隣人能見 その4
気分よく部屋にはいったまではいいものの、冷静に考えると問題の解決に進むどころか問題を複雑にしてしまったことに気が付いた。一日中能見をどう調理するか深く考えていたTにとってはプラスどころかマイナスに進んでしまった応答の結果は屈辱的で忸怩たる思いのものだった。
水を見ているとふと「座敷童は人を幸せにする」という文章を思い出し、全然幸せになってないどころか水が原因で不幸になっているじゃないかと水に腹を立てかけたが、問題の根幹は腐った能見の性根にあるわけで、非難すべきなのは能見だと再確認し能見に怒りの矛先を向けた。
殺人鬼に殺されないためにはどうすればいいのか防犯意識を徹底させようとするテレビ番組を見て怒りを覚えるように、本来するべき行動は殺人鬼を裁くことなのだ。いまの場合の水は一般人で能見が殺人鬼、間違っても俺が水を非難することをしてはいけない。ここは一度冷静にならなければ。
それにしてもどうしたものか、本当の彼女を合わせるのは大分厳しい。合わせるとするならばまず水のことを話さなきゃならない。水の存在を黙ったまま、あの夜部屋に彼女がいたなんてことを能見が話題に出して来たら修羅場になる。そういうのはごめんだ。後から水の存在をしゃべったところであいつは聞く耳を持たないだろう。水の存在を前に喋っておき、そして信じてもらうことが最低条件だ。しかもあいつは能見のようなタイプの男は嫌いだし、それをずけずけ口に出すやつだから、これもまた懸念材料だ。そうなると次の手は真実を言う、ということになるのだろうがやはり厳しい、能見が信じない可能性だってある、その場合は嘘をついた俺に対して更に過激な方法で自分の目に映った虚像を追うだろう。信たら信じたで能見の性格からして「座敷童」だなんてワードはど真ん中のど真ん中だろう。そんなものを聞いて、「はいそうなんですね」となることがないのは明々寮々だろう。のこされた最終手段は無理だった、と断ることだが、最初に考えていたよりほかの案がさんざんだから、これが最善手なのか、これも他と大して変わらないほんのその場しのぎにしかならないだろう、一つ手間が増えるだけだ。クソ、能見のために頭を働かせるのに食傷してきたな。
「私に話してみろ。」急な声でTは悪夢から醒めかけた「昨日からがTが嘘ついてることは分かっているし、今の状況を見るに昨日からの問題が解決していないこともわかる。私に話してくればそれはどうにかできるかもしれないし、話すだけで気持ちが楽になるだろ?ぜひ話してみたらどうだ。」と続ける水の姿を見て、能見の一件を縷々として語ることに決めた。能見について披歴するということは、やはりTの目にほの暗い未来を映したが、既に現実がドス黒くなってしまった以上もうこの道しかないように感じていたのだ。小さく息を吸い、「実は、昨日話した能見と言う男についてすこし揉めてるんだ。能見は昨日俺の家に彼女が来たと思っていて、その彼女に会いたいと言ってくる。あまりにもしつこくて断れず、ついさっき彼女に会わせると言ってしまった。こんな奴に座敷童の話をするわけにはいかないしどうたものか迷ってるんだ。」「そもそもその男は、自分がTの彼女に会うのが当然の権利だと思っているのか。」Tは陶然とした。この言葉を待っていた。自分の中の普通が欠落した常識に食傷していたTの耳に聞こえたのは讃美歌だった。
「私が解決しよう。」言葉が体を駆け巡った。空腹で飯を貪る幼子のようになんども何度も言葉を咀嚼した。頭を打たれた感覚と、いままでの怪奇を世界の理で説明付けられない現実から、どのように水が解決するのかについては聞かなかった。
その夜、Tは気持ちを海月のように漂わせながら眠る。