21
昼下がりの屋敷。
几帳を透かして入る秋の光の中で、玉藻とサクラは文机に向かっていた。
玉藻「……この恋文、返事に困るなあ。どう返せばいいの?」
サクラは紙を差し出しながら、言った。
サクラ「ご主人様、今日の返事は“定型恋文3”の形でいくっすよ。習字、随分上達されたっすね」
玉藻「これだけ毎日、書いてたらね……上達しない方がおかしいわ」
墨をすっと引き、最後にちょこんと狐の足型を押す。
玉藻「はい、完成っと」
サクラ「最近、玉藻様の返事を神棚に飾る家が増えてるらしいっすよ。ご利益があるって噂で」
玉藻は、半ばあきれ顔で苦笑した。
けれど積み上がった文の中には、大人の恋文だけでなく、子供からの拙い文字も混じっている。
サクラ「……これ、完全にファンレターっすね」
玉藻は封を開け、にじんだ文字を読み取る。
「玉藻さま、またおはなしきかせてください」
胸の奥が、じんわりとあたたかくなるのだった。
サクラ「ご主人様、やっぱり和歌のやり取りって難しいっすね。愛の言葉ばっかりだし」
玉藻「うん……けど、これが都の人の楽しみなんだもんね。いい加減に返すわけにもいかないし」
「ご主人様……」
サクラはもじもじと爪をいじりながら、目を伏せて言った。
「子供が……できたみたいっす」
玉藻は茶を吹きそうになった。
「えっ!? ま、まさか……狼との間に!?」
サクラは恥ずかしそうに笑い、でも誇らしげにお腹をさすった。
「うん……。あれは運命だったっす。これは、愛の結晶っす!」
玉藻は頭を抱えた。
玉藻は思わず問い詰めた。
「いつ生まれるの? この世界で産むの? それとも、もし私と一緒に元の世界に帰ったら……そっちで産むことになるの? 狼……彼氏はどう言ってるの?」
サクラはケラケラと笑い、肩をすくめた。
「ご主人様、質問攻めすぎっすよ。案ずるより産むが易し、っすよ。なるようになるっす!」
「……簡単に言うわね」玉藻はあきれて眉をひそめる。
サクラはお腹を撫でながら、サクラの横に寄りそう狼を見た。
「彼は言ったんすよ。『生まれる子が人でも狼でも、どっちでも俺の子だ』って。だから私も迷わないっす」
玉藻はしばらく黙ってから、小さく笑った。
「……あなたは本当に強いわね。私の方がよっぽど迷ってばかりだわ」
玉藻はため息をついた。
「サクラはいつも深く考えないで突っ走るんだから…………でも、おめでとう!」
その晩、玉藻は夢を見た。白い光に包まれた社。その奥から、神が現れる。
神様「玉藻よ、おまえの本当の願いは何だ?」
玉藻「……元の世界に戻っても、私には誰もいない。家族もいない、天涯孤独。それなら、この世界の方が――」
神様「ならば、家族がいる時代に戻ればよいではないか」
玉藻「え……そんなこと、できるんですか?」
「どっちみち少し前に戻さんと、直前に戻したら……またトラックに轢かれてしまう」
「えっ……」玉藻は目を瞬かせた。
神様はひらりと手を振る。
「だからのう、五分前に戻すのも、五年前に戻すのも、大差ないのじゃ」
玉藻は首をかしげる。
「そ、そういうもんなんですか?」
「そういうもんじゃ」神様はにやりと笑った。
玉藻「それじゃあ……お父さんが過労死しないように、過去を変えることはできるんですか?」
神様「もちろんできる」
玉藻「本当に……?」
神様「本当にじゃ。お前がそう望むなら、父は過労で倒れることもなくなる」
玉藻「じゃあ……私がトラックに轢かれることは?」
神様「それもない。お前が望まぬ限り、そんな未来は訪れん」
「帰っても孤独」という前提が、いま揺らいでいる。
玉藻はしばし黙り込み、やがてぽつりと問うた。
「……サクラは、どうなります?子供ができたみたいで……彼氏《狼⦆と一緒にいたいって、そう言ってたんです。私がいなくなったら、この時代に置いてけぼりに――」
神様は、目を細めた。
「ふむ。あやつには、あやつの考えがある。おぬしが心配せずとも、己で道を選ぶじゃろう」
玉藻は胸の奥にずしんと落ちる感覚を覚えた。
――サクラは、サクラで自分の未来を選ぶ。
それは、寂しいけれど誇らしい答えだった。
お読みいただきありがとうございました。☆押して頂けると励みになります。よろしくお願いいたします。




