表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
64/84

64

「ねぇ、玉ちゃん……ちょっと、相談してもいい?」


 放課後の校門。

 部活帰りの三浦志保が、夕焼けの影の中で玉藻の袖をつかんだ。

 いつもは明るく、後輩からも頼りにされている志保が、今日は妙に沈んでいる。


「どうしたの? 志保ちゃんがそんな顔するなんて珍しいじゃない」


 玉藻が軽く首をかしげると、志保は唇を噛み、言葉を選ぶように小さく息をついた。


「……兄の様子がおかしいの。肝試しに行ってから、まるで別人みたいで」


「別人?」


「うん。夜になると、誰かと話してるみたいな声がするの。母が部屋をのぞいたら、“来るな”って叫ばれたらしくて……。あの兄がそんなふうに怒鳴るなんて、信じられない」


 志保の兄――大学生で、普段は温厚で優しい性格。

 副業でネット転売をしていると言っていたが、それも趣味の延長だった。

 だが、今は何かにとり憑かれたように無言でパソコンを睨みつけ、時折うわ言のように誰かと話しているという。


「お祓いに行こうって言っても、絶対に行かないの」

 志保は俯いたまま、手のひらをぎゅっと握りしめた。


 玉藻は黙ってその手を見つめる。

 黒い靄が微かに憑いてる。

 おそらく志保の兄に憑いている黒い靄が、志保の手に移ったのだろう。


「……志保ちゃんの家って、西陣のほうだよね?」


「うん。昔ながらの町屋。両親と兄の四人暮らし」

「わかった。今から行こうか」


「えっ、でも、もう暗くなるし……」

「大丈夫。少し気になるの。早い方が良い」


 玉藻はポケットから携帯を取り出し、ひとりの名前に指を滑らせた。

 ――サクラ。


『もしもし、サクラ? 今から友達の家に行く。お兄さんが肝試しのあと別人みたいになったらしいの』


『了解っす。私も行く。犬の姿のほうがいい?』


『それはだめ!目立たないように。携帯に住所送るね』


『OK、すぐ行くっす!』


 通話を終え、玉藻はふっと笑みを浮かべた。

 その微笑みは、どこか人ならぬ静けさをまとっていた。


「志保ちゃん、大丈夫。ちょっと見てみよう。お兄さん、きっとまだ戻れるわ」


 玉藻と志保は、細い路地を抜けて志保の家の前に立った。

 目の前の町家は、典型的な織屋建おりやだての京町家。西陣に多く残る、糸を織ることに最適な造りだという。


 夕暮れの西日に照らされる町家の前で、玉藻はふっと息を止める。


 ――澱んでいる。


 視覚ではなく、肌で感じる空気の重さ。

 微かに腐ったような匂い、埃のようでありながら生気を吸い取るような感覚。

 玉藻は無意識に背筋を伸ばした。

 これは、ただの人間の感情や疲労ではない。

 志保の兄が、何か良くないモノを連れてきてしまったに違いない。


「……玉ちゃん」


 小さな声で呼ぶ志保の顔も、少し青ざめている。

 玉藻は静かに頷き、視線を家の隅々に巡らせた。


 まだ家に入っていないのに、見える。

 あちこちに黒い靄が漂い、まるで人影のように形を変えて揺れている。

 風で揺れるように見えるが、風はほとんど動いていない。

 それぞれの靄が、内部の何かを覗き込んでいるような気配を放っている。


「……これは……」


 まだ一歩も家に入っていないのに、既にここはただならぬ場所だと告げている。


 志保は小さく唇を噛み、視線を床に落としたまま固まっている。


「お兄さん……本当に、大丈夫かな……」


 玉藻は一瞬、微笑みを浮かべる。

 いや、笑みではない。

 冷静に、何をすべきかを即座に判断するための表情だ。


「大丈夫。私たちで確かめる。」


 しかし、心の中では警戒が張り巡らされる。

 黒い靄は、家の中から溢れ出ている。

 この先、家の中に踏み込めば――間違いなく、さらに濃く、まとわりつくように玉藻を包むだろう。


 玉藻はゆっくりと息を整え、志保の肩に手を置く。

「行こう。お兄さんの部屋まで」


お読みいただきありがとうございました。☆押して頂けると励みになります。よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