chapter4 土
侵入してきた使いの姿を見て瑠衣は口をポカンと開けた。
何せ、人間の頭では到底考えられない事が起こっていたからだ。
こちらへと蠢いているのは――木。
葉を生い茂らせた木が歩いていた。
――誰か夢だと言ってくれないものか……
「あ、あり得ない……」
「何でもアリって奴だよ」
平然と言ってのけるこの精霊の頭の中を覗いてみたいものだ。
木が先程ファイの書いた魔方陣を避ける様に蠢く。
「逃げようとしても無駄だぜ!」
次の瞬間、木の行く手を阻むように炎が噴き上がった。
火に燃やされてしまってはたまらないと言わんばかりに木が退く。そこには魔方陣の中心。
追い詰められた木は魔方陣の真ん中に立つを得なかった。
魔方陣が発動し、鎖が何処となく現れて木を拘束する。ぐるぐるに縛られた木は動かなくなる。
いつの間にかファイの手には鎖の端が握られていた。力いっぱいファイがそれを引いた。
すると木の中から黒いオーラが飛び出してきた。それは糸のように外へと続いていた。どうやらあれで操っているらしい。
「操りの糸さえあればこっちのもんだ!」
鎖から手を離し、代わりに姿を露にした糸を引っ張る。
外から救急車のような高い音がしたかと思えばだんだんその音、いや、声がこちらへと向かってきた。
ようやくはっきり何を言っているのか聞こえてきた。
「……ぁぁぁあああ!ぶつかるぅぅぅ!」
糸を撓らせ、糸の先にくっ付いてやって来た人物を壁に衝突させる事なく中へと連れ込んだ。
声の高さからしての予想通り、その人物は女性だった。長い黒髪が印象的な自分より少し大人っぽい少女だった。着ている幾何学的な模様が特徴の古風な服からして、精霊であると確信した。
「久しぶりだな」
ファイが話しかける。彼女はびくっと肩を震わせて潤んだ瞳で振り返った。
――この子が昨日襲ってきた犯人だよね?
悪事を働いた割にはびくびくしているものだ。あまり進んで人を殺そうとしそうな顔はしていないが。
彼女がようやく口を開く。
「私は、貴方の核を、奪いにきたの!」
「へえ、お前が。あのびくびくした臆病者が俺の核を奪いに来たって?笑わせてくれるな」
威圧感は圧倒的にファイが勝っている。
「私は、負けられないの!だから、負けない!」
魔方陣が薄れ、代わりにコンクリートが突如鋭利に盛り上がる。まるで針山のように。
少女と瑠衣の視線が重なる。
「契約者、死んで!」
「ええっ!?」
瑠衣の立っている場所にも異変が起こる。慌ててその場を離れると自分の立っていた所に同じく針山が出来上がっていた。
ファイとは少し異なった能力。でも、人ならざる道のチカラ。
彼女は間違いなく、精霊だ。
「なめられたら困るぜ!」
ファイが距離を詰め、精霊に襲い掛かる。
炎が円形に精霊を囲む。煮えたぎる炎は逃げ場を奪う。
「ううっ……」
「どうだ!これが実力の差ってもんだ!心持ちでチカラも変わるんだよ!」
勝ったのかと思った瞬間、瑠衣の足から力が抜けた。痙攣して、自力では立ち上がれそうもない。
「あ、調子に乗ってチカラ使いすぎたか?」
「まさか、契約者の体力を奪ってそんな魔法使ってるんじゃあないでしょうね」
「全くもって、その通り……」
「そういう事はもっと早く言ってよ!」
無理やり立ち上がろうとしたが、すぐに尻餅をついた。
そんな瑠衣の肩を支える腕が突如現れた。支えによって何とか立ち上がる。
精霊はこんな所へ来れるはずもなく、ファイは精霊を睨みつけている後姿が見えている。では、この腕の持ち主は誰なのだろうか。
瑠衣は振り返った。
そこには黒髪の少年が微笑んでいた。しかしその微笑みが徐々に優しさから狂気に変わっていく。
ようやく瑠衣はこの少年があの精霊の契約者だと気付き、逃げようとしたが、手首をしっかり掴まれていて逃げ出せなかった。おまけにファイは精霊の方に気が入ってこちらには気付いていない。
「ふぁ、ファイ……」
「おっと、声を出しちゃったか」
弾かれたようにファイが振り返る。注意がこちらへと向けられる。
瑠衣は少年の腕に拘束されていた。首元に鋭利な缶切りを突きつけられていた。
「貴様……」
「この契約者、やけに弱いね。女性である事を含めても精神力や体力に欠けすぎているのでは?」
「お前には関係ないだろ!」
髪の毛が逆立つ程ファイは殺気立っていた。一方の少年は余裕を見せている。自分の精霊が捕らわれているにも関わらず。
まるで、あの精霊が囮となっていたかのように。
「いくら人間でも容赦しないぜ!」
新たに炎を生み出し、駆け出すファイ。
「いいのかい、契約者まで燃やしちゃって」
「!」
勢いがなくなる。
忌々しそうにファイが舌打ちをした。
現に自分の契約者を人質として取られてしまったのだ。契約者に手を出され、もし死んだらファイは解放されたチカラを失ってしまう。しかしこのまま黙っているほど彼も大人しくはない。
「おい、そんな炎くらい抜け出せないでどうするんだ」
「ご、ごめんなさい……」
注意を受ける精霊。彼女はびくつきながらも謝る。
「出来れば核を渡してもらえると助かるな」
「誰が渡すか!」
「じゃあ、この契約者とはサヨナラだ」
そう言って缶切りの刃を首元に触れさせた。ほんの一瞬触れただけで皮膚が切れ、そこから血が流れ出す。
熱い感覚に叫びたいのを必死で堪えた。
「やめろ!」
「今だ!」
次の瞬間、炎が突然として消えた。
理由はコンクリートに密封されてしまい、酸素を失ってしまったからだ。
注意を逸らしていたため、そんな動きがあったとはファイは気付けなかった。
精霊がささっと素早く逃げ、自らの契約者の後ろに隠れる。
「この馬鹿!逃げてばかりでどうする!さっさと始末しろ!」
「で、でも……ファイは……――」
「……何て使えない奴だ!」
瑠衣を拘束していた手が離れた。
契約主はつかつかと精霊に歩み寄り、勢い良く殴った。
「!」
思わずファイと瑠衣は短い悲鳴を上げていた。
しかしはっとしてファイはすかさず瑠衣を引き寄せる。
地面に叩きつけられた精霊の目は酷く悲しげだった。