44
康親は、玉藻と順調にやり取りを続けていた。
スマホという不思議な神器を通して、彼女から届く短い言葉。
――「おはようございます」
――「今日、風強いですね」
――「テストやばいです」
それだけの何気ない言葉が、康親にとってはこの世のどんな宝よりも尊い。
玉藻が息づく“現代”という世界の片隅で、確かに生きて笑っている――
それを感じられるだけで、胸が熱くなった。
「おはようございます……か」
康親はその言葉を小さく繰り返しながら、スマホの画面を食い入るように見つめた。
淡い光に照らされた文字のひとつひとつが、まるで玉藻の声のように胸に響く。
だが、スマホという神器は、康親にとってあまりにも儚い存在だった。
この光が消えれば、すべてが夢に戻ってしまいそうで。
康親は震える指で、画面をそっとスクロールしながら呟く。
「これを……紙にしておけば、消えぬのではないか」
次の瞬間、平安の陰陽師はプリントアウトという現代の術を知らぬまま、
一枚一枚、手で書き写し始めた。
玉藻のLINEを、和紙に筆で。
部屋の隅には、びっしりと並べられた玉藻の言葉。
まるで経文のように整然と書き込まれ、どの一枚にも康親の愛情がこもっていた。
「“今日、風強いですね”……うむ。風が強い日も、彼女はこうして空を見上げているのだな……尊い」
康親はその一枚を愛おしそうに撫で、目を細めて微笑んだ。
平安の大陰陽師が、いまや現代の女子高生からのLINEに一喜一憂している。
康親の笑顔はあまりにも無防備で、幸福そのものだった。
そして徳子は、その笑顔を見つめながら、
胸の奥で静かに――痛みを感じていた。
約束の土曜日が近づいていた。
玉藻と――千年の時を超えて、ようやく再び巡り会えた彼女と会う日。
康親の胸は高鳴り、落ち着かない。
文机の前で何度も背筋を伸ばしては、ため息をついた。
「さて“会う”とは、どのような段取りなのだ?」
平安の恋は、夜に男が女の邸宅を訪ね、格子越しに文を交わし、
そののち密やかに逢瀬を重ねるもの――
そういうものだった。
だが、玉藻の言葉には「昼に会いましょう」とあった。
昼? 日中? しかも「駅で待ち合わせ」?
駅とは何だ。屋敷の門のことか。
「現代の恋は……日の下で堂々と行うものなのか?」
康親は真顔でつぶやき、真剣に考え込んだ。
(まさか、最初から彼女の邸に押しかけてはならぬのか?
いや、平安の流儀ではそれが正道……だが、もし非常識だと思われたら……)
玉藻殿の眉が曇る姿を想像しただけで、康親の背中に冷や汗が伝う。
「徳子、現代では……男子が女子の邸に行くのは、いつ頃が良いのだ?」
徳子は呆れ顔で言った。
「行かないです。まずカフェとか、遊園地とか、外で会うんです。昼間に」
「昼間に……外で……?」
「そうです。しかも、二人でお茶するんです。誰も襖の陰に隠れないです」
康親は目を丸くした。
「そんな……公然と逢瀬を……? なんという大胆な時代だ……!」
驚きと動揺、そして期待。
胸の奥が熱くなる。
(つまり、玉藻殿の邸へ夜に忍ぶのではなく――
皆の見ている前で、堂々と彼女と並んで歩くということか)
思えば、平安の頃には決して叶わなかった夢。
恋しい人と、昼の光の中で肩を並べて歩くなど――
康親は、ふっと笑った。
「なんと……眩しい恋よな」
そして、鏡に映る自分の姿を見て、真剣な表情になる。
「……服も、現代のものにせねばなるまい」
裳裾を整え、烏帽子を取る。
平安貴族、恋の戦場へ――千年越しのデート準備が始まった。
お読みいただきありがとうございました。☆押して頂けると励みになります。よろしくお願いいたします。




