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岸本玲奈は、薄暗い部屋で小さく舌打ちした。
「丑の刻参りは、まだ効果出ないわね……。
ほんと使えないわ、藁人形って。三浦隼人、今日も元気に転売バイトしてるし。
めんどくさい割に成果ゼロって、どういうことよ」
画面越しに見える三浦隼人のSNSは、今日も平和そのもの。
少し前に1週間ほど更新しなかったから、呪いが効いたかもって、わくわくしたけど、ぬか喜びだったわ。
深夜に神社へ行った努力が報われないことに、苛立ちが募る。
玲奈は長い髪を指に巻きながら、ぽつりと呟いた。
「次は……蠱毒、試そうかな」
その言葉が漏れた瞬間、部屋の空気がわずかに冷えた。
机の隅に置かれた瓶――中には、彼女が“趣味”で飼っている毒虫たちがうごめいている。これだけの虫を集めるのは、結構大変だった。虫と言っても、蛇やら蛙もいるから、蛇が残るに決まってるじゃない。
玉藻の周りでは、何事もなく穏やかな日々が過ぎていく。
玉藻は放課後や休日を使って、こっそり岸本玲奈の動向を探っていた。
新興宗教の活動、信者の増減、SNS……できる範囲で調べてみたが、
──奇妙なほど動きがない。
新たな呪詛の形跡もなく、信者の間でも特別な噂は流れていない。
まるで玲奈自身が息を潜めているかのように、沈黙していた。
サクラも心配して時々声を掛ける。
「れ、玲奈ってやつ、本当に大人しくしてるんすか?」
玉藻は首を小さく振った。
「動きはない。でも……静かすぎるのよ。
呪詛を扱う人間は、何もしない時ほど“何か”仕込んでることが多いの。」
サクラは肩をすくめた。
「嫌な沈黙っすね……」
玉藻自身も胸の奥に小さな棘のような不安を覚えていた。
ただ一つ確かなのは、
岸本玲奈が“手を止めるタイプではない”ということ。
晩秋の空は高く澄み、街路樹の葉は赤や金に色づいている。
そんな季節の変わり目——玉藻は、久しぶりに友人の三浦志保とお茶をしていた。
「玉藻ちゃん、この前言ってた映画さ、やっと観たよ。めっちゃ泣いた!」
志保はいつも通り明るく笑っていた。
……なのに。
玉藻はふと、志保の肩口あたりで揺らめく“何か”に気づいた。
黒い。
煙のようで、影のようで……細い糸が志保の背から垂れているようにも見える。
(……呪的干渉? いや、まだ発動前の“兆し”……)
玉藻の胸に、冷たい感覚が降りた。
志保本人はまったく気づいていないらしく、ホットティーを飲んで幸せそうに目を細めている。
玉藻「……志保、最近さ。誰かに絡まれたり、変なDMとか来てない?」
「え? えーと……うーん? あっ、なんか知らないアカウントから“彼氏いるんですか?”って来たけど、気持ち悪いからブロックした~」
玉藻(違う、それだけじゃない)
黒い靄は志保の肩に絡みつき、じわりじわりと濃度を増している。
発動したら……普通の人間じゃ耐えられない。
志保は気づかず、楽しそうに話している。
その横で、玉藻は静かに息を吸った。
(……誰? 志保に呪詛を飛ばすなんて)
黒い靄は、玉藻の目にははっきりと“怨念型”の性質を帯び始めていた。
そして玉藻は、すぐに思い当たるひとりの名前を思い浮かべる。
——岸本玲奈。
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