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55 大神蓮

 入学式の朝。

 春の風が校庭を抜け、桜の花びらが舞っていた。


 大神蓮は校門の前で立ち止まった。

 新しい制服の襟を軽く整え、ふと鼻先で風を嗅ぐ。

 ……懐かしい匂いがした。


(なんだ、この感じ……)


 桜でもない。柔軟剤でもない。

 もっと深い――胸の奥をざわつかせるような匂い。


 視線を向けた先、人の波の中に一人の少女がいた。

 白い光に包まれたような雰囲気の女子生徒。

 彼女が歩くたび、風が柔らかく流れる。

 蓮は一瞬、息をのんだ。


(……あいつ、誰だ)


 心臓がどくんと鳴る。

 初めて見るはずなのに、なぜか懐かしい。

 遠い昔、何度も守りたいと思ったような――そんな衝動。


「おーい、蓮! 早く行かねーと遅刻すんぞ!」

 クラスメイトの声に我へ返る。


「……ああ、悪い」


 そう答えながらも、彼の目はその少女――玉藻を追っていた。


 その日から、大神蓮の心は落ち着かなくなった。

 授業中も、放課後も、気がつけば彼女の姿を探している。


(なんでだよ。知らねぇはずなのに……)


 喧嘩っ早くて、ワイルド。

 けれど弱い者を放っておけない性格。

 友達からは「ケモノ系男子」と冷やかされる。

 だが本人は笑ってごまかすだけだ。


 ただ、玉藻の近くでは――

 風が吹くと、またあの匂いがした。

 懐かしくて、切なくて、胸が焦げるように熱くなる。


(お前……誰なんだよ。なんで、こんなに……)


 放課後の図書館。

 静けさの中、ページをめくる音が小さく響く。


 玉藻はいつも窓際の席で本を読んでいた。

 背筋を伸ばし、指先で丁寧に文字を追う姿は、

 まるでこの時代の人間じゃないみたいに静かで品がある。


 その姿を、遠くの席からそっと見ている影がひとつ。

 剣道部の稽古を終え、竹刀袋を肩にかけたまま図書館に顔を出すのが、最近の蓮の日課になっていた。


 理由は、単純だ。


(玉藻がここにいるから)


 汗をぬぐいながら本棚の影に隠れ、

 ちら、と彼女の横顔を盗み見る。


 白い指がページをめくるたび、髪がふわりと揺れる。

 そのたびに胸の奥がざわつく。


(やばい……なんでこんなに気になるんだ、俺)


 けれど、話しかける勇気はまだ出ない。

 玉藻が読んでいるのは古典文学や陰陽道の本。

 部活帰りにジャンプを読む自分とは、世界が違いすぎる。


「ううっ……話、合わなそう……」

 小声で呟いて、隣の生徒に変な目で見られる。


(いやでも……諦めたくねぇ)


 夜のラブレター


 夜。机の上にはくしゃくしゃになった紙が山になっていた。


「……ダメだ、どれも違う」


 蓮は頭をかきむしる。

 何度書いても、うまく言葉にできない。


「好きです」と書くと軽すぎる。

「あなたに惹かれました」なんて、自分らしくない。


 竹刀を握るより、ペンを握るほうがずっと難しい。


 時計の針が午前二時をまわる。

 蓮は深く息をつき、白紙に短く書いた。


 ――よかったら、連絡ください。


 そして、自分の名前と連絡先を添えた名刺サイズのカードを挟む。

 筆跡は少し歪んでいたが、今の自分の精一杯の“まっすぐ”が詰まっていた。


 翌日の放課後。

 図書館で玉藻が席を立った瞬間、蓮はそっと彼女の机に近づく。


 心臓が暴れるみたいに鳴った。


(いけ……今しかない)


 机の上にカードを置く。

 玉藻が振り返る。

 視線がぶつかる。


「これ……読んでほしい」


 それだけ言って、蓮は逃げるように図書館を出た。


 春の夕陽が射す廊下を、全力で駆け抜ける。

 頬が熱く、手のひらが汗ばんでいる。

 でも胸の奥は――妙に清々しかった。


 

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