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 康親は西軍の陣を後にし、洛中を歩いていた。

 空にはまだ星が残り、戦火の煙が淡く漂う。


「次は――東軍の総大将、細川勝元か」

 低く呟く声が夜気に溶けた。


 やがて、夜霧の向こうに東軍の陣が見えてくる。

 勝元の幕舎は金の房を垂らし、周囲には衛兵が眠そうに立っている。

 康親は指先で印を結び、足元の土を軽く踏んだ。


「地行の法――」

 身体が霧のように薄れ、地を滑るようにして幕舎の中へ入り込む。

 勝元は文机の前にうたた寝していた。

 筆の跡が乱れ、机の上には西軍の総大将の名を記した書状が一通。

 “戦争終結の申し入れ”と綴られている。


「……この者も、苦しんでいるのか」


 康親は静かに手をかざす。

 胸の上から黒い瘴気がもくもくと立ち上り、形を成す。

 それは西軍の鬼とは違い、冷たく理知的な笑みを浮かべた。


「我は欲の鬼。権勢を求むる心こそ、我が糧よ」


「権勢も、栄華も――死しては塵と消える」

 康親が印を結ぶと、光輪が鬼を包み、灰のように散っていった。


 勝元の顔から険が消え、深い息を吐いて安らぐ。


「あと一人……日野富子か」


 康親は、静かに息を吐いた。

 ――玉藻殿のことを、思い出す。


 初めて、玉藻の住む屋敷に式神を忍ばせた日のことだ。

 彼女の力を探ろうとした、ほんの軽い気持ちだった。


 だが、結果は散々だった。

 情報を持ち帰った式神は玉藻からの伝言を伝えてきた。

 あの――麗しくも容赦ない声が屋敷に響く。

「変態!気持ち悪い!覗き!きっしょい!ゴミ!!覗き魔!女にもてない大陰陽師〜!」


 あの時の言葉は、康親は玉藻に心を奪われるきっかけになった。


 それ以来、彼は女性の部屋に立ち入るとき、

 必ずあの時の記憶がよみがえる。

 たとえ相手が敵であろうと、胸が疼くのだ。

 あの時から、自分の心は彼女に掴まれていたのかもしれない。


 そして今、日野富子の寝所に足を踏み入れるとき――

 胸の奥に、あの時と同じ“緊張”が蘇った。


(もう二度と、女性の部屋に不用意に入らないと誓ったが……)


 康親は護符を懐に忍ばせ、

 静かに障子を開けた。


 ――この戦乱の世を終わらせるために。


 部屋の奥、几帳の向こうには女が座していた。

 絹の衣を羽織り、膝の上には幼い男の子。

 母が子に物語を聞かせている――そんな穏やかな光景だった。


(これが……戦乱の元凶と呼ばれた女か?)

 康親は息を呑んだ。そこにいたのは、鬼ではなく、ただの母だった。


「……義尚」

 富子がそっと子の頬を撫でる。

 声には優しさと、言いようのない疲れが滲んでいた。


 康親は影にまぎれて近づく。

 彼女の周囲に、目には見えぬ黒いもや――怨嗟と嫉妬の気が渦巻いている。

 女房や武士、民の怨みが、まるで毒のように富子の魂を蝕んでいた。


(護符ひとつ、結界ひとつで防げるものを……)

(なぜ、ここまで陰陽の理が忘れ去られてしまったのだ)


 彼はそっと懐から護符を取り出し、印を結ぶ。

「天地の理、清浄の光よ――穢れを祓え」

 護符が淡く光を放ち、部屋の中を清める風が吹いた。

 黒いもやは一瞬たじろぎ、霧のように溶けていく。

 その瞬間、富子の顔から怨気がふっと消えた。


 富子の唇が微かに動いた。

「……あなた、誰……?」



「わたしは、安倍の者……。乱の鬼を祓う者です」

「鬼を……?私を払うの?」

「あなたは鬼ではない。あなたの周りに邪気が集まり鬼と化していた。それを払ったので、もう鬼と呼ばれることは無いはずです」

 富子の目から、静かに涙が落ちた。


「ありがとう……見知らぬ陰陽師よ」


 康親は立ち上がり、明け方の月を見上げた。

(これで、応仁の鬼は祓われた……)


 早く、次の時代へ行かねば。玉藻殿に会うために――

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