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藁男がそっと針を抜いた瞬間――
カクンと人形の身体が震え、次の瞬間、か細い声がした。
人形「……ありがとう。
針を抜いてくださった方の、お名前をお聞かせくださいな……」
藁男は飛び上がらんばかりに驚き、思わず後ずさる。
藁男「な、なんだよ、お前……!
お前は誰に創られたんだ?」
ゆっくりと首だけをこちらに向ける不気味な布人形。
目はつぶらなのに、奥の奥まで見透かされているようで、玉藻たちも息を呑んだ。
人形「私を作ったのは……ハイチの、とても有名な魔術師よ。
精霊の息を吹き込むことで、人に寄り添い、守り、そして……時に呪うこともできる者。」
藁男はさらに眉をひそめ、声を潜める。
藁男「じゃあ……岸本玲奈が作ったんじゃないのか?」
人形「ふふ……違うわよ。
あの女がしたのは――“針を刺した”だけ。
私の本来の力の意味も、知らずにね。」
その言葉に、場の空気が一瞬で凍りついた。
玉藻が、小さくかすれた声で呟く。
「……つまり、この人形は“本物”の呪物……」
人形は、針を抜かれたことでようやく落ち着いたのか、喋り出した。
人形「本物の呪物――といってもね、誤解しないでほしいの。
私は“身に着けていると幸運を運んでくれる”タイプの人形なのよ。呪いの人形なんて、ほんとうに失礼しちゃうわ。」
玉藻、サクラ、志保、隼人、藁男、ヒイラギの視線が一斉に人形に集まった。
人形「見て、この色。私は“ピンク”。
ピンクの私はね、“恋愛・結婚”の願い事を叶えるのよ。
本来の持ち主に幸せを運ぶのが私の役目なの。」
サクラがぽつりと呟く。
サクラ「えっ……恋愛成就の……人形っすか?」
人形「そうよ。だから針なんて刺されたら、そりゃあ怒るわよ?
でも、ご安心なさって。針を抜いてくれたあなた方には、危害は加えないわ。」
藁男は頭を掻きながら、人形をまじまじと見た。
藁男「呪いどころか……“幸せの人形”だってのか?
じゃあ、岸本玲奈がしたのって……」
人形「ただの“無知な嫌がらせ”。
私の力なんてまったく理解してなかったわ。
おかげで私は長いこと気分が悪かったのよ。」
玉藻は小さく息をつき、眉を下げた。
玉藻「……なるほど。呪物とはいえ、悪い存在じゃなさそうね。
それにしても、恋愛運の……ピンクの人形……」
サクラは、どこか複雑そうな顔で人形を見つめた。
サクラ「じゃあ……この人形が来たのって……
隼人さんの“恋愛運”に関係してるってことっすか?」
人形は意味深に微笑んだ。
人形「さて、どうかしら。
でも“必要な人のもとへ行く”のが、私たちの役目なのよ。」
ピンクの人形は、ちょこんと座り直すと、さらりと言った。
人形「でもね、私もやられっぱなしでは気がおさまらないの。
だから――岸本玲奈の“恋愛・結婚運”は、下げておくわ。
本人は、気づかないと思うけど。」
志保は顔を引きつらせた。
志保「……それって、ある意味いちばん恐ろしい“呪い返し”じゃない?」
人形「呪いじゃないわ。
“因果応報”よ。やった分だけ返るのは当たり前でしょう?」
藁男が思わず口を挟む。
藁男「……いや、普通に呪い返しっぽいけどな……」
そんなやりとりの最中、隼人は静かに立ち上がった。
表情はいつになく真剣だった。
隼人「……明日、縁切寺に行くよ。
玲奈との縁は、完全に断ち切っておかないと。」
志保「お兄ちゃん、それがいいと思うよ……」
隼人「これ以上、家族に迷惑をかけられないし、
玲奈の執念は……もう普通じゃない。
“縁”そのものを切ってこようと思う。」
お読みいただきありがとうございました。




