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「玉藻殿、最近元気がないな」

 頼光が静かに言うと、四天王たちも神妙にうなずく。


「確かに……何か思い詰めているように見える」

「食も細くなっておられるしな」


 世話になっている貴族の奥方様も、ふとした折に玉藻を見て眉を寄せる。

 屋敷の侍女や下働きの者たちでさえ、口々に「お優しい玉藻様に何があったのかしら」と噂を交わすほどだった。


 康親は心配になり、式神を飛ばして玉藻に声をかける。


『おい玉藻! いつもの毒舌はどうした。前は俺に罵倒を浴びせてきただろう、あれが妙に心地よかったのに……』


 その変化に一番敏感だったのはサクラだった。


「……ご主人、帰っちゃうんすよね」

 狼に頬をすり寄せながら、サクラはぽつりと呟いた。


 狼もまた、悲しげに尾を下げる。

 彼はサクラの心を理解していた。

 出会ったときから互いに惹かれあい、今や完全に結ばれている。だが、ご主人――玉藻が元の世界へ帰れば、自分たちは引き裂かれてしまうのだ。


 サクラがつぶやく。

「相思相愛なのに……どうして離れ離れにならなきゃいけないっすか」

 その声には、いつもの明るさがなかった。


「ご主人、彼と離れたくないっす。神様に頼んでみるっす。駄目でもともとっすけど、頼むっす!」


 その目はいつものやんちゃな輝きではなく、本気の目だった。玉藻はふっと息を吐き、しばらく黙ってサクラを見つめる。玉藻はそっと指で扇を閉じた。


「そうね…あなたがそんなに思っているのなら、私もできることはやるわ」


 サクラははじけるように尻尾を振った。


「え、本当にっすか! ご主人、神様にお願いしてみるっす!」


 玉藻は顔を上げ、月を見た。次の満月までは日がある。「この世界を離れたくない」という思いが、今や確かな願いとなっていた。



 翌朝――。

 まだ露の残る庭を抜け、玉藻は安倍清明の屋敷を訪れた。


「……玉藻殿」


 式神の気配とともに姿を現したのは、康親だった。すでに来ていたらしく、どこか張り詰めた表情をしている。


 座敷に通されると、清明が扇を手にゆるやかに微笑む。


 玉藻は膝を正し、二人に向かって深く頭を下げた。

「……私、次の満月の夜に元の世界へ戻らねばなりません」


 康親の目が大きく見開かれる。

「戻る? そんな……!」


 玉藻は小さくうなずいた。

「これは神様に告げられた定めなのです。役目を果たしたから、帰らなければならないと……」


 清明は扇を閉じ、静かに目を細めた。

「なるほど……それが“天の理”か。しかし、そなたがいなくなれば――帝も、頼光も、そしてこの都も……大きく揺れるぞ」


 康親は拳を握りしめた。

「本当に……行ってしまうのですか?」


 玉藻は答えられず、ただ黙って俯いた。


 清明は焚かれた香炉の煙を見つめながら、ゆっくりと語り出した。


「……二百年ほど前、この都に異世界から美しい女子(おなご)が現れた」


 玉藻とサクラは思わず顔を見合わせる。


「彼女は多くの貴人から求婚され、帝すらその心を奪われた。ものすごく貴重な贈り物をねだり、次々に集めた……金銀財宝、名刀、唐渡りの薬、果ては不老不死の妙薬まで。帝とは和歌のやり取りをしておったが、結局、何一つなさぬまま、屋敷に籠り、月の世界へ帰って行った」


 清明は扇を軽く打ち鳴らし、ひと言。

「――わしは、あれは良くない女だと思うておる」


 玉藻は息をのむ。

「良くない女……?」


「うむ。求められるだけ求め、愛は返さぬ。人の心を散々に振り回し、傷つけた。彼女が去ったあと、帝も多くの男たちも心に深い傷を負い、国も乱れた。美しいだけの天人が残したものは、虚無じゃ」


 清明の視線が玉藻に向けられた。


「そなたは違う。文を返し、誠実に向き合い、鬼を退治し、九尾の狐を鎮め、この国を守った。だから、同じ結末にはならぬ」


 玉藻は胸の奥がじん、と熱くなるのを感じた。

 ――私、かぐや姫とくらべられてる……。


「もし神が満月にそなたを戻すと告げたとしても、同じ結末にはならぬじゃろう。かぐや姫は『悲しみ』だけを残したが……玉藻殿は、『共に過ごした思い出』を残す。人は、たとえそなたが去っても、その思い出を抱いて生きてゆけるのじゃ。」


 サクラが口を開いた。

「清明様……つまり、ご主人は去っても忘れられないってことっすね」


 清明は言った。

「そういうことじゃ、サクラ殿。――そなたらが強く願えば、もしかすると、かぐや姫とは違う結末を迎えるやもしれんぞ」


 玉藻は胸に手を当てた。清明の言葉は重い。だがその奥に、かすかな希望の光があるように思えた。



 翌晩、玉藻は小さな社へと向かった。清明の屋敷で教わった簡素な儀式を行うために。


「神様……私をこの世に留めることができるなら、どうかお聞きください。皆と――この時代と、離れたくないのです」


 風がそっと草を撫で、松葉を揺らした。社の向こう、都の明かりは静かに瞬く。これでいい。玉藻は、静かに満月の夜を待つことにした。



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