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「この戦いは――誰と誰が争っているのだ?」
康親の問いに、狐は悲しげに耳を伏せた。
「将軍様の跡目争いにございます。応仁元年に始まったので、応仁の乱と呼ばれております。しかし……」
狐は遠くを見つめるように言葉を濁した。
「争いが長引くうちに、人間たちは、もはや誰と誰が戦っているのか、わからなくなっています」
康親はしばし沈黙した後、静かに息を吐いた。
「……これが“地獄”というものか……理由もなく人と人が争う地」
焦土と化した都の上に、夜風が吹き抜けた。
焼けた木の匂いと、血の匂いと、涙の匂いが混ざり合う。
その光景は、まさに人の手で作られた“地獄絵図”だった。
「この時代に……玉藻殿はおられるか?」
康親の声は、静かだった。
狐は首を横に振る。
「この時代には、そのお方の気配は感じられませぬ」
「……そうか」
康親は目を伏せ、かすかに唇を噛んだ。(玉藻殿が地獄のようなこの地におられなくて良かった……)
狐は、少しの間を置いてから言葉を継いだ。
「玉藻様は……何度も転生を重ねておられます。けれど、康親様が探しておられる“あの玉藻様”は――」
狐の瞳が、遠い未来を見るように細められた。
「六百年後の、この地におられます」
「六百年……?」康親は驚愕に息を呑む。
「一刻も早く、玉藻殿のもとへ行きたい」
康親は低く呟く。しかしすぐに、声を強めた。
「されど、この地の惨状を見過ごすわけにはいかぬ。人が苦しむのを、見て見ぬふりはできない」
狐が不安そうに顔を上げる。
「康親様……」
「私は陰陽師。人と神、そして時を繋ぐ者だ。この争いを少しでも早く終わらせ、民の苦しみを鎮めるために――尽力しよう」
その瞳には、決意が宿っていた。
「何をされるおつもりですか、康親様……?」
狐は不安げに問いかけた。
康親は、静かに空を仰ぐ。夜空には、月が霞んでいる。
「――争いは、人の心の中に棲む“鬼”がなせるものだ」
その声には、悲しみと決意が混ざっていた。
「刀で敵を斬っても、戦は終わらぬ。
だが、人の心に巣くう“鬼”を祓えば……この乱も、いずれ鎮まるはずだ」
狐は目を見開いた。
「人の心の鬼を……退治する、というのですか?」
「そうだ」
康親はゆっくりとうなずく。
月が雲間からのぞき、康親の横顔を照らした。
その瞳には、燃えるような光が宿っていた。
康親は地図を広げ、ろうそくの火に照らして、都の陣形を見つめていた。
「この地には、人の欲と怨念が渦巻いておる。そこに鬼が生まれた……。鬼は、刀では斬れぬ」
彼は静かに印を結び、呪を唱える。
瞬間、空気が震え、紙片が宙に舞い上がった。
白紙が裂け、そこから淡い光を放つ式神たちが次々と姿を現す。
「――行け。両陣営の将のもとへ。その胸に宿る“鬼”を探り出せ」
狐が息をのむ。
「康親様……東軍と西軍、どちらもですか?」
「どちらにも“鬼”は棲む。
片方を滅ぼしても、怨念は別の名を得て蘇る。
ならば両方の総大将に巣くう鬼を退治する――それしか、この地獄を鎮める道はない」
狐は康親の背を見つめた。
炎に照らされたその横顔は、地獄を覗く修羅のようであった。
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