ある平凡な夏の日に
(他の作品の登場人物と名前が似てる気がしますが、気のせいです。似て非なるもの、というやつですね。)
雲は本当に空気を読まない。いや、空気とかの問題ではないか。これはただ、こうあって欲しいとおれが勝手に思っているだけ。もしここで雲が空気を読んだら、おれは天候を操ることができることになる。もちろんそんなことはできないけど、とりあえず…頼むから、雲は太陽を隠しててくれ!!暑い!!!
しかし残念ながら、今日から学校のプールに行かなくてはならない。昼食の後このまま昼寝でもしようかと思っていたが、出発の10分前になって今日からプールだと気づいて急いで準備をした。もとは夏休み前のプールの授業の時、あと一歩のところで合格を逃してしまったのが悪いのだけど…。別に泳げなくたっていいじゃないか、とぶつぶつ文句を言いながら紗夜の部屋のインターホンを押す。紗夜はカナヅチなので余裕で不合格だった。間もなく玄関が開いて、麦わら柄の布帽子、白い服にピンクのスカートの紗夜が行ってきますと言いながら出てきた。おはようと言い合って、2人で学校に出発した。
おれの友達の間でプールに行くことになったのはおれだけだった。紗夜も同じような感じらしい。親の近所付き合いから、一緒に通うことが決まった。女子と2人という状況には少し抵抗があるが、紗夜ならいいだろう。
セミの声が轟く通学路。ただ歩くのも暇なので、持っているプールバッグを蹴りながら、夏休みに入ってから今日までの1週間をどうやって過ごしたかを話した。拓翔の家に泊まって一晩中ゲームをした話、家の大掃除を手伝わされた話、ちょっとだけ宿題をして結局すぐにやめた話…。宿題に関しては紗夜も同じらしいが、自由研究に使う材料は集め終わったそうだ。さすが成績優秀だな、と小さく言った。明日以降話すことがなくなりそうだと思った頃、ようやく学校に着いた。
「やぁあっと着いた、あっちぃ」
「ほんと暑いよね、雲も空気読んで太陽隠しててくれたらいいのに」
「そう、おれも今朝おんなじこと思った!」
思わぬ偶然。しかし空には雲はひとつもなく、 今は校門を少しすぎた頃なので日陰はまだ訪れない。おれはズボンの紐を緩めてぱたぱたさせながら、その合間に見える、朝履いてきた水着を覗いた。
「うわあ、学校来るだけで水着びしゃびしゃだよ…」
「あっ、りょうくんも水着着てきたんだね!私も、ほら」
そう言って服をまくると、紺色のスクール水着が見えた。腰がスカートと密着しているので、汗で水着の色が濃くなっている。指摘したら、怒り気味に「ちょっとりょうくん!」と言われた。
そうこうしているうちにプール前に着いた。4年生、つまり今年からは男子と女子で更衣室が別れるようなので、また後でと言っておれは教室に、紗夜はプール備え付けの更衣室に移動した。
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プールサイドを走るなと言うなら、この灼熱をなんとかして欲しい。 大人はいいな、足の裏の皮が分厚くて!
集まった誰もがぴょんぴょん跳ねながらラジオ体操をして、その調子のまま冷たいシャワーを浴びて震えながら出てくる。そしてやはりプールサイドに戻るとまたうさぎのように飛び跳ね始めるのだ。
一足先にシャワーを浴び終え、プールに飛び込んで先生にどやされている生徒を後目に、おれはゆっくりプールに入った。6年生の当番がフラフープを持って各レーンに立って、下級生はそれをくぐって泳ぐ。おれは少しなら泳げるのでフープを回りながら通ろうとしたら、足が引っかかってしまった。
今日は初日なので計測がなく、自由時間が長いようだ。とは言っても、友達は今日は来ていないので暇なのだが。自由時間が始まると、先程どやされていた生徒が懲りずにまた飛び込んで先生に回収されていった。入ってしばらくすると、泳ぎを練習している紗夜を見つけたので、どうせ暇だしと思って手伝うことにした。
「紗夜ーー」と呼びながら近づいた。向こうもおれに気づいたようだが、水中だと移動が遅くなってしまうのでなかなか近づけない。やっと2メートルほどの距離に来てゴーグルを外すと、あちらもゴーグルを上げた。
「泳ぎの練習手伝うよ、友達来てないから暇だし」
紗夜は少し考えたあと、おれに笑顔を向けた。
「じゃあ、お願いしようかな」
まずはバタ足の練習だと言って紗夜の両手を掴んだ。この練習方法が正しいのかは分からないが、先生がこうしているからきっと間違ってはいないだろう。周りの好奇の視線を感じたが、紗夜が至って真面目に練習しているからおれも気にする必要は無い。紗夜とおれは、短い自由時間じゅうそうしていた。
自由時間が終わり、シャワーを浴びて体を拭きながら、教室まで続くレンガ風の地面に足跡をつけて戻った。教室に着いてすぐ、喉が渇いていたので、プールバッグに入れておいたお茶をがぶ飲みしてから着替え始めた。教室では何人かのクラスメイトが、恥じらいなくタオルを巻かずに着替えていたので、おれも便乗することにした。股間をおっぴろげたままプールバッグをひっくり返して、服を着ようとしたがパンツがない。
パンツがない…?
