表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/82

37

 康親は夕刻、参道を歩きながら周囲の人々を見つめていた。

 神社の境内は賑わい、屋台の明かりが並び、笑い声が響く。

 けれど――康親の目には、別のものが見えていた。


「……黒い(もや)に覆われておる。」


 徳子が隣で首を傾げる。

「黒い(もや)、ですか?」


「うむ。平安の世では、まれに見かけた。

 嫉妬、憎悪、欲――そういった“穢れ”が形をなす。

 だが、この時代では……あまりにも多い。」


 康親の目には、スマホを睨みつける若者、誰かとぶつかって舌打ちする男、

 子どもを叱りつけながら電話をする母親――

 彼らの背後に、薄い黒煙のような靄がまとわりついて見えていた。


「これほど豊かで、飢える者も少ないというのに……

 なぜ心がこれほどまでに満たされないのだ……」


 彼の言葉に、徳子は静かに目を伏せた。

「この時代、人は“心の穢れ”を祓う術を忘れてしまったのです。

 神社に来ても、願うのは“自分のこと”ばかり……」


「なるほど……」康親は眉をひそめ、

「良くない心が溢れれば、いずれこの国はまた鬼に蝕まれる。

 我らが見た応仁の乱の地獄が、再び……」


 徳子が息を呑む。

 康親の視線は遠く、未来を見据えていた。


「玉藻殿……そなたの居る世界にも、この黒い靄は広がっておるのか……」




 放課後の街は、春の光に包まれていた。

 府立高校の制服を着た玉藻は、友達二人と駅前のカフェに入った。


「タマちゃん、ここのパンケーキめっちゃ映えるんだよ!」

「ほんと? 写真撮らなきゃね」


 カフェの中は、カップの触れ合う音と、コーヒーの香ばしい匂いに満ちていた。

 玉藻は窓際の席に座り、ストロベリーパンケーキを注文した。

 隣の席では、大学生らしきカップルが笑い合っている。


 ――平安の世で、宴の席をいくつも経験してきたはずなのに、

 こんなに「普通」の午後が、どうしてこんなに心地いいのだろう。


 友達がスマホを向けて「はい、タマちゃん笑ってー!」

 シャッター音が鳴る。玉藻は笑顔を作りながら、ふっと窓の外に目をやった。


 駅前の雑踏の中、黒い靄のようなものが、一瞬ゆらめいた。

 ほんの一瞬


(また見えた……何なの?)


「どうしたの、タマちゃん?」

「ううん、なんでもない」


 スプーンでクリームをすくいながら、玉藻は胸の奥にざわめきを覚えていた。


 玉藻はカフェを出て、駅へ向かう人波の中を歩いていた。

 夕暮れの街はオレンジ色に染まり、制服姿の学生やスーツの会社員たちが行き交っている。


 ――だが、彼女の目には別のものが見えていた。


 黒い靄。

 まるで煙のように人々の体にまとわりつき、ゆらゆらと形を変えている。

 疲れた顔のサラリーマン、無表情でスマホを見つめる女子高生、苛立った母親……

 多くの人達が、少なからずその「黒」を纏っていた。


(あれは……)


 玉藻は足を止める。

 かすかな記憶がよみがえった。


 ――平安の世……鬼退治に同行した夜。

 ――鬼のまわりに漂っていた、あの濃い黒い靄。


 あの時は鬼そのものが邪悪だから、当然そう見えるのだと思っていた。

 だが――いま目の前にいるのは、ごく普通の人々。

 仕事帰りの会社員。買い物帰りの主婦。スマホを見ながら歩く学生たち。


(この時代の人間は、鬼でもないのに……どうして)


 玉藻の胸に、冷たい不安が広がる。

「豊かで平和な時代」

 けれど、その豊かさの影に、かつて見た地獄の瘴気が潜んでいた。


お読みいただきありがとうございました。☆押して頂けると励みになります。よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