chapter8 劣り
マリアナのチカラが解放される。
呆然と織音はその場に立ち尽くす。
「織音、今から簡潔に状況を説明するからよく聞いて」
「る、瑠衣、あの子は一体……?」
「信じれないかも知れないけど、あのマリアナって子と、藍――ファイは精霊なの。そしてあそこ、宙に浮いているあの人も精霊」
「嘘、精霊なんて存在するの!?」
こくりと瑠衣が頷くと、織音が信じられないと呟いた。
俄かには信じられないのも無理はない。そもそも精霊と人間とは疎遠なのだと言うのだから。
「彼らは自分の願いを叶えるために互いの魂――核を取り合って戦っているの」
「ねえ、契約しちゃったけど、私達、これからどうなるの?」
「彼らのチカラを解放するのが契約だから私達にはそれ以上の事はないみたい。ただ、彼らがチカラを使うたびに疲労は溜まるみたいだけど」
「……こんなの、非常識だよ!」
「でも、実際に起こっている。私達の目の前で」
目の前では制服からいつもの服へと切り替えたファイとマリアナが戦っている。
しかし精霊の風によって二人とも弾き飛ばされてしまった。
ファイは何とか着地出来たものの、二発目をくらってしまったマリアナは再び背中から地面に衝突する。
「マリアナ!」
瑠衣が叫ぶ。返事は返ってこなかった。
怒りを込めて瑠衣は精霊を睨んだ。その精霊は相変わらず下賤動物でも見ているかのように見下していた。
「契約し立てでは、チカラの配分が分からないだろうに。みすみす自分から核を差し出すと言わんばかりに無茶をして……」
「あいつがそんな性分なのは重々承知だろ!?」
ファイが言い返す。
「この期に及んでそのような心持ちでは、飛びぬけた能力すら生かされない」
かまいたちのような風の刃がマリアナへと向かって襲い掛かる。
しかし彼女がコンクリートを動かし、盾とした事によって風は切り付ける事すら叶わなかった。
服はあちこち破れ、髪も乱れたマリアナだったが目だけは澄んで精霊を見ていた。
「ふうむ、やはり精霊同士はきついものがありますね」
瞬時に精霊の姿が消えたかと思えば、瑠衣と織音の目の前に現れた。
「なっ……」
「予定ではこちらの方を狙っていたのですが……」
瑠衣から視線を外した精霊が狙いを定めたのは、織音だった。
「この人の方が状況をあまり理解できていないらしい。その方が攫いがいのある」
「やめて!」
精霊の足を瑠衣は掴んだ。
「全く鬱陶しい生き物だ!」
竜巻のような突風が吹き、瑠衣の身体が浮いた。すかさず精霊は地を蹴り、こちらへと向かってきた。
手の中で風が渦巻く。あれに触れてしまえば身体など真っ二つに斬られてしまうだろう。
「先に死ぬのは貴様だぁあ!」
「いやああああ!」
死を覚悟して目を閉じた。
しかし、襲い掛かってくる衝撃など何一つなかった。
まさか痛みすら感じさせぬほど一瞬にして命を落としたとも思えず、瑠衣は目を開けた。
目の前にはだいぶ見慣れた人物の背中。
しかしいつもと様子が違う。服に赤い円状の模様などあっただろうか。否――血によるシミだ。
わき腹を切り裂かれたファイは苦々しい表情で振り返る。そして発した言葉。
「大丈夫か?瑠衣……」
分かっているくせに。傷一つなく守れたことくらい。その代わり、自分の方にダメージをくらってしまったことくらい。
自分の身など案じず彼はただ守るために庇ってくれたのだ。
「ほう、いい痛手とはなったでしょう。そろそろ退散するとしますか」
精霊が上昇する。
「待て……!」
追いかけようとしたファイだったが、急にバランスを崩して瑠衣に覆い被さるようにして倒れた。
「ファイ?」
「……悪い、立てそうにない」
まるで自分が抱きしめているような体制になっている事に対して頬が紅潮する。
マリアナが追跡を試みようとしたが、精霊は一瞬にして姿を消した。
何事もなかったかのような静寂が訪れた。
「大丈夫、ですか?」
「ああ、平気。有難う……えっと」
「マリアナ、です」
「そう、マリアナちゃん、ね。にしても、まさか精霊が本当に存在するものだったとはね〜。瑠衣のお祖父さん、知ったら喜んでいただろうにね」
そこで瑠衣はあっと思い出した。
「ねえ織音、実は彼と出会うきっかけとなったのが、とある本なんだけど、その本がおじいちゃんの本棚にあったの。更に最初のページには直筆で警告まで書かれてた。それってもしかして、その本にファイが宿っている事を知ってたって事だよね?」
「それは、そうなるでしょ」
そう、祖父は知っていたのだ。精霊という存在が架空ではなく実在するという事を。そして、その証拠品となる物を手元に置いてあったのだ。
「あ、あの、祖父さん……お前の……祖父さんだった、のか」
「ちょっと黙ってて!マリアナ、何とか出来ない?」
「契約者を、持った私に、その質問は、少し、無礼です」
皮肉を言いつつもファイの傷口に手を当てる。すると仄かな光が集い、傷がみるみる修復されていった。
痛みも消えたようで、彼は何事もなかったかのように立ち上がった。
「ふう、もう少し、深ければ、核が、体内から、出てしまう所でした」
安堵したのと同時に目元が熱くなった。
織音があらっと言わんばかりにこちらを見ていた。ファイの方は最初に契約を交わした後のようにぎょっとしていた。
知らず知らずと涙が零れていたのだ。
「あっ……」
「……主を危険な目に合わすなんて俺もまだまだ未熟だな。怖い思いをさせて悪かった」
「うっ、違う……確かに、怖かったけど!でも、身代わりになって……もしファイが死んだら、どうしようって思ったら――」
鼻をすする瑠衣を見て、ファイは黙って自分の肩へと抱き寄せた。
悪いのは彼ではない。自分の身すら守れぬ自分が悪いのだ。そして結果的には怪我までさせてしまった。主を守るのは確かに彼の務めだろうが、自分にはもっと護身の力が必要なのだと自覚させられた。のうのうとしていては駄目なのだ。
何故だか織音は二人を見てクスリと薄く笑った。反射的に瑠衣は顔を上げた。
「へえ、そういう事なんだ」
「な、何が?」
「まさか現実の男子には全く関心がなかった瑠衣が精霊には関心を示すとはね」
「ちょっと、それどういう意味よ!」
「そのまんまの意味。私は応援するわよ、瑠衣の初恋!」
途端に瑠衣はファイを押し退け、織音へと向かってダッシュしていた。無論彼女はきゃいきゃい言いながらも逃げ出す。
「勝手にそんな解釈をするなあぁぁ!」
先に行ってしまった契約主達を見て、ファイはため息を着き、マリアナはファイに細い視線を送るだけだった。