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HOLE  作者: モモイム
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BOYMEATGIRL


 本田スミレに朝が来た。


 トーストに目玉焼きという絵にかいたような朝食を食みながら、彼女はテレビを眺めた。


『最近、T市では腹部に綺麗な円形の穴が空いた遺体が多く見つかっており、警察は《ホール》の仕業と見て調査を続けています。近くにお住みの方はくれぐれも……』


(お気をつけください。でしょう? 私、グロいの駄目なのになあ)


 今日だけで何度見たか分からないそのニュースにスミレは飽き飽きして頬杖をついた。いくらチャンネルを変えてもその話で持ちきりで、お目当ての天気予報に一向にたどり着けていなかった。


 外に視線を向ければ、見事なまでの曇りだ。雨が降るか降らないか、際どい空模様。別に外に大した用事はないのだが、部屋に閉じ込められるのは嫌だった。


 どうしようかなと意味もなくちびちび水を飲んでいるとスマホがなった。スミレの実家からだ。恰幅は良い癖に低身長な母の声を思い出してスミレはうんざりしたが、無視した方があとあと面倒くさいことを彼女は知っていた。


「もしもし」


『スミレ! いい加減都会の生活なんて飽きてきたでしょ。いい加減帰って来なさいよ。店の方はまだいいんだけど、父ちゃんの調子が悪くて商品の方が大変なのよ。いい加減。だからいい加減……』


「私グロいの駄目だって知ってるよね」


 まくし立てるように重ねられる母の言葉をスミレはぴしゃりと一言で払いのけた。


「あの店なんてどうでもいいよ。私は大都会T市で普通に生活できてるんだから、戻る気なんてないの」


 スミレはそう言い放つとすぐさま電話を切った、反論されるのは癪だったから。口癖の「いい加減」を何度も繰り返す母にはどうしても馬鹿だという感想が浮かんでしまうし、文字数だけ無駄に多くなる会話も腹立たしかった。


 わざと年ごろの娘らしく言ってやったのだ。今頃向こうでぐちぐち言っているさまが目に浮かぶ。


 スミレは正しいことをしているというのに母はどうしてそんなにあの店が大切なのだろうかと心底疑問に思う。ため息が出てしまう。


 気持ちを切り替えるためにも、スミレは今日は雨が降ろうが何だろうが外に出かけることにした。「よし」と声に出して立ち上がり、食器を片付ける。スポンジに着いたままだった洗剤で洗い、乾燥機に立てかけた。このでっぱりはどう向きに使うのが正しいのか常々疑問である。そのまま台所で顔を洗い、簡単な服に着替えて玄関に向かった。


 そしてカーディガンを羽織るとお気に入りの黄色いポシェットを斜めにかけた。しばらく鏡を見つめた後に帽子を被る。今日のスミレはフル装備だ。そうでもしないと気が狂いそうだったから。


(我ながら子供っぽい……)


 自分の幼稚な所に彼女は気付いているし、友人だってそれを認めている。しかし彼女はそんな自分のことを中々に気に入っていた。


 少し重たいドアを開けるとぶわっと雨の匂いがスミレに襲い掛かった。


  


 T市は珍しく人が少なかった。今朝のニュースのせいだろう。それでもいつも通り歩く人はどこにも一定数いた。


 あのニュースのせいだというのはなんとなく嫌だったが、景色的にちょうどいい人数だとスミレは思った。今日の町はやけに綺麗で透き通っていた。


(いいなあ。なんだか別の街みたいだ)


 スミレは意味もなく手を掲げて空を見上げた。


(時が止まってるみたい)


 靄にこすられてばかりの心がすうっと晴れていくような心地がした束の間、雨が降り出した。雫に触れた瞬間に手を下ろすとどこか雨宿りは出来ないものかとスミレは辺りを見渡した。カラフルな軒下のカフェが目についたのでしばらくそこで待つことにした。おそらくゲリラ的な雨だろう。