「パンツ家に忘れた!!!!」
思わず叫んでしまった。クラスメイトに「ドンマーイwww」「どうすんのそれwww」と言われたが、ないものはしょうがないので渋々直にズボンを履いた。水着があればズボンは要らない、とズボンを履かずに登校しなかっただけマシだと思う他ない。
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下半身の違和感を感じながら紗夜との待ち合わせ場所の百葉箱に向かったが、まだ着いていないようなので、近くの日陰で座っていることにした。ズボンの隙間から股間が見えてしまわないように、足を伸ばして木陰に座った。
水筒のお茶が空になった頃ようやく紗夜がやって来たが、水筒に水を入れてくると言って少し待っていて貰った。グラウンドの隅の水道で水を汲んでいると強い風が吹いて、グラウンドにつむじ風が起きた。砂が目に入らないように目を背けると、紗夜が視界に入った。
瞬間、ドックンと大きく鼓動が高鳴った。プールバッグを持っていないほうの片手で必死にスカートを抑えているが、こちらから見れば斜め後ろを向いているのでそれでは不十分で、ミニスカートから覗く、綺麗な曲線を描いたすべすべのお尻がくっきりと見えてしまった。紗夜の、お尻。紗夜のお尻……。我に返って、慌てて視線を逸らした。たぶん気づかれていないだろう。水はとうに水筒から溢れていた。
紗夜も、下着を家に忘れてきてしまったのだろうか。蓋を締めながら、やはりあの光景が脳裏に焼き付いて離れない。少しでもそれを振り払いたかったのか、早く帰って忘れてしまおうと思ったのか、単に待たせて悪いと思ったのか定かではないが、小走りで紗夜の所へ戻った。
ごめんね待たせて、と言って早速帰途に着いた。しかしさっきのことを思い出すと会話のはじめ方を忘れてしまい、変に口が乾くので水を飲むくらいしかやることが無い。視線を落としても、クロックスを履いた踵からふくらはぎ、太ももと視線を巡らせてしまい、結局あの綺麗な曲線を思い出す。気を紛らわすために、近くの石でお手玉をしながら歩くことにした。こちらの願いが届いたのか、太陽は雲に隠れているので見上げても眩しくない。
お手玉に反応して、紗夜からすごいねと話しかけてくれた。これをきっかけに、なんとか会話を始めることができた。
「テニスのクラブで、お手玉すると上手くなる!って言われて家でやってるんだ。軌道を読む練習になるんだってさ」
「あれ、テニスやってたんだ」
そういえば最近はあまり話す機会がなかったんだっけ。
「そう、1年ぐらい前にね。まだ全然できないけど」
「そうなんだ…私も何か習い事やろうかな」
「ピアノとかどう?頭良くなるって聞いたことあるよ、指を動かすから」
「それって4年生からでも間に合うのかな…」
話しながらお手玉をしていたので、投げた石が手をすり抜けて足に落ちてしまった。サンダルの足にそれこそテニスボールほどの大きさの石が落ちたので、片足で飛び跳ねるような痛みだった。痛みが少し落ち着いた頃よく見ると、爪が割れてしまっていた。
「まいったな、絆創膏なんか持ってないぞ」
「あ!絆創膏なら私持ってるよ!」
「マジ!?1枚ちょうだーい」
紗夜は笑って、ちょっと待っててと言ってプールバッグの横のポケットから絆創膏を取り出し、さらに言った。
「せっかくだし、貼ってあげるよ」
「ええっ、いいよ自分で貼れるし」
「まあいいじゃん、たまには」
抵抗するのも何か違う気がして、おれは近くの段差に腰掛けることにした。
怪我をした足を座っている段差に持ち上げて絆創膏を貼ってもらっていると、紗夜は急に顔を赤らめてフリーズしてしまった。どうしたの、と聞こうとしたがすぐにおれにも理由が分かった。しまった、今パンツを履いてないんだった。短パンだから、この体勢では丸見えだ。慌てて止めようとした頃には、もう絆創膏を貼り終えていた。
紗夜にも、お互いが下着を忘れて登校していたことが分かっただろうか。またしても訪れた静寂(セミは依然煩いが、そんなものは耳に入らなかった)と羞恥を踏みしめながら歩き始めると、首筋に大粒の雨がひとつ打ち付けた。そういえば太陽が隠れているし、雲も真っ暗だ。
「まずいね…紗夜、公園まで走るよ!」
「えっ、でも、足…」
突然、大きく雷が鳴った。紗夜が「きゃっ」と声を上げる。
「足なら大丈夫だから、ほら!」
おれは紗夜の手を取って走り始めた。
