ってくださったの?」
「庇ったわけじゃない。事実を並べただけです。それより、どうしてあなたは反論しなかったんですか? あれだけの言いがかりをつけられていたのに」
レオンの問いに対し、セシリアはふっと自嘲気味に笑った。
「証拠がなかったからですわ。感情で訴えかけても、あの愚かな殿下は信じない。無駄な労力を使うより、状況を観察し、反撃の機会を窺うのが理にかなっていますもの」
(ほう)
レオンは目を細めた。
絶体絶命の状況下でパニックにならず、感情ではなく論理を優先できるその冷静さ。
この感情先行のファンタジー世界において、彼女のような存在は極めて稀有だ。
それに、彼女は階段の二段目と三段目にマリアが接触した瞬間を、正確に視認していたはずだ。
でなければ、レオンが検証を始めた時に、あそこまで迷いのない視線を階段に向けていなかっただろう。
映像記憶に近いほどの観察力と記憶力を持っているのかもしれない。
「いいですね。魔法や身分が幅を利かせるこの世界で、ファクトを見られる人間は貴重だ」
レオンは、王太子に恥をかかせたことで実家から勘当されるであろう彼女の未来を容易に予測した。
「公爵令嬢殿。行く当てがないなら、俺のところで働きませんか?」
「……はい?」
突然の提案に、完璧だったセシリアの表情が初めてポカンと崩れる。
「俺は現場の証拠集めは得意ですが、書類仕事と私生活が絶望的にポンコツでしてね。君のその無駄に疑い深い性格と冷静な頭脳は、俺の助手にぴったりだ」
レオンはそう言って、ニヤリと笑いながら右手を差し出した。
「糖分補給の……じゃなかった、真実を追求する捜査のパートナーとして、どうです?」
セシリアは呆れたようにため息をついた後、仕方ないというようにレオンの手を優雅に握り返した。
「……身の回りの世話まで押し付けられそうな嫌な予感がしますけれど、助けていただいた恩は返さなければなりませんわね」
こうして、魔法の世界に科学と論理を持ち込む異端のモブ捜査官と、居場所を失った悪役令嬢の奇妙なバディが誕生したのだった。
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次回お楽しみに。




