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 夜。

 玉藻は寝所で、静かな月明かりに包まれて眠りについていた。


 ――不思議な夢を見た。


 頼光、四天王、泰親、そしてサクラ。皆が同じ場所に立っている。

 その中央に、痩せ衰えた九尾の狐がうずくまっていた。かつて黄金に輝いた毛並みはくすみ、九本の尾も重く垂れ下がっている。瞳は濁り、哀れなほどに弱っていた。


『……どうか、命をお助けください。我は、もう戦う力はない……』


 か細い声が響く。かつて人を惑わせ、数多の命を奪った妖狐とは思えぬほど、弱々しい懇願だった。


 頼光は腕を組み、低く答えた。


「心を入れ替え、この国を害さぬと誓うなら……命だけは助けてやろう」


 坂田公時もうなずいた。


「血を流すばかりが武士の誉れじゃねぇ。生きて罪を償う方が辛ぇ道もある」


 碓井貞光も、卜部季武も同意した。


 サクラは尻尾を揺らしながら「もう無茶する気力もなさそうっす」と呟いた。



 ――ただ一人、安倍泰親だけが冷たい目をしていた。


「ふん。お前の言葉など信用できぬ。心を入れ替える?笑わせるな。妖は妖だ」


 老いた狐の瞳が揺れる。

「では……どうすればよい」


 泰親は扇を閉じ、静かに告げた。

「我の使い魔となれ。常に我が監視の下にあれば、その命、保証してやろう。さもなくば、今宵の夢にて首を刎ねる」


 一同は息を呑んだ。

 狐は苦悶の表情を浮かべ――やがて、頭を垂れた。


『……承知した。我は、汝の影となろう』


 夢が霧散すると同時に、玉藻は目を覚ました。

 その枕元には、白い狐の毛が一筋、落ちていた。


 翌朝。

 まだ朝靄が立ち込める那須野の陣営に、ざわめきが広がった。九尾の狐が降伏したことが伝えられたからだ。

 兵士たちは歓声を上げた。


「やったぞ!九尾が降伏した!」


「我らの勝利だ!」


「訓練を見ておそれをなしたとは――訓練した甲斐があった。」


 歓声は次第に波となって陣営を駆け巡った。

 弓を手にしていた兵士たちも武器を下ろし、互いに肩を叩き合い、まるで正月を迎えたかのような喜びに包まれる。


 長き戦いはついに終わったのだ。



 京への道は、秋の澄んだ空気に満ちていた。

 頼光と四天王は勇ましく馬にまたがり、陽光を浴びて金色に輝く甲冑を揺らしながら先頭を進む。その姿はまさに英雄の凱旋だった。


 一方で――安倍泰親の牛車はゆったりとした歩調で後に続く。

 牛の蹄の音が規則正しく響く中、車内は静けさに包まれていた。


 泰親は扇を膝に置き、目を閉じて思索にふけっている。

 その足元には、あの老いた九尾の狐が丸くなり、ウトウトと眠っていた。

 泰親の声は静かだが重みを帯びていた。


「使役すると言ったが、こき使うつもりはない。わが屋敷で余生を過ごせばよい。」


 牛車の薄暗がりで、老狐はぴくりと鼻先を動かした。九つの尾の端がほんの少しだけ揺れ、金属のように冷たかった瞳に、わずかな柔らかさが戻る。長く放浪を重ねた獣に、初めて「安らぎ」の場所が約束された。


 玉藻は泰親の言葉を聞いて、胸の奥に温かなものが広がるのを感じた。

 泰親は扇を片手で閉じると、狐へと視線を戻す。


「汝が再び悪しき心を起こせば、そのときは容赦はせぬぞ。」


 狐は低く鳴いた。何かの約束のような音だった。

 かつて諸国を荒らし、多くの命を奪った妖怪。今は小さく鼻を鳴らし、泰親の裾を枕にして再び眠った。


 サクラがそっと老狐に言う


「殺生石にならずにすんで良かったっすね。」


 牛車の外からは人々の歓声が遠く響いてくる。


「頼光様だ!」


「四天王が帰ってきたぞ!」


 街道には老若男女が列をなし、まるで祭りのような熱狂が広がっていた。


「頼光さま万歳!」


「玉藻殿! お美しい!」


「サクラさまー!」


 紙吹雪のように花びらが舞い、鼓や笛の音が高らかに鳴り響く。

 頼光も四天王も、堂々たる姿で馬を進めた。泰親は牛車で悠々と、足元には眠そうにあくびをする年老いた狐。


 そして、人々の視線を最も集めていたのは――やはり玉藻とサクラであった。玉藻の美しさは神々しさを帯び、サクラは横を歩く狼と並び立ち、凛々しくも可憐に笑っていた。


 宮中に到着すると、帝自らが出迎える。


「よくぞ戻った。汝らの武勲、天下の誉れなり」


 そう言って授けられた褒美は、前回をはるかに超えるものであった。絹織物、金銀、銅銭の山。加えて、紙や白味噌、海苔などの貴重品も惜しみなく与えられた。


 その夜、内裏では盛大な宴が開かれた。雅楽が鳴り響き、女官たちが舞い、灯された篝火が金色に揺らめく。

 帝は盃を掲げ、声を張り上げた。


「九尾の狐を退けしは千載の偉業! 今日この宴は、汝らに捧ぐ!」


 杯が次々と交わされ、笑いと歓声が絶えなかった。

 だがその喧騒の中で、玉藻はひとり小さく息をついた。

(……私、本当にこんなに持ち上げられるほどのことをしたのかしら)


 そんな思いを見透かすように、隣のサクラがひょいと酒を注いでくれる。


「ご主人、難しいこと考えずに楽しむっす。宴は勝者の権利っすよ」


 玉藻はふっと笑い、盃を掲げた。


「そうね……今夜ぐらいは、楽しんでもいいのかも」



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