 定休日だったので黙って軒下から雨を見上げていた。次来た時に空いていたらクリームソーダでも頼もうと心に決める。


 雨が街並みを濁らすのを見ていると誰かがスミレと同じように雨宿りしにやってきた。ゆったりとしたシャツにポケットがいくつもついた朽ち葉色のズボンを履いた男で、赤のジャケットを羽織っていた。襟足の長い髪をハーフアップにして、前髪を中分けにしているその姿はどこか薄っぺらかった。水の滴る黒髪とどこかちぐはぐだ。


(綺麗な人だな)


 灰色の世界にはっきりとした男の色彩が浮きたって見え、スミレは思わずなにか口走ってしまいそうだった。スミレの視線に気づいたのか男はスミレの方を向き、はにかむように笑った。


「すみません。一人きりで雨宿りするのはどうしてか不安で……お邪魔してしまいましたか?」


「いえ、別に……」


 あまり人と話すのが得意でないスミレはそうとだけ言って視線を逸らすので、男は困ったように笑いなおした。横目でそれを確認したスミレは口を開いた。


「カッコいいから見てただけで、特に意味はない、です」


 男は少し驚いた様子を見せた後、正面を向いて何も言わなかった。互いに返答のしづらいことをしてしまったとスミレは思った。しかし気まずさはなかった。


 スミレは本来、あったばかりの人とは一言もしゃべれないことが殆どだ。それが再び口を開こうなんてとんでもない。


 スミレはどこか男に安心感を抱いていた。どこかで仲間であるというかそんな意識を抱いていたのかもしれない。パズルピースの凹凸が埋まるかのような快感が胸の澱を解いていった。不思議な感覚に浸って、ふと隣を見ると男はスミレを見ていた。


 スミレが男の視線に内心首を傾げているのだろうと気付いたらしい男はさっきまで開いていた深い瞳を細めた。


「すみません。綺麗だから見てただけで、特に意味はないです」


 「お邪魔しました」そう頭を下げると男は軒下から去って行った。


 ハッキリとしていた男の色が雨に霞んでいき、灰色になりきったところで雨があがった。そのときには男の姿はすでになかった。


(不思議だなぁ)


 あの男も、今日の街も、この天気も、全くもってそうだった。


(本当に、不思議だなぁ)



   * * *



 あんな不思議な日は二度と来ないように思えたが偶然にもスミレと男は何度も鉢合わせた。その度に一言二言交わすうちに、二人の仲は深まっていった。


 男の名前は堀川雅貴(ほりかわまさたか)といい、今は探し物の旅をしているらしかった。最近この街にいるのは次の探し場所を決めかねているからだという。


「そんなに見つけるのが難しいんですか?」


 初めて会ったカフェでスミレと雅貴は話をしていた。スミレはアイスコーヒーをストローですすりつつ、不思議そうに雅貴を見つめた。


「そうだね。一つしかないから」


「なるほど」


 稀にスミレは雅貴の探し物について聞いたが、雅貴は具体的に何を探しているのか言おうとしなかった。特別で、大切で、必要だという事は言ってもそれが何かは言わなかった。なんにせよファンタジー的だ。


 自分探し。だとしたら滑稽に思えてくるが、その懸念は次の問いにも断られる。


「それは雅貴君しか探してないものですか?」


「うん。特殊なものだから」


(特殊かあ……。堀川家にとっては価値がある、みたいなことなのかな)


 家宝的なものだろうと勝手に納得してスミレは頷いた。


(物語の主人公みたいな人だよな)


 目の前の雅貴はその秀でた容姿と目を引く赤色のジャケットからしても主人公らしかった。


(そんな人がしばらくこんな場所にとどまって、私なんかと話してるのは変な感じがするけど)


