chapter43 三つの願い
「うっ……」
瑠衣はほぼ天帝と同時期に目を覚ました。
右手はしっかりとファイが握っていた。だがそんな事よりも最初に目に入った姿にびっくりし、飛び起きた。
「ま、マリアナ!!」
「瑠衣、久しぶり、です!」
ファイの手を振りほどき、マリアナと熱い抱擁を交わす。
「おいこら、何か言う事ないのか……」
「誰が握っててって頼んだの?」
「……こぉの減らず口が!」
「本当の事じゃない!」
隣でぎゃあぎゃあと騒がしくなり、天帝が頭を押さえて唸った。
とは言え、彼の表情は穏やかだった。確かにリンゼの最期の願いは届いたようだ。
ふいに気付いて瑠衣は尋ねた。
「リンゼは?」
その言葉に暫しの沈黙があってメリッサが答えた。
「消えちゃったよ……」
「え?」
自然と自分の胸に手を置いていた。
確かに何かが抜け落ちたかのようだった。あって当然だと思っていた何かが、確かに失われていた。
堪えきれず、涙が零れ落ちていた。悲しい気持ちがどんどん溢れてどうしようもなかった。
人間は――自分はどうしてこうも無力なのだろう。彼女の心の支えになる事すら出来なかった。最期にも立ち会えなかった。
「天帝と呼ばれる立場でありながら、自分を見失っていた事にリンゼは気付かせてくれた。リンゼは、こんな天帝のために全てをかけてくれた。それが、誰かを想う気持ちなのだと知った。不甲斐ない……。許せとは言わぬ、だが慰めはさせて欲しい」
少し間を空けて天帝は言葉を続けた。
「三つ、願いを聞き届けよう。誰が願っても構わない。本当は個人個人にしたい所なのだが、生憎それほどのチカラが残っていない」
「それで、いいのですよ!無理して、万が一、何かあれば、リンゼ様に、顔向け出来ません!」
他の皆の意見も同じだった。彼には生きてもらわなければならない。失うわけにはいかないのだ。どんな相手でも。
「一つ目はもう決まってるだろう?その子を元の世界へと帰す事」
クートが言った。
「二つ目は、勿論この戦いを制したファイの願いよね!」
メリッサがまくし立て、ファイは自らの願いを言った。
「俺は、人間になりたい。確かに殆どチカラを持たなくてひ弱な存在かも知れない。でも、人間は互いに愛し愛されている。最初はリンゼから、そして地上で瑠衣に出会ったことで、想い合いがどれ程素晴らしいものなのかを思い知ったんだ。そして、大切な人をその人と同じ立場から護りたいと強く思った」
「……容易い事だ。確かにこの一件で人間に対する認識が少し変わったと自分自身思う」
次々と精霊達は頷いた。
ずっと人間は人ならざる精霊のチカラを利用し、時には罪になる事まで働いた。現にそんな人間が消滅しているわけではない。でも、今回は幸いにも心温かい人間が精霊達の契約主となった。人間はそこまで腐ったものではないと知らしめられた。
いずれ、精霊と人間がこのような特別な境遇ではなく普通に共存出来る日が来ればどんなにいいだろう。
――俺の覚悟は昔から変わっていない。ずっと側に居て、あいつを護ってやる!
未だ涙が止まらぬその顔で瑠衣は微笑み、ファイの胸の中に飛び込んだ。
皆は温かい目で彼らを見守っていた。明らかに離れがたい絆がそこには生まれていた。
「残り一つ、か……」
「ああ」
カシオの呟きにクートが返答し、少し唸ってからメリッサが発言した。
「私はもういいや」
「えっ!?」
舌をぺロリと出してまんざらでもない顔をするメリッサに訝しげな目を向けるファイと瑠衣。
「だって、一番苦労したのはファイと瑠衣でしょ?特に私、頑張って功績とか上げてないし。それに……罰も受けなきゃならない身だしね」
そうまで言われると何も言えなくなる。
「それなら、オレだってそうさ。特に何もしてないし」
「俺もだ。ファイ、そして瑠衣には感謝している。残りの願いもお前達が叶えるがいいさ」
「そうです!瑠衣も、ファイも、私は、そんな二人を、尊敬してるの、です!ですから、二人がお願い事、して下さい!」
「……皆」
皆笑顔でこちらを見ていた。本心から、そう思ってくれているのだ。
――前は譲り合いなんて、なかった。自分の事ばかり考え、行動し、戦っていた。彼らも、成長したものだ。これも、リンゼ……