足には血が滲んでいたが、構わずおれ達は少し先の公園に向かって走った。公園にはトイレがあるから雨宿りできるだろう。家まではまだあるが、夕立ならすぐに止むからそれから帰ればいい。雨脚はみるみるうちに強くなっていく。
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公衆トイレあるあるだが、和式便器がありえないほど汚い。普通に使っていたら馬鹿でもあの範囲に落とすことぐらいはできると思うのだが、何故か外のタイルにこびりついて取れない汚れが無数にある。よっぽどぶちまけているのか。
と言っても、今おれ達がいるのは公衆トイレではなく仮設トイレだ。公園の(汚い)トイレは何かの工事をしているらしく、三角コーンとトラ棒で囲まれて使えなかった。この仮設トイレは業者が使うためのものだろうが、今は工事をしていないので雨宿りに使わせて貰っている。ただ、夏場の公衆トイレはサウナ並みに暑いのだ。もちろんドアは軽く開けてあるが、雨が入っては本末転倒だから、拳ひとつ分位しか開けられない。実質密閉と言ってもいい空間に2人も人がいるし、湿度も高いから尚更暑い。
学校で追加した水も底を尽きたところで、なんと尿意を催した。偶然にもトイレにいるので幸運と言おうか、横に異性の友達がいるので不幸と言おうか、いずれにせよ、気づけば限界が近いのでつべこべ言っていられない。
「ごめん、おしっこしたくなっちゃった」
「ほんとに!?ここでするってこと?」
「それしかないみたい、臭かったらごめんね」
紗夜は困った顔をしたが、構わず急いでズボンの紐の結び目を解いて、しゃがみ込んだ。段差があるタイプの和式トイレなので、下の段にいる紗夜に背を向ける形になる。
水筒二本分の尿が勢いよく流れ出る。ジョボジョボという音が、激しい雨音と混ざって薄いプラスチックの箱の中に響く。滲んだ汗が額から眉毛を通り抜けて、睫毛に落ちる前に服の袖でそれを拭った。勢いの割にまだ半分ほどしか出せていない。時間が経つのが異様に遅く感じた。心臓が脈打つ度に、蒸し風呂状態のトイレで茹で上がった頭がきゅんと締まる。臭いなどは嗅いでいる余裕がなかったが、音なら紗夜にもよく聞こえているはずだ。…凄く嫌な気持ちだろう。
やるせない思いのまま残尿を絞り出し、ズボンを掴んで立ち上がった。パンツの有り難さを改めて痛感する瞬間だ。ごめんねともう一度言ったが、紗夜が俯いたまま視線を合わせようとしないところをみると、言葉は雨にかき消されてしまったようだ。
紗夜につられてしばらく俯いていた。言葉はなく、ただ轟轟と鳴る雨音だけが響いていた。しかしそこに、「りょうくん、」と一言だけ聞こえた。カクテルパーティー効果というやつだ。きっと、例えここに他に人がいたとしてもおれにしか聞こえないであろうほど、小さな声だった。
「あのね、私、朝急いでて…その…」
紗夜は顔を赤らめ、少しモジモジしながら続けた。
「おトイレ、行けてないの…」
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今日のおれはどうやら運に見放されているらしい。パンツを忘れ、夕立に見舞われ、おまけにこれだ。それとも、プールで楽しんだツケが回ったのか。まだこれで終わらないような、嫌な予感もする。
紗夜は便器をまたいで立ち、後ろをしきりに確認しながら「絶対!!見ないでよ!!聞くのも駄目!!嗅ぐのも!!」と言っている。分かった分かったと言ってそっぽを向くが納得してくれない。態度で示せということらしい。そんなことを言われても、両耳と目と鼻を塞ぐなんて…できた。親指で耳を塞いで小指で鼻を、あとの指で目を塞いだ。おれは律儀に塞いでいるのに、「ほんとに見てない?!」と何度も確認してくる。耳だけは塞いでも音は聞こえてしまうが、ここで返答をするとまた面倒なので黙っていた。
紗夜もようやく黙った。雨の音でよく聞こえないが、きっと今まさに用を足しているのだろう。…普通に考えたら見ないはずがない。中指と薬指の間を少しだけ開けて、紗夜を覗き見た。
今度は、しっかりと見えた。おれに背を向けてしゃがみ、スカートの前をまくっている紗夜の、お尻の綺麗ですべすべな曲線。それと、紗夜から出てくる金色の液体。朝にトイレに行っていないということは、昨日の夜から溜めていたのだろう。おれはしばらく見とれてしまった。せっかくなので鼻の穴も開けてみた。紗夜の尿の濃い匂いと、不思議な鼻につく匂い(女の子の匂いとでも言おうか)が混じり、暑さや湿度も相まってむせ返るようだった。
