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黒い靄が、ふっと風に溶けるように消えた。
沈黙が、境内を包む。
やがて、隼人がゆっくりと顔を上げた。
その瞳に、先ほどまでの狂気の光はもうない。
「……みんなが、助けてくれたんだね。ありがとう」
その言葉に、志保が目を潤ませて駆け寄る。
「お兄ちゃん……戻ったの? 本当に?」
隼人は小さく頷き、疲れたように笑った。
「……ああ。頭の中にいた“あいつ”が消えた。ずっと、呪いの言葉を吐き続けてた奴が、ようやく」
彼は額に手を当て、ゆっくりと息を吐く。
「憑かれてる間は……本当に最悪だった。最初はただ、誰でもいいから傷つけたくなったんだ。理由もなく、誰かの悲鳴を聞きたくて……」
志保の顔が青ざめる。玉藻は静かに視線をそらさず、黙って聞いていた。
「次に、殺したくなった。どうしてそんな衝動が湧くのか、自分でもわからなかった。でも、それと同時に……猛烈な自己嫌悪が襲ってきてさ。『俺なんか死んだ方がいい』って、ずっと頭の中で声がしてたんだ」
彼の指が震えている。
その指先を、志保がそっと握った。
「……もういいの、お兄ちゃん。もう、終わったから」
玉藻は目を閉じ、微かに頷く。
玉藻 「本来なら、わら人形を焼いて浄化すれば、終わるはずだった。しかし、サクラと縁が繋がってしまった。サクラと繋がったということは、私も無関係ではいられない。仕方ないわね……サクラが藁男を使い魔として契約するしかない。」
サクラ「へっ!? ちょ、ちょっと待つっす! なんでウチがそんな厄介なのと繋がんなきゃならないんすか!?」
玉藻は淡々と、しかしどこか観念したように言った。
「もう手遅れよ。名を与えた時点で“縁”は結ばれている。名付けは祝詞にも呪にもなる」
サクラ「だ、だって、ノリで言っただけっすよ!?」
藁男「いやぁ~、母さんのノリのおかげで俺、こうして立派な怪異になれたっすwww」
サクラ「うるさいっす!笑ってんじゃねぇっす!」
玉藻は長いため息をつき、指先を軽く鳴らした。
その瞬間、空気が変わる。黒い靄が渦を巻き、藁男の体に小さな符の紋が浮かび上がる。
「――契約符、結印完了。これであんたはサクラの使い魔。暴走したら、サクラの魂が抑えをかける」
サクラ「はぁ!? ウチの魂って、そんなブレーキみたいに使えるもんじゃないっす!」
玉藻「使えるようにしておいたの。さっき私が術を繋いだ時点で、もう構造は出来てる。あとは、お前が“母として”責任を取るだけ」
藁男「サクラ母さん、あったかいっす……心がくすぐったいwww」
サクラ「や、やめろっ! 変なこと言うなぁぁぁ!」
志保は目を丸くしてそのやり取りを見つめ、ぽつりと呟く。
「……この人たち、本当に呪いを解いてるんだよね?」
玉藻は少しだけ柔らかい声で続けた。
「サクラ、これで藁男は“呪い”じゃなく、“使い魔”になった。もう誰かを呪うことはできない。でも、霊的な異常を察知したり、記憶の残滓を探ることはできる。監視と探索の役を担わせるのよ」
サクラは渋々と腕を組んでため息をついた。
「……ったく。未婚なのに厄介な子供ができたっす」
玉藻「文句言うなら、名付けなきゃよかったのよ」
サクラ「ぐぬぬ……」
藁男「母さんの“ぐぬぬ”かわいいっすwww」
志保と隼人の緊張が、ふと笑いに変わる。
けれど玉藻の表情はまだ鋭かった。
「――藁男、しばらくはここで私たちの監視下に置く。もし“呪い主”の名を掴んだら、すぐ報告しなさい。これは命令よ」
藁男は、黒く濁った目で、ゆっくりと頭を下げた。
「了解っす、玉藻おばさん。母さんのためにも、ちゃんと働くっすwww」
玉藻「……笑うなと言ってるでしょう」
夜の廃神社に、風が通り抜けた。
黒い靄は薄れ、“新しい縁”が結ばれていた。
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