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 康親は屋敷に戻ると、

 懐からスマートフォンを取り出した。

 令和の道具にも、すっかり慣れてしまった自分が少し可笑しい。


 人差し指で印を切り、小さく呪を唱える。


「式神よ、この器を借りて――言葉を届けよ」


 画面の中に、ほの白い狐火が一瞬だけ灯った。

 そして、LINEの送信音が静かに響く。


 康親:今日はありがとう。楽しい一日でした。

 サクラ殿によろしく。


 メッセージを送り終え、しばし画面を見つめる。

 静寂が訪れる――と、次の瞬間。


 既読の文字が浮かんだ。


「……ほう」


 康親の口元に、穏やかな笑みが浮かんだ。玉藻殿と繋がってる。それだけで満たされた気持ちになる。


「旅に出た徳子にも送ろう」


 康親がそっと指を動かすと、

 遠く離れた京都の宿で、徳子のスマホがふっと光った。

 小さな光が、闇の中で淡く滲む。


「……康親様?」


 画面には、見慣れた名が浮かんでいた。


『お土産を机の上に置いておきました。

 旅行、楽しんでください。』


 徳子は息を呑んだ。

 ――玉藻殿には何度も送っていたあの方が、

 自分に送ってくれたのは、これが初めて。


 胸の奥がじんわりと温かくなる。


「嬉しい……でも、どうして……」


 忘れようとしているのに、

 光る画面を見るたび、心が引き戻されてしまう。


 窓の外では、春の風が障子を鳴らしていた。

 徳子は、京都の古くからある神社に身を寄せていた。

 境内を春風が吹き抜けた。


 その神社には、長く神に仕える二柱の白狐がいた。

 オスの白狐は「小薄をすすき」、

 メスの白狐は「阿古町あこまち」と称した。


 ふたりは神の眷属として社を守り、

 互いを支え合うように寄り添っていた。


 夜になると、灯籠の光の中で

 小薄は静かに神前を見守り、

 阿古町は鈴の音を響かせて祈りを捧げる。


 その姿を見つめながら、徳子は思う。


 ――あのように、誰かと共に祈り、

 時を重ねていけたなら。


「私も……あの二人のようにありたい」


 徳子の胸の奥で、嫉妬の色は薄れ、

 代わりに、穏やかな光が灯り始めていた。


 徳子は灯籠の明かりに照らされた白狐たちを見つめ、静かに問いかけた。


「神様の眷属には、どのようにしてなられたのですか?」


 阿古町は、優しい声で答えた。


「昔、私たちはただのきつねでございました。

 船岡山の麓に、小さな穴を見つけて棲んでおりました。

 夫の小薄と、五匹の子ぎつねたちと共に――」


 夜風がそっと木の枝を揺らす。

 阿古町の声は、風に溶けるように続いた。


「ある日、夫が申したのです。

 『この世に生まれたからには、神の御用を務めてみたい』と。


 そこで家族そろって稲荷山に参詣し、

 お使い――すなわち眷属となることを祈念いたしました。

 七日七夜、山に籠もって祈り続けたのです」


 徳子は息を呑み、手を合わせた。


「その願いは……叶ったのですね」


 阿古町は微笑むように頷いた。


「ええ。七日目の夜明け、この神社に仕え、

 人々の願いと神の御心をつなぐ役を仰せつかったのです」


 徳子の胸に、あたたかな感動が広がる。


「なんと尊いこと……。

 そのようなご夫婦を、お手本にしたいと思います」


 小薄が静かに目を細めた。


 ――稲荷山の夜風が、そっと三人の間を吹き抜けていく。


 阿古町と小薄の語る神話のような物語を聞きながら、

 徳子はしばらく言葉を失っていた。

 やがて静かに息を吸い、問いを口にする。


「……神様の眷属になるには、何をすればよいのでしょうか」


 阿古町はふと目を細め、微笑を浮かべた。


「それは、誰かに“仕えたい”と心から願うこと。

 その祈りが真であれば、神は必ずその心を見てくださいます」


 その言葉が胸に残り、徳子は夜空を仰いだ。

 月は高く、稲荷山の木々を白く照らしている。

 月光に包まれながら、徳子は静かに呟いた。


「……私も、いつかそのような心で生きてみたい」


 小薄が尾をゆるやかに振った。

「あなたの心は、すでにその道の途中にあります」


 徳子は微笑んで一礼した。

 そして、胸の奥で小さな決意を固める。


(――帰ったら、清明神社にお参りしよう。

 清明様なら、きっと教えてくださるはず……

 神の眷属となる道、そして“仕える”ということの本当の意味を)


 山の上から京都の街を見下ろすと、

 夜の灯が星のようにまたたいていた。

 それはまるで、この都を見守っているかのようだった。

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