紗夜が振り返ったので咄嗟に指を元の位置に戻したが、太ももか腰のあたりをトントンと叩いておれを呼ぶ。直感で耳だけ開けた。
「ティッシュ持ってない?トイレットペーパーがなくって…」
それ見た事か。やはり不運は畳み掛けるものなのだ。ティッシュは、親に持たされているのでプールバッグの中にある。そう、プールバッグの中にあるのだ、そこが問題だ。
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とりあえずティッシュがおれのプールバッグにあることを伝えた。さて、ティッシュを取り出すには紗夜におれのプールバッグを漁ってもらうか、もしくはおれがそうするかだが、どちらにせよ問題があるのは紗夜にも分かるだろう。紗夜だっておれの生暖かい水着が裏返しに入ったプールバッグなんか漁りたくはないはずだ。ただ俺が探すなら、目を開けなければならない。
「……どこに入ってる?」
まあ、そうなるだろう。見られるほうが嫌に決まっている。
「…水着とか入ってる一番下にちっちゃい袋があるから、その中」
音から察するに、紗夜は体の前後を反転させて下の段の床に置いてあるおれのプールバッグを開けて探し始めた。向きを変えたからか、「見ないでよ!」と念を押された。
おれだって好きで水着を触られている訳ではないし、さっきまで穿いていたものを触られていると想像するとむず痒い気持ちになる。忘れていたがかなり長い間ここにいるようで、また喉が渇いてしまった。手で押さえている目の周りの汗が時々目に入って滲みる。服ももう絞れる位には汗まみれだろう。雨脚は…もうかなり弱まったようだ。これなら事が終わればすぐに帰れるだろう。……。
「……うわっ!」
暑さで突然足の力が抜けてふらついた拍子に、半開きになっていた扉が勢いよく開いて、おれはそのまま上半身を投げ出されてしまった。慌てて雨に濡れた公園の土に手をつき、何とか難を逃れたと思い視線を上げたその時だった。
目に映ったのは紗夜の、驚きと恥じらいが半々のような顔。膝に置かれたプールバッグ。腿で捲りあがったスカート。そして。……そして、初めて見る、幼馴染のパンツの中。はじめに、そうか、紗夜は女の子だったな、と思った。本当にそこには、自分に当然あるものが無かった。ここで初めて、紗夜を友達としてではなく異性として見たのかもしれない。特徴のひとつに過ぎなかった「性別」が、10年生きた今ようやく意味を持った。
一瞬の沈黙が流れる。今度は時が止まったようだった。紗夜は、思い出したように慌て始めた。しかし、前を隠すものは何も無い。プールバッグの紐が腕に引っかかって、焦るほど固く絡まっていく。おれも慌てて身体をひねり、逃げるように横へ足を出すと、水溜まりに思い切り踏み込んでしまった。汚い飛沫が顔まで飛んできて、反射的に口をつぐんだ。
2人は一旦落ち着くと、黙ったまま目を合わせて、それから耳まで赤くして笑った。笑うしかなかったのだと思う。水溜まりが無ければどうなっていたか。
ひとしきり笑って、紗夜と俺は立ち上がった。結局、ティッシュはおれがサルベージしてあげた。立ったままガニ股で拭いた紗夜は、「今回のこともこれと一緒に忘れてあげよう」と言って、ティッシュを便器に落として水を流した。そして、特別だよ、と言いながら仮設トイレから飛び降りた。
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西陽が、空を橙に染めながら沈んでゆく。公園から家までは普通に歩いたら10分程なのだが、この日はうんと時間をかけて帰った。あまり話さなかった間に学校であったこと、紗夜の習い事のこと、最近のゲームのこと、取り留めもないような話を、ゆっくり歩きながらしていった。朝の沈黙が嘘のようだった。
どれだけ話しただろうか、気がついたらおれ達が住むアパートの前にいた。
明日からも、プールの補習は続く。おれは紗夜より先に、「じゃあ、また明日」と小さく手を振って、1階の入口の方へ肩を向けようとした。ふと「りょうくん、」と声が聞こえて振り返ると、紗夜は「また明日、パンツ穿き忘れて行こうよ」と頬を赤らめながら言った。おれも夏の温度で少しのぼせたようだ。「うん。じゃあ明日も、同じ時間に。」と返して、紗夜に背中を向けた。
童貞臭い文章ですいません。しょうがないです、童貞なので。