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玉藻の高校生活は、静かに、けれど確かに進んでいた。
二度目の高校。
新しい制服の袖を通した瞬間、胸の奥が小さく震えた。
けれど――そこにはもう、孤独はなかった。
同じ校舎、同じ友達。
あの日、両親を失って、世界が音を失ったように感じたとき。
「無理しなくていいよ」
そう言って、自分のノートを貸してくれたクラスメイトがいた。
その字は、少し癖があって優しかった。
当時の玉藻は、その思いやりに気づけなかった。
悲しみでいっぱいで、他人の温もりを受け取る余裕なんてなかったのだ。
けれど今ならわかる。
あの卒業の日、自分の背中を押してくれたのは――みんなの優しさだった。
出席日数が足りなかった自分のために、
先生たちは補講を組み、レポートの提出期限を延ばしてくれた。
「お前の努力を、無駄にしたくないからな」
その言葉が、心に今でも残っている。
――あの卒業証書は、たくさんの人の愛でできていた。
「……ありがとう」
春の風が髪を揺らす中で、玉藻は小さく呟いた。
***
今の玉藻は、もう過去に囚われてはいなかった。
与えられた“二度目の時間”を、ちゃんと意味のあるものにしたいと思っていた。
授業中、いちばん楽しみなのは古文と日本史。
とくに――平安時代。
静謐な美、和歌の世界、そして陰陽の理。
教科書の中に、どこか懐かしい気配を感じた。
「康親が……生きていた時代」
自分がその時代で、何を見て、誰を想っていたのか。
言葉にできない懐かしさが、心の奥をそっとくすぐる。
「平安時代を、本格的に勉強したい」
その想いは、小さな願いからいつしか確かな目標へと変わっていた。
大学で、文化や思想、古典文学、陰陽道を学びたい。
康親のいた世界を、学問としてたどりたい。
――そう強く思った。
図書館で『源氏物語』を読みながら、玉藻はふと笑った。
恋も、苦しみも、千年経っても変わらない。
それを描いた人たちの想いが、今もページの間からあふれてくる。
「……康親様も、こうして誰かを想っていたのかな」
指先がページをなぞる。
言葉が、時を超えて心を結んでいく。
そして、玉藻にはもう一つの夢があった。
廃れてしまった“陰陽道”を、学んでみたいということ。
式神も結界も、ただの伝説じゃない――確かに存在した。
窓の外では、新緑が風に揺れている。
そのきらめきを見つめながら、玉藻はノートを開いた。
ペン先が走る。
『目標――大学へ行って平安文化と陰陽道を学ぶ』
サクラの中学生活は、毎日が全力だった。
剣道部に所属していて、朝も放課後も竹刀を握っている。
「剣道って“3倍段”って言うっすからね。2段でも、空手でいえば6段っす!」
顧問の先生が笑って言う。
「サクラはいつだって本気だな」
「当然っす! あたし、強くならなきゃダメっすから!」
竹刀を構えたサクラの瞳はまっすぐだった。
彼女には、誰にも話せない理由がある。
――玉藻様を守るため。
前の世界のように、もう二度と死なせたりしない。
今は“おねーちゃん”だけど、それでも。
守るって、決めている。
剣道の型を繰り返しながら、心の奥で何度も誓う。
「玉藻様は、今度こそ生きるんだ」
放課後のグラウンド。
西日が差すころ、竹刀を肩にかけたサクラは空を見上げた。
風が少し冷たくて、どこか懐かしい。
ふと理科室の窓から見える山並みに目がとまる。
(あの人は……今、どこにいるんだろう)
天寿をまっとうした彼は、もうどこかに生まれ変わっているのだろうか。
人間として? それとも、また狼として?
「……覚えてる、かな。わたしのこと……
呟いた瞬間、風が頬を撫でた。
その音の中に――誰かの声が混ざった気がした。
――サクラ。
耳の奥で、そんな声が響く。
胸がざわつき、竹刀を持つ手が少し震えた。
「……風の音、だよね?」
でも、心の奥で何かが静かに震えていた。
懐かしい。
まるで、昔どこかで呼ばれたことがあるような――そんな感じ。
気づいたら、目の端に涙が浮かんでいた。
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