転生したら九尾の狐だった。
両親が相次いで亡くなり、天涯孤独になった前田玉藻。飼い犬のサクラが道に飛び出したので助けようとして、トラックにはねられた。そこで神様に会う。九尾の狐が帝をたぶらかして国に災いを起こすのを防げば、再び現世に戻れるという。目が覚めると、九尾の狐に転生していた。これって楽勝じゃない。
正直、私は疲れていた。
父が過労死し、母もその後を追うように亡くなった。
自分に親戚がいるのかどうかわからず、結局葬式には誰一人来なかった。
それでも高校だけは卒業できた。単位は足りなかったけど、先生たちが事情をくんでくれたし、同級生たちもノートを貸してくれた。
優しい人たちに支えられているのはわかっていたけど――両親のいない家は、あまりに広く、寂しかった。
今の私にとって、家族は一人しかいなかった。
飼い犬のサクラ。
しっぽを振って迎えてくれる彼女が、唯一の救いだった。
仕事から帰ったら、まずサクラの散歩に行く。
それが、私の毎日のルーティーンだった。
散歩コースにある幹線道路は、いつもトラックがひっきりなしに走っている。
私はリードを握りながら、ぼんやりと未来のことを考えていた。
(この先、私はどうなるんだろう……ひとりきりで。
でも、サクラがいれば……)
そのときだった。
「わんっ!」
サクラが急にリードを引っ張り、車道へ飛び出した。
「あ、だめ! サクラ!!」
考えるより先に体が動いた。
私はサクラを抱きかかえ、迫ってくるヘッドライトのまぶしさに目を細める。
(お願い……サクラだけは……!)
轟音と共に世界が白く弾けた――。
一瞬のことだった。
気がつくと、私は白い世界に立っていた。
どこまでも広がる、清浄な白。
「なにこれ……こんなに白くて美しい世界、見たことない」
前方に白い光を背にした老人のような人影が立っている。
髭は長く、笑うとやたら優しそうな顔。
でも雰囲気はただものじゃない。
「……神様?」
「うむ。だいたいそんなところじゃ」
辺りを見渡して、ふと気づく。
「あの……もしかして、私……死んだんですか?」
胸の奥がズキンとした。
あの時、私はサクラを抱きしめて……。
「まだ死んでおらんよ」
神様は優しく笑った。
「えっ……死んでないんですか? じゃあここ、なんなんです?」
「生と死のあわいじゃ。お前の両親も祖父母も、その前のご先祖様たちも、お前が死なぬよう祈っておる」
その言葉に、胸がきゅっとなった。
両親も、祖父母も、もういないはずなのに……。
「お前が死んだら、お前の一族の血が絶えることになる。それはワシとしても避けたいのじゃ」
「……私の一族? そんなに凄いんですか?」
神様は目を細め、まるで未来を見通すように告げた。
「お前の孫が、日本を変える大きな力となる。そういう運命じゃ」
「……え、孫? まだ結婚どころか彼氏もいないのに、孫?!」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
神様は笑う。
「心配するな。そういう出会いも、これから待っておる」
神様がふと横を向いた。
「それと……サクラよ」
「くーん」
えっ!? 声のした方を見ると、そこには私の愛犬サクラがちょこんと座っていた。
しっぽを振って、私を見上げている。
「お前の役割は、ご主人を守ること。それなのに、何をやっとるんじゃ」
「くぅん……」
サクラが耳をしゅんと下げる。
「お、お待ちください! サクラは私を助けようとして……!」
思わず私はかばう。
神様はふっと笑った。
「まったく、お前らは……。まあ、それが“絆”というものか」
私はサクラを抱きしめた。温もりが、確かに腕の中にあった。
「サクラ……よかった……」
神様は頷き、両手を広げる。
「ならば、もう一度機会を与えよう。お前には力を。サクラには、再びお前と共に歩む役目を」
神様は厳しい目をして、私を見つめた。
「そなたの役目だが――」
声が白い世界に響き渡る。
「平安末期に、帝に取り入り国を乱れさせた九尾の狐がおる。そやつを止めよ」
「……九尾の狐? え、なんかめっちゃ有名な妖怪じゃないですか、それ」
神様はゆっくりと頷く。
「そうじゃ。人の姿に化け、帝を惑わせ、多くの血を流させた大妖怪よ」
「それを、私が……?」
「奴の悪事を止めれば、元の世界で再び生きることができよう」
心臓が大きく跳ねた。
(もしかしたら……またサクラと一緒に、生き直せる……?)
