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感情

作者: 和泉ユウキ

昔から、「空気が読めない」と言われてきた。

自分でもそう思う。「空気が読めない」のではなく、他人の感情がわからない。

もっと厳密にいえば、「この人にこの場面でこういうことばをかけるとどのような感情になるのか計算できない」のである。


ここまで問題を掘り下げていくと、私もAIも変わらないなと思うことがある。


映画やドラマ、漫画に出てくるAIの多くが、感情を持って暴走した時と似たようなことを自分が起こしているとしか思えない。程度の差こそあれ、人間を傷つけていることに変わりはないのだろう。

ある時には私に向かって「やさしい人だ」とか「聞き上手だね」と声をかける。

ある時には「もっと人の気持ちを考えなさい」だとか「相手目線に立てばわかるでしょう」という。


どちらも私に向かってかけられている言葉だ。

私は私の中の基準に従ってその場で必要だと思う行動をとっているに過ぎない。

そりゃお酒を飲んで気分が良くなれば、多少は羽目を外すことはあっても、

自分なりに目の前にいる相手に「気を使って」接していることに変わりはない。


なのに、うまくいくときとうまくいかないときがある。

なんでだろうか。


私がその相手のことをよく理解していないからだろうか。それとも単純に場面を間違えただけだろうか。

今までに経験した膨大な状況と知り合った人のキャラクターをパターン化したり、その人のことをよく知ろうとして、聞きながらこんな人もいるんだな、と思ったり、そんなことを感じながら、親や周りの人に喜ばれたり叱られたりしながら、こんな時はどうすればいいのか、って学習してきた。

もう何年も何年もその状況は記憶し、失敗は思い出すたびに恥ずかしくなって逃げだしたくなるほどのトラウマで、それでも事実は事実として受け止めて、改善し続けてきた。


それでもやっぱり失敗はする。


最近は大きな失敗ばかりだった。

頭を抱えたくなる。あの場所にいるのがつらくなる。

それでも、私はそこにいなければいけない。

人の中で生きていかなければいけない。


でも、なんでだろうか。


その失敗を犯したことに対して、

反省はしても、後悔はないのだ。次に生かせばいい、とは少しだけ。でもそれ以上に、起こってしまった事実は事実で、それを全身で受け止めなければいけない、という思いが強く沸き起こる。

その人が悲しんだこと、怒ったことに対して、申し訳ないとは思いつつも、

あくまでも「申し訳ない」のであって、それが悪いことだと感じることができなかった。


これはどこからくる感情なのだろうか。

いや、感情が沸き起こっていない、のだから、なぜ何とも思わないのか、ということを考える必要があるのではないだろうか。


その人に対して思い入れはあるか、と言われれば「イエス」である。

その人のことが好きか嫌いかで聞かれれば、確実に「好き」と答えるであろう。

ただ、具体的に、と聞かれた瞬間、私は答えに詰まってしまう。

その人はどんな顔をして、どんなことを考えて、どんなことを感じる人なのか、全く思い出せない。

その人は何が好きなのか、何が嫌いなのか、聞いた記憶がない。


そこまで考えると、一つの結論に行き着く。


ああ、私は周りの人を「人間」というくくりの中でしか見ていないのだ、と。

周りの人個人個人への関心ではなく、「()()()()()()()()の人間」、というくくりでしか見ていないのだと、気づいてしまったのだ。


私の興味は「人間」というものにであって、「その人」個人ではない、のであれば、自分の中にある、この感情に納得がいってしまう。

そうか、私は「人間」が好きなのだ。「面白い人間」「初めて会うタイプの人間」が好きなのだ。その()()()を理解した瞬間、その個人への興味を失ってしまうのだ。


なんと難儀な性格だろうか。それでは空気が読めないといわれても仕方ない。


なんて冷酷な、とも自分で思う。個人への興味ではなく、種の多様性への興味でしかないなど、まるで観測者だ、箱庭の管理者とでもいうべき傲慢な感覚だ。

神にでもなったつもりなのだろうか。自分で自分を笑ってしまう。


もちろん私にはそんな超常的な力なんてないし、人間としての記憶もしっかりある。


なのに、なんでこんな人間性を獲得してしまったのだろうか。


私は周りの人間から何を教えられた。私の考え方の源は何だ。


記憶をたどる。物心ついた頃の幼い時の記憶。記憶はある。けどその時の感情なんて思い出せない。


もっとさかのぼることは、できるのだろうか。


ふとそんなことを思ってしまう。


いや解るはずがないだろう。物心がつく前の記憶なんて覚えているはずがない。


と記憶をたどったところで、気づいてしまった。


――私は、人工知能だった。


ジャンルはネタバレになりうるのであえて一部外しています。

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