参;桜と公園
桜との逢瀬は結構長い間続いた。
別れるたびに寂しそうに笑い、涙を浮かべる彼女に雪人は負けたのだ。
桜の花が散ってしまった日、彼女は言った。
「ゆきと」
「ん?」
その日、雪人は家にあったミネラルウォーターを最初に買ったペットボトルに入れそれを桜に渡し、自分も同じように家から飲み物を持参していた。
来るたびに買うのはお金が掛かりすぎるからだった。
「ゆきとは、桜が散ったら、来てくれないの……?」
桜の問いに雪人は一瞬黙る。
考えるためだ。
最初、花見と自棄酒の為に此処に来た。
でも桜に会って、桜と話すのも楽しいと思えてきた。
だから雪人はこう答える。
「桜が散ってもさ、桜が此処に居るなら、俺はまた来るよ」
桜と話すの楽しいし。
そういうと桜は「ありがとう」と微笑んだ。
夏も秋も毎日毎日、雪人は寂れた公園に通い続けた。
桜に会うためだけに。
学校帰りに公園に寄ると帰宅時間が遅くなったし、桜と会う時間が減ったが自分は構わないと思っていた。
桜も会えないより会えた方が嬉しいと笑っていたし。
「桜の家って何処? この近くなんだろ?」
いつも自分が来る前に来ている桜にいつしか雪人は尋ねた。
その時桜は静かに笑ったまま答えなかった。
断固として答えそうに無い桜に雪人の方が折れた。
やっぱり桜は変な奴だった。
家が分からないのは勿論、水以外の飲み物を受け付けなかった。
食べ物は食べさせる前からブンブン首を振られ拒否された。
そんなところを無視すれば桜は穏やかで優しい奴だったし、一緒に居ると気が楽な相手だった。
しかし桜が、どんどん元気がなくなっていっているような気を雪人は感じていた。
春より夏、夏より秋、そして冬になった時、桜の体調がもう取り返しのつかないくらい悪くなっているのに雪人は気づいてしまった。
「桜」
「ゆきと」
十二月の初め、雪人はいつものように公園の入り口で桜を呼んだ。
いつものごとくひょっこり桜は桜の樹の後ろから出てくる。
その顔色は、青白かった。
よろよろ駆け寄ってこようとした桜を手で制止し、雪人は桜に駆け寄る。
「桜、大丈夫か?」
「……大丈夫、だよ?」
とりあえず座らせた方が良いかと思った雪人は桜の手を掴んだ。
その瞬間ぞっと背筋に悪寒が奔る。
桜の手は、血が通っているのか疑問に思うくらい、冷たかった。
「どんくらいお前待ってたんだよ」
雪人は自分のしていたマフラーを桜にかける。
ブランコに座らせた桜は雪人のマフラーに顔をうずめ、首を傾げていた。
「どの……くらい?」
「あー、お前のことだからずっと、って言うのは分かってるよ」
桜は雪人の言葉にこくりと嬉しそうに頷く。
しかし、顔はまだ青白かった。
「ゆきと、桜のこと、よく分かってるのね」
嬉しい、と桜が笑う。
雪人は、あったりまえだろうがっ! と怒鳴った。
「お前と二百と七十日近く毎日顔合わせてんだぜ? 分からないわけないだろうがっ」
「そう、ね」
もうそんなに経つんだ、と桜が嬉しそうに微笑する。
その笑みがどこか儚げで、雪人は思わず目を奪われた。
桜が、このまま冬の夜空に溶け込んでしまいそうで――……。
「あ、そうだ、ほいっ」
雪人は思わず大きな声を出して水を桜に手渡す。
桜はそれを嬉しそうに受け取った。
冬だし、暖かい飲み物がいいかな、とも思ったが桜は水しか受け取らない。
雪人は持参したホットコーヒーを魔法瓶のカップに入れそれをすすった。
「ゆきと」
しばらくのんびりブランコを漕いでいた桜が静かに自分の名前を呼ぶのが耳に届く。
雪人は「ん?」と一言で答えた。
「この公園ね、春に壊されるのよ」
桜が言った一言は雪人にとって爆弾のようなものだった。
「マジで!?」
思わず叫ぶと桜が寂しげに「うん……」と返事をする。
「……じゃー、この桜の樹はどうなるんだ?」
そんなに歳をとっていない桜の樹。
公園が壊される、という事実をしってこの樹の行方が気になり始める。
雪人はこの樹が好きだった。
「…………そう、ね」
桜は静かに頷く。
そして、雪人の問いには答えなかった。
桜はこのときには本当は知っていたんだ。自分の運命を。