眩しい光に包まれ――次に気がついたとき、私は畳の上に寝かされていた。
どうやら、わりと身分が高そうな家らしい。柱は黒々と漆で塗られ、障子には雅な文様が描かれている。
そして、部屋の片隅には――当時としてはめちゃくちゃ珍しい、立派な鏡が置かれていた。
「えっ……これ、もしかして平安時代?」
私はふらつく体を支えながら、鏡を覗き込む。
「ど、どんな顔かな……」
そこに映ったのは――。
つぶらな瞳、ふわふわの金毛……ぴょこんと立った耳。
「…………え?」
一匹の狐が、鏡の中から私をじーっと見つめ返していた。
しかもその背中には……もっふもふの尻尾が、ずらりと並んでいる。
一本、二本、三本……数えてみると――九本!?
「ちょっ……これ、私!? え、美女転生じゃなくてモフモフ転生!? しかもよりによって大妖怪コース!?」
尻尾をばさばさ揺らしながら、私は頭を抱えた。
「……え、ちょっと待って。これって、私が九尾の狐ってこと?」
鏡の中で九本の尻尾がふぁさぁっと広がる。
「いやいやいやいや、神様! だって私に言ったじゃん! 『九尾の狐を止めろ』って!」
尻尾をばっさばっさ振りながら、私は頭を抱えた。
でも次の瞬間、閃いた。
「あっ、なるほど! 自分が帝を誑かさなければいいんだ! 国政に口出しとか絶対しなければ……オッケーってこと?」
私は思わずガッツポーズした。
「楽勝じゃん! よし、平和にモフモフライフ楽しんで、元の世界に帰るぞ!」
バタバタと慌ただしい足音が近づいてくる。
「玉藻様〜! 気が付きました?」
ガラッと戸が開き、勢いよく少女が飛び込んできた。
そして私に、いきなり抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと!? 誰ですかあなた!? 距離が近いです!」
「えぇ〜ひどい! 私ですよ、玉藻様!」
きらきらした瞳、ぴょこんと跳ねるような元気いっぱいの笑顔。
「……え? 知らないんだけど……」
「えーもう! よーく見てください! わたし、サクラですよ! ご主人の柴犬の!」
「………………は?」
思わず固まった。
鏡の中で九尾がふぁさぁっと揺れる私と、私にぎゅうっと抱きついてくる少女。
「サ、サクラぁぁぁぁ!?」
「そうですワン!」
笑顔で自分の頬を指さす少女。確かに、あのちょっと困ったような笑顔は……うちの犬、サクラのそれだ。
「な、なんで犬が女子高生風になってるのよぉぉぉ!」
「えへへ、神様がご褒美くれたんです! これからも一緒にご主人を守れるように、って!」
「ちょっと神様! 私が狐で、サクラが人間ってどういうこと!? 逆じゃないの!?」
サクラは人間の姿で、にぱっと笑って首を傾げた。
「いやぁ〜、ご主人はもともと人間だったから、バランス取るためっすかね? それにご主人がもふもふのままの方が、絶対かわいいっす!」
「かわいいとか言ってる場合じゃない!」
九本の尻尾をわたわた揺らしながら抗議する私。
そのとき、廊下の方から人の気配がして、サクラが声をひそめた。
「あ、そうそう。このお屋敷、どうやら朝廷の偉いさんの屋敷っす」
「偉いさん?」
「はい。で、その奥さんの病気を治して取り入ってたみたいっすよ」
サクラが小声で続ける。
「……まあ、病気を治すふりして、実は自分で呪いをかけてたっていう、いわゆるマッチポンプっすね」
「うわ……それ、完全に悪役ムーブじゃん」
尻尾が勝手にしょんぼりと垂れ下がる。
「っていうか、それやってたの、私……?」
サクラはにっこり笑って、親指をぐっと立てた。
「安心してくださいご主人! 今生の玉藻様は絶対やらかさないっすよ!」
「フラグ立てるなぁぁぁ!」
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