伊藤ルキ (中編)
出店の物をいくらか食べて図書館に向かう。法律関係の本をいくつか取って席に座って読み込む。小学校の勉強は読み書きが中心で、実践で使う知識はあまり教えてくれない。もし今の仕事が出来なくなったとしても、なんとか生ける道を探すために日々空いた時間はいつも図書館で勉強をしている。
普段学校でもほとんど誰とも関係を持っていないので、いつも1人でいる。友達もいないので気軽に話せる人もいない。仮に話せる人がいたとしても、今の自分とはきっと気が合わないだろうなと諦めていた。
ルキ「…」
文章を指で追いながらその法律がどんな意味かを考えながら読む。寂しくないかというと寂しくないとは言えない。この状況を誰かに話したいが、どうみても明らかに面倒なことを抱えている人と接点を持ってくれるかどうか…。希望は薄いだろう。
大人に頼ってもきっと組織に勘づかれてその人も消される。実際一度だけ大人に相談したが、相談後全く会うことが無くなった。その人は今生きているのか死んでいるのかさっぱり分からない。組織が関わったか分からないが、力になってくれなかったので大人も信用できないと思うようになった。
勉強を続けていると放送でもうすぐ閉館するアナウンスが流され、近くにある時計で時刻を確認すると午後9時になっていた。この時間まで頭をフル回転させて集中して勉強していたので結構疲労が溜まっていた。本を戻して組織の方に戻ろうと立ち上がると、少しふらついて持っていた本を床に落としてしまう。
ルキ「…」
頭痛も出てきたが我慢して落ちた本を拾っていると手前から誰かが本を拾ってくれた。誰だろうと思ってその人を見てみると、クラスメイトの1人だったが名前は…憶えていなかった。
クラスメイト「…は」
鼻で笑われた。どうして笑われたのかさっぱり分からず首を傾げていると、拾った本をルキに投げつけて、図書館から出て行ってしまった。本が何度も落ちる音が聞こえたのか、職員がやってきて注意を受けてしまう。自分が落としたわけでもないのに…。イライラは溜まるばかりだ。
職員に何度も謝り、図書館を出ると外は真っ暗だ。暗い道を1人でトボトボ歩いて帰っていると、さっきあった男たちがニヤニヤとした表情でルキを囲んだ。
男A「へへ、本当にいいのか」
男B「あいつらの話に乗ったんだから褒美だし問題ないだろう」
男C「俺…。小学生は初めてなんだ。楽しみ~!」
会話から碌なことが起きないだろう。身体が震えて、気持ち悪いことをされると直感したルキは逃げ出そうとするが
男A「おっと、だめだよ逃げちゃ」
男C「そうだよ! 俺頑張ったんだからいいだろ!」
男の1人がルキの身体をいやらしく触っている。首、胸を撫でた後に太ももをスリスリと撫でて鼻息が荒くなっている。どうしようかと焦っていると突然前方から強い光が出てきた。
男B「うお!」
男C「っち」
男3人が壁になってくれたおかげでルキを掴む手が弱まり、身体を曲げて拘束から逃れて走り出す。しかし、気が付いたら周囲に光が出てきて囲まれてしまっていた。男たちの仕業か思い、3人を見てみるが、3人とも何も状況が分かっていないようでとても焦った声で話している。周囲を見渡していると足元にカランカランと何かが転がってきた音が聞こえる。何かと思い視線を下に向けると、そこから煙が出てきた。
咄嗟に鼻に手を当てて、息を止めてしゃがみ込む。毒薬の類の可能性があったからだ。煙が出て数十秒後に倒れる音が3つ聞こえる。音が聞こえた場所的にあの男3人達だ。
ルキ(逃げなきゃ)
なんとかここから急いで逃げ出そうとしていると声をかけられる。
【おやおや…。そこの背の引く少女よ】
逃げ出そうとした足が動かない。まるで瞬間接着剤で地面と足がくっけられたような感じだ。足をグイグイと引っ張るが、全く動けない。何故足が全く動かせないのかと考えていると
