8
両親が相次いで亡くなり、天涯孤独になった前田玉藻。飼い犬のサクラが道に飛び出したので助けようとして、トラックにはねられた。そこで神様に会う。九尾の狐が帝をたぶらかして国に災いを起こすのを防げば、再び現世に戻れるという。目が覚めると、九尾の狐に転生していた。これって楽勝じゃない。
玉藻は桜を伴って離宮へ向かった。そこには帝の姿、そして――安倍泰親。
「……え?」
思わず声が漏れる。
だって、イケメンじゃん。
いやいや、待ってほしい。
私の頭の中にあった安倍泰親像はこうだ。変態。覗き魔。夜な夜な女湯を透視してニヤけてるようなキモ陰陽師。
――が、目の前に立つ彼は全然違う。
噂通り冷静沈着、頭脳明晰。式神の扱いは群を抜いている。帝からの信頼も厚く、朝廷内での評判も高い。
そして――この顔。
「……うっわ、変態なのに顔はいいわ」
自分で言いながら、なんか悔しい。
もっとこう、声をかけただけで女性が逃げていくタイプを想像してたのに。
安倍泰親は玉藻を見て、喜びで震えた。
「……この女か。わしを罵倒した玉藻――想像していたより、ずっと美しい。妖艶で、しかしどこかはかなげで、守ってやりたくなる。」
サクラを見て、泰親の眉が少し上がる。
「それにしても、この犬……いや女性……サクラとか言ったな……わしに歯型と唾液までつけた女性……好ましい」
帝は静かに二人を見つめていた。
「これが……噂の玉藻殿か」
確かに、噂にたがわぬ美しさ。
ただ媚びる女なら見飽きたが、この女は違う。帝に向かっても、少しも愛想を振りまこうとしない。その冷ややかで凛とした態度は、むしろ新鮮だった。
(……ふむ。どうやら視線は、わしではなく泰親に向いているようだな)
泰親もまた、珍しく玉藻に意識を奪われている。互いにけん制しつつも、心は明らかに動いている――そんな様子を、帝は見逃さなかった。
「真に実力ある者は、同じく実力ある者に惹かれるものか……」
帝は表情を変えないで、心の中で呟いた。
そして、肝心の鬼退治の依頼はというと――二人は揃って上の空。
「……そなたら、聞いておるのか?」
帝はふと、自分の胸の内にざらついた感情を覚えた。
「……これは、嫉妬というものか?」
帝にとって、女が自分になびくのは呼吸のように当然のことだった。美貌も、権力も、血統も――すべてを兼ね備えたこの身に、拒む者などいないはず。
だが、目の前の玉藻は違った。
その瞳は、ただ泰親だけを追っている。
弟子のサクラもまた、玉藻に忠義を尽くすのみ。帝には目もくれない。
(……なぜだ。わしは帝ぞ?)
帝は生まれて初めて理解する。
「すべての女が自分を仰ぐ」――そんな当たり前は、玉藻の前では通じない。
帝は袖を払うと、そっと笛を口にあてた。
その旋律は澄み渡り、まるで月光をすくい取ったかのような美しさ。帝は「笛の名手」と称されるだけあって、その音色は人の心を掴んで離さない。
(この音を聞けば、玉藻もわしの想いに気づくはずだ――)
帝の笛の音は、夜の静けさに澄んで響いた。
玉藻はその音色を聞くうちに、不意に胸が締めつけられる。
――父がよく吹いていた口笛。
――母がその隣で、穏やかに笑っていた光景。
忘れかけていた日常の記憶が、鮮やかに蘇る。
頬をつたう涙。
帝はそれを見て、満足げにうなずいた。
「ふふ……わしの笛が、ついに玉藻の心を揺らしたか」
勝った――帝はそう確信した。
玉藻の頬を伝う涙。
その儚げな横顔に、泰親は息を呑んだ。
(なんと……この玉藻殿は、泣き顔すらも美しい)
罵倒され、唾を浴びせられたあの時でさえ心を奪われたのだ。
だが今、目の前で見せられた涙は、泰親の胸を深く貫いた。
――守りたい。
――この人を二度と泣かせたくない。
泰親の心は、さらに玉藻へ傾いていった。
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