 ストローを咥えて雅貴を観察するスミレの眼差しを、疑問と考えたのか雅貴は口を開いた。


「あまり僕の探し物については気にしない方がいいよ。人様からすればただのガラクタだから」


「他人様……」


「うん。人様」


 歯切れ悪くリピートするスミレに雅貴笑いかけた。もどかしそうな様子がどうも可笑しかった。


「そろそろ帰ろう。町まで送るよ」


「……ありがとうございます」


 スミレはコップの底の氷を一つ口に含んで雅貴について立ち上がった。ドアの風鈴みたいな飾りが豪奢な音を立てて、外の静けさを伝えた。




 おかしなことに外には人っ子一人いなかった。結構な大通りで人が溢れかえっているはずだというのに、誂えられたように誰もいない。スミレと雅貴の為だけにこの街があるかのようだった。


 空っぽになってしまったような街をしばし見つめた雅貴はスミレに笑いかけた。


「今日は気をつけて帰ってね」


「送ってくれるんじゃ……」


「…………」


 スミレが見上げても雅貴は笑みを崩さずに沈黙を貫いた。スミレはどうしたらよいのか分からず雅貴を見つめた。そして数分が経ったころ、雅貴は困ったように笑いなおした。


「ごめん。送るって言ったよね。ちょっと嫌な予感がしたんだ」


 「行こうか」と雅貴は伝えて歩き出した。スミレは黙ってその背中を追いかけた。


 聞こえるのは二人の足音のみで、曇り空は代わり映えがしなかった。退屈しそうなものだがスミレの心はただ穏やかだった。




 ちょうど二人がスクランブル交差点のど真ん中に来たというあたりで、突如いくつもの足音が聞こえた。スミレは辺りを見渡して言葉を失った。


 自衛隊か警察かは知らないがテレビでしか見た事がないような装備でシールドを構えていた。奥から大きな戦車のようなものがゆっくりと走ってきている。その大砲の先はスミレたちの方に向けられていた。


 四方を囲まれて逃げることはできず、ただスミレは恐怖した。大砲の先がカッと光って大きな弾丸がこちらに迫ってくる様子がスローモーションのように見えた。


(私、死ぬのかな)


 うるさい心臓も血の気と共に襲う冷えもわかっていた。スミレは正しく死の恐怖を理解していた。しかし動くことも、弾丸から目をそらすこともできなかった。


 弾丸は雅貴の腹部を貫いた。倒れた雅貴の腹には大穴が空いており、血が溢れかえっている。


 それを見てスミレは合点した。最近起こっていた腹部に大穴が空いた遺体が多く発見される事件の犯人は《ホール》ではなく、これだ。


(国が人を殺しているのをホールのせいにしてたんだ)


 シールドを構えたまま集団が交差点の中心へと迫って来る。


(嫌だよ)


 集団は止まらない。


(嫌だよ、このまま死ぬのは)


 戦車までもが動きだした。


(このまま死んだら、この気持ち、どうしたらいいの?)


 《ホール》をついに倒したと集団は喚く。


(私、グロいの駄目なんだって)


 集団から一人が出てスミレに話しかけようとする。


(こんなの見ちゃったら)


 スミレの視線の先には雅貴がいた。


 鼓動がさらに早くなり、身体が暑くて仕方ないのをスミレは感じた。


 息遣いが荒くなる。


 ………………────────。


(興奮してしまう)


 刹那、スミレの隣を何かがすり抜けた。涼しい風だなとスミレは思った。そのときには、スミレに話しかけようとした男は死んでいた。


 とてつもない速さで何かが集団の人間たちの腹に穴を空け、殺していく。あの頑丈そうな戦車にすら大穴が空いた。どれもこれも美しい円形でそれが血で満たされていく。


(綺麗、だな)


 ひゅうと音を立ててスミレは息を吸った。暑い頬にまだ冷い指先を当てながらひたすらに目の前の光景を眺めた。


 一分後、そこに立つのはスミレと雅貴だけだった。


 腹に穴を空けたまま雅貴は数歩スミレに近づいて笑った。


「ごめんね。僕、《ホール》なんだ」


 よく謝る人だな。と、スミレは思った。

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