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両親が相次いで亡くなり、天涯孤独になった前田玉藻。飼い犬のサクラが道に飛び出したので助けようとして、トラックにはねられた。そこで神様に会う。九尾の狐が帝をたぶらかして国に災いを起こすのを防げば、再び現世に戻れるという。目が覚めると、九尾の狐に転生していた。これって楽勝じゃない。
「私がお屋敷にいることは、くれぐれも秘密に……」
そうお願いしたはずだった。
けれど――
ひとの口に戸は建てられない、とはよく言ったもので。
ほどなくして都中に広まった。
『妖艶な美女がさる貴族の邸宅にいるらしい』
『古今東西の学に通じ、雅な歌も嗜む』
『奥方の不治の病を一晩で治した』
そんな噂で、都の人々は持ちきりだった。
「あの、私、そんな大それたことした覚えないんですけど!?」
九本の尻尾を逆立てながら、私はサクラに詰め寄った。
サクラ(人間ver.)は、お団子を頬張りながらにこにこ。
「ご主人、噂って勝手に盛られるもんっすよ。気にしたら負けっす!」
その日の夕刻。
屋敷の門に、一通の文がそっと差し入れられた。
それは、まだ見ぬ玉藻への――恋の和歌だった。
「恋文って……ラブレターのことよね?」
声に出した瞬間、頬がじわっと熱くなる。
「わ、私、ラブレターなんて人生で初めてなんだけど……!」
玉藻は胸のあたりを押さえた。
「うわぁ〜……なんかドキドキしてきた……」
思わずゴロゴロと畳に転がって、枕を抱きしめる。
そんな玉藻を、サクラは冷静に眺めていた。
「ご主人、落ち着くっす。中身は和歌なんで、まず意味わかんないっすよ?」
「えっ……夢壊すこと言わないで!」
桜色の美しい紙――ほんのりと焚きしめられた香の匂いが漂ってくる。
「わぁ……すごい。なんか、平安貴族の本気って感じ……!」
思わず胸が高鳴る。
だが次の瞬間――。
「……達筆。多分これ、めっちゃ上手い字だと思う。けど――」
玉藻は紙を近づけたり遠ざけたりしてみる。
「……全然読めないんですけど!?古文だし、くずし字だし!」
サクラが横から覗き込み、クスクス笑った。
「ほら言ったじゃないっす。和歌はアタイに任せるっすよ」
「うぅ……せっかくいい香りのロマンチック手紙なのに……内容わかんないとか、人生初ラブレターなのに……!」
九尾の狐・玉藻前、その正体は――古文が大の苦手の前田玉藻。
「高校、お情けで卒業したから……和歌とかマジ無理!」
九本の尻尾をばさばささせて嘆いていると、背後からひょいと声がかかった。
「ご主人、アタイに任せるっす!」
人の姿のさくらが、得意げに胸を張る。
「サクラ、あんた古文とか分かるの?」
尻尾を揺らしながら問うと、人間姿のサクラは胸を張って言った。
「もちろんっす。神様が、ご主人の役に立つよう知識を授けてくれたんっす。」
「……なにそれ、私よりスペック高いじゃん」
サクラは自信満々に恋文を広げる。
和歌を読み上げる声は、意外に澄んでいて堂々としていた。
「……サクラ、めっちゃ頼もしいんだけど。私が転生主人公なのに、立場逆転してない?」
「ご主人は九尾としての力を使えばいいっす。知恵はアタイが貸すっす」
「ちょっと、私の役割なさすぎない!?帝を誑かすなって言われただけなんだけど!?」
さくらは文を手に取り、さらさらと読み上げる。
恋文の内容は、想像以上に熱烈で――
『月影も 君を映して 揺らぐなり
思ひ焦がれて 眠れぬ我は』
「うわー!なんかめっちゃロマンチックみたいだけど!?意味半分もわからんし!?」
「ご主人、モテモテっすね〜」
「いやいや、全然うれしくないから!」
最初は一通だった恋文が、翌日には三通、そのまた翌日には十通……気づけば机の上は恋文の山。
「ちょっと待って……みんな、私と会ったこともないんだよね?」
玉藻は恋文の山を前に、呆然とつぶやいた。
「そうっす。みんな噂と、伝え聞いたお姿だけで勝手に盛り上がってるっすね」
サクラが肩をすくめる。
「……それ、私もう帝を誑かしてることになってない?まだ一度も会ってないんだけど!?」
「安心するっす、ご主人。会ってないから誑かしてないっす。誑かしてるのは噂っす!」
「いやでも、恋文の数やばいんですけど!?このままじゃ、歴史の教科書に『絶世の美女・玉藻の前、都を騒がす』とか書かれちゃう未来見えるんだけど!?」
「まあまあ、人気者の宿命っすよ。諦めるっす」
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