表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/78

34 康親令和に来る

康親は夜の静寂の中、灯火ひとつを手に「黄泉がえりの井戸」の前に立った。

水面は月の光を映し、底の見えぬ闇がゆらゆらと揺れている。


「……また、この井戸に来ることになるとはな」


かすかに笑みを浮かべながら、康親は懐から巻物を取り出した。

そこには、彼自身が編み出した“時渡りの秘術”の改良版が書かれていた。


「三百年後を越えたのなら、千年後も行けるはず……。

 玉藻殿――今度こそ、そなたの世界へ参る」


風が吹き、木々がざわめく。

狐の徳子が、心配そうに康親の袖をくわえて引き止めた。


「ご主人様……もう、戻れぬかもしれませぬ」


康親はその頭を撫で、やさしく言った。

「案ずるな。戻れぬなら、それもまた運命。

 私の力が役に立つ時代があれば、神が導いてくれるであろう」


そして、井戸の縁に立ち、深く息を吸い込む。

両手を印に組み、古代の言葉を唱え始めた。


「時の扉よ開け。千年の時を越え、魂のえにしをたどらん――

“時渡りの法”!」


呪文が終わると同時に、井戸の底からまばゆい光があふれ出した。

風が渦を巻き、木の葉が舞い上がる。

徳子が叫んだ――


「ご主人様ぁっ!」


康親は笑みを浮かべ、光の中へ身を投じた。

次の瞬間、井戸の光は消え、夜の静寂が戻る。


……そして、遠い未来。

井戸の前に、康親は立っていた。

時代錯誤の衣をまとい、静かに目を開ける――


「ここが……玉藻殿の時代か……」


井戸の周囲は石畳で囲われ、柵がめぐらされている。掲げられた木札には「史跡・黄泉がえりの井戸」とある。

――観光名所である。


「……史跡、とな。これが……小野篁(おののたかむら)殿の井戸なのか……」


周囲には木造の家ではなく、色とりどりの看板を掲げた店や、ガラス張りの建物が立ち並んでいた。

見慣れぬ乗り物が道を走り、鉄の鳥のような音が空を切る。


康親は、しばらく呆然とその光景を眺めていた。

だが、ふと我に返る。少なくとも井戸から見える道は変わってないようだ。


屋敷のあった場所に向かって歩き出す。

足元の石はなめらかで、まるで磨かれたようだ。

すれ違う人々の衣装も奇妙――だが、誰一人として彼を怪しむことはない。

中には手に不思議な板のようなものを持ち、指でつつきながら笑っている者もいる。


そんな中、ひとりの若い娘が康親に近づいてきた。

カメラを手にした観光客らしい。


「すみませーん! 写真、いいですか?」


康親「……しゃしん?」


「はい! あの、すごく雰囲気あって――コスプレですか? 安倍晴明っぽくてカッコいいです!」


「コス……?」

康親は言葉を失った。


娘はにこにこと笑いながら、スマホを構える。

「じゃ、撮りますねー。はい、ポーズ!」


パシャッ。


閃光のような光が走る。

康親は反射的に印を結び、呪を唱えそうになった。


「ひ、光の術を使うとは……」


「え、なにそのセリフ、最高〜!」

娘は笑って走り去っていく。


康親は、通りを抜けて歩くたびに、何度も声をかけられた。

「すみませ〜ん! 一緒に写真いいですか?」

「めっちゃ似合ってる! 平安貴族のモデルさんですか?」

「えっ、すごいイケメン……本物みたい!」


次から次へと現れる若い女性たちに取り囲まれ、康親は戸惑いながらも微笑を返す。

「そなたら……このような装束の者が、そんなに珍しいのか?」


「珍しいどころじゃないです! めちゃくちゃ映えます!」

「その喋り方も最高!」


何のことやらわからぬまま、次々と“しゃしん”なるものを撮られ、肩を並べて笑顔を求められる。

さらには――。


「握手してもらってもいいですか?」

「わ、わしの手でよければ……」


康親がそっと手を差し出すと、女の子たちは一斉に歓声を上げた。

「きゃー! 手、あったかい!」

「信じられない! 本当にイケメン貴族だ!」


康親は頬を少し赤らめ、咳払いをひとつ。

「ふむ……この時代の娘たちは、ずいぶんと人懐こいのう……」


その後も数え切れぬほどの者が声をかけてきた。

中には、彼の立ち姿をスケッチする者、動画を撮る者までいる。


康親は最後には少し照れくさそうに笑い、

「……ま、まあ……これもまた“人の縁”というものかもしれぬな」

と呟いて、屋敷のある方向へと歩き出した。

お読みいただきありがとうございました。☆押して頂けると励みになります。よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