【おい無視するな】
太ももに激痛が走る。
ルキ「~~った!」
痛むところを見ると、右太ももにテニスボールくらいの大きさの穴が開いていた。何かしらで攻撃されている。声にならない痛みを我慢していると
【あ…。すまんすまん、さっきのことを思い出してつい…。今治すから】
さっきまで穴が開いていた箇所が徐々に小さくなり、傷が全くなくなっていた。まるで最初からなかったように…痛みもなくなっている。
ルキ「!」
直ぐに逃げようとするが、相変わらず足が自由に動かせない。
ルキ「だれだ」
【…。まぁ君の状況は知っているからその無礼な口調は特別に許してあげよう。本来なら死なないギリギリまでいたぶってから治してを繰り返すくらい失礼なことを私にしているけど…。流石に君には同情しているから】
ルキ「…僕に何のようだ」
【おや僕っ娘か。珍しいものに会えた~!】
なんだかテンションが上がっている声を無視して話しかける。
ルキ「僕を殺すのが目的か?」
【殺す? そんなことしないよ。君に提案があるんだよ伊藤ルキさん】
ルキ「…なに?」
【魔女にならないか?】
ルキ「…魔女?」
【そう魔女。魔女はすごいんだよ。ほとんどやりたい放題さ。例えばお金が欲しかったらいくらほしいか望めばいくらでも手に入る、気に入らない存在がいれば容易く排除することも出来る。窃盗だって簡単になるし、相手を言いくるめることが可能だよ。それもどんな荒唐無稽なものでもね…】
寝耳に水の話だ。
ルキ(何を言っているんだこいつは)
【何を言っているんだこいつはとは酷いじゃないか】
ルキ「!?」
【言っておくけど、魔女になれば今みたいに相手の意図や考え事を読み取ることもやろうと思えば出来るようになるよ。まぁ個人差があって出来ない魔女もいるけど】
ルキ「…どこの組織だ?」
【私をあんな安っぽい組織と一緒にしないでほしいな。私は君が考えているような悪党の組織に入っていないよ。さて、どうだい? 魔女にならないか?】
ルキ「…少し考える時間をくれ」
【ん】
ここでこいつの言う魔女になれば本当に何でも出来るのだろうか…。とても信憑性がない話だ。そもそもこの声の主の姿が見えないし、現実味のない話である。
ルキ「…こと」
断ると言おうとしたらそいつは被せてきた。
【確かに君に姿を見せていないのは失礼だったな、少し待っていて】
そう言い残すと、ルキの目の前に霧が出てくる。しばらくするとそれは、人の輪郭のようなものになるが、顔は見えない。背たけは高く痩せている。声は女の声に聞こえるが…声が高い男の可能性も捨てきれないほどの高さだ。
【じゃあ試しに魔法を見せてあげよう】
そういってそいつが腕らしき部分を上から下におろすと、ルキの光景がさっきまでの真っ暗から色々な光景が見えるようになった。そして次には自分を上から見ていた。
ルキ「これは…」
【あれは過去の君だよ。君の記憶の中に入りこんで、過去を見ている】
ルキ「ふざけるな! なんでそんなことを」
【いいから黙ってみてなよ】
上から過去の自分を見下ろす。
両親に殴られている自分。
まともな食事を摂らず、水ばかり飲んでいる自分。
家には両親以外の男女がやってきて自分を殴り、身体をペタペタと触られている自分。
裸にされている自分。
学校で一人ぼっちになっている自分。
そんな自分を見て笑っている同級生の嘲笑に耐えている自分。
机やカバンに悪戯されている自分。
物を投げつけられている自分。
自分より大きな体をしている男性に襲われている自分。
男のあれが自分の口に無理足り入れられて涙目になっている自分。
身体や顔に白い液体をかけられている自分。
人を殺している自分。
