表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/78

57

 放課後。

 夕暮れの光が差し込む剣道場の隅、大神蓮はスマホを手にして固まっていた。

大神蓮は、スマホの画面をじっと見つめていた。

そこには「玉藻」から届いた一通のメッセージが表示されている。


『妹が剣道をしているので、大神くんの話を少し聞きたいと言っています。今度、会ってもらえますか?』


短い文章なのに、何度も読み返してしまう。

胸の奥がふっと沈み、指先に力が入らない。


(……妹? サクラ、って言ったか)


期待していたのは――玉藻本人からの“想いの返事”だった。

ほんの少しでも、自分への気持ちがあるなら、そういう形で返してくれるかもしれない。

そんな淡い期待があったのだ。


けれど現実は、妹のためのお願い。

彼女自身の想いではない。


(……そうだよな。俺なんかに、そんなはず……)


苦笑がこぼれる。

けれど、不思議と腹は立たなかった。

拒まれたわけじゃない。

“会いたくない”と切り捨てられたわけでもない。


それだけで、なぜか少し救われた気がした。


(妹さんが剣道をしてるのか……)


想像してみる。

玉藻とは正反対に、活発で元気で、笑顔が似合うタイプだろうか。

稽古で竹刀を振っている姿が自然と浮かんだ。


(子ども相手でも、まあ……いいか)


誰かに剣道を教えるのは嫌いじゃない。

それに、玉藻と繋がる“きっかけ”があるなら、それだけで十分だ。


大神はスマホを握り直し、深呼吸してから指を動かした。


『もちろん大丈夫です。週末なら時間を合わせられます。場所はどこがいいですか?』


送信ボタンを押す。

ほんの一秒の沈黙のあと、“送信しました”の文字が表示された。


その瞬間、胸の奥に小さな波紋が広がる。

期待を捨てきれない自分に、苦笑いが漏れた。


(……結局、俺はまたあの人に会いたいだけなんだな)


窓の外では、夕陽が沈みかけていた。

剣道の稽古で痛んだ手のひらを見つめながら、蓮は小さく呟いた。


「週末、か……」


ほんの少しの希望と、名前も知らない妹への興味。

そのどちらが強いのか、自分でもよくわからなかった。

 

 週末の午前。

 春の陽射しがやわらかく降り注ぐ駅前。


 玉藻はサクラと並んで立っていた。

 待ち合わせの場所は――前に、泰親と会ったあの場所。

 ベンチの横には、今も同じ時計台。

 その音が、かすかに胸を打つ。


(なんだろう……この感じ)

 玉藻は足元を見つめながら、静かに息をついた。

 懐かしいような、少し切ないような。

 あのときとは違う季節なのに、風の匂いはどこか似ていた。


 サクラはそわそわと落ち着かない。

 制服ではなく、白いパーカーにジーンズというラフな格好。

 頬はほんのり紅潮している。


「ねえ、おねーちゃん。どんな人なんすか、大神くんって」

「剣道が強くて……まっすぐな人、かな」

「まっすぐ、かぁ。楽しみっす!」


 その笑顔がまぶしくて、玉藻は思わず目を細めた。

 サクラがこんなに誰かに会いたがるなんて、本当に珍しい。

(……やっぱり、サクラにとって運命の人なのかもしれない)


 時計の針が約束の時間を指したころ、

 人混みの向こうから一人の影が近づいてきた。


 大神蓮。

 背が高く、日焼けした肌。

 黒のジャケットの下に、ラフな白シャツ。

 姿勢がよく、歩き方にはどこか武道家らしい静けさがあった。


 サクラは、息をのんだ。

 その香りに、胸の奥がざわつく。

 あたたかくて、懐かしくて、泣きたくなるような――そんな匂い。


「おねーちゃん……この匂い、知ってる」

「え?」

「ずっと探してた匂い……間違いない。あの人だ」


 サクラの声が震えていた。

 その瞳はまっすぐ大神を見つめている。


 玉藻は胸の奥がひやりとした。

(まさか……本当に)


 大神が二人の前に立ち止まる。

 軽く頭を下げ、少し照れたように笑った。


「はじめまして。大神です。……妹さん、だよね?」


 大神は駅前に立つ二人を見つけた瞬間、足が止まった。

 春の風が吹き抜け、花びらが舞う。

 その風に乗って、ふっと――あの匂いがした。


(……この香り)


 胸の奥が熱くなる。

 懐かしくて、切なくて、心臓の鼓動が跳ね上がるような香り。

 初めて玉藻とすれ違ったとき、感じたあの“運命の匂い”。


 だが、今はっきりわかる。

 その香りは――玉藻ではなく、隣に立つ少女から漂っている。


 大神の視線が自然とサクラに向いた。

 彼女もまた、大きな瞳でまっすぐこちらを見つめている。

 一瞬、時が止まったように感じた。


(なんで……この感覚)


 喉が乾く。

 遠い昔、誰かを守り抜いた記憶の残響のような――。

 魂が覚えている、としか言いようのない感覚。


(じゃあ……あの時、玉藻さんから微かに感じたのは)


 思考がゆっくり繋がっていく。

 玉藻から漂っていた“懐かしい香り”――

 それは、妹のサクラの匂いが移っていたのかもしれない。


(……そうか。俺が惹かれていたのは、最初から……)


 胸の奥で、何かが静かに弾けた。

 春風がまた吹き、三人の間を通り抜けていく。


 玉藻が穏やかに微笑んだ。

「大神くん、妹のサクラです。……会ってくれてありがとう」


「は、はじめまして!」

 サクラは緊張しながらも、しっかりと頭を下げた。


 大神はその姿に言葉を失った。

 懐かしさが、胸を締めつける。

 ずっと探していた何かに、ようやく触れたような気がした。


「……こちらこそ。会えて、よかった」


 その声はかすかに震えていた。

 玉藻は二人の様子を見つめながら、胸の奥で静かに思う。


(やっぱり……この二人、どこかで繋がってる)


 風の中に、古い魂の記憶が微かに呼吸していた。

お読みいただきありがとうございました。☆押して頂けると励みになります。よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