用を済ましている時に泥水をかけられている自分。
周囲の人達が指を指してこそこそと話されている自分。
図書館に1人で勉強している自分。
全く笑っていない自分。
死んだ目をしている自分。
大人に殴られても何も言い返せない自分。
ルキ「やめろ!!!」
怒鳴るとその映像は突然電源を消されたテレビのように真っ暗になったかと思うと、今度は違う光景が見えてくる。
『ルキを殺す準備は出来た?』
『はいノワール様』
『よし、じゃあ早速殺しきて頂戴』
『かしこまりました』
ルキ「…なんだよ今の」
【現在君の組織で話がされている内容だよ。このままだと君殺されるよ?】
ルキ「…お前がそう見せている可能性もあるだろ」
【そうだね。でもさ、少なくとも君が見た過去の自分は全く偽りのないものだっただろう?】
ルキ「~!」
そうなのだ。全く偽りのない、ルキがされたことそのものだった。何一つ加工されていない、伊藤ルキの人生そのものだった。そこだけ何もいじらないで他を弄った可能性もあるが
【それに君は薄々感じていたんじゃないか? 自分が殺される可能性を。あんな裏社会の組織に所属している以上、抜けますといってホイホイ抜けられる世界じゃないんだよ? このまま使い潰される可能性の方がずっと高いって。それに君はまだ処女だけど、身体が成長すればそのうち純潔を散らされる可能性だって考えられる。今までそこに入れられなかったのが不思議なくらいだ】
ルキ「…っ」
唇を噛み、拳に力が入る。
【魔女になればもうこんな生活を送らなくても済むし、それに攻撃される可能性も激減することもできる。こんな風にね】
ルキ「うわ!」
ルキの身体が宙に浮く、高度はグングン上昇して、街が小さく見えるくらいにまで高く昇らされている。そして上下左右に激しく振り回される。全く息が出来ずとても苦しい。しばらく振り回されると近くの高層ビルの屋上に着地させられ、座り込んでしまう。
ルキ「はぁ…はぁ…はぁ…」
浅く息を吸っては吐いてを繰り返していると
【どうだい? 魔法なら今のようなことだってできるさ。これだけの力が出来るようになれば、君はもう何も怖がらなくてもいいんだよ?】
ルキ「…仮に僕が魔女になったとしても」
【うん?】
ルキ「…お前みたいに好き放題力が使えるとは限らないだろ」
【…君ってかなり…。いや、それもそうか。あんだけの人生を送っているんだ。それくらい疑うのは君からしたら当然か】
ルキ「…」
大分呼吸が落ち着いて、立ち上がると
【…といっても…。じゃあどうする? 魔女にならない? 別に私は君じゃなくてもいいんだけどさ…。出きれば君が良いんだよね。何もかもに絶望し、期待をしなくなり、今まであんなにひどい目に遭っても今も生きているメンタルを持つ君にこそ魔女になって欲しいんだよね。このままだと君は今まで通り…いや、もっとひどい目にあわされると私は思っているよ。そんな小さな身体でその障害を取り除くことも出来るとは思えないし、仮に出来たとしても孤立無援、四面楚歌のようなものだしいつかは倒れるよ。魔女になれば、そんな心配はなくなる。魔女になれば魔法も使いたい放題で、さっき言ったとおりに大抵のことはやりたい放題だよ。決して自然科学で証明出来るものではないから足もつかない。私は君が生き残るには魔女になるしかないと思うけど】
ルキ「…」
確かにこいつの言う通り、今はなんとか生きているがいつまで生きていられるかどうか…。こいつの言う通り魔女になるか悩んでいると扉が開く音が聞こえた。誰だと思い、振り帰ると肩に激痛が走る。
ルキ「…ぐ」
肩を見ると小さな穴が開いていて血がドロドロと流れている。手で押さえながら扉から出てきた者を見ると、そいつらはルキが住んでいる組織の護衛人2人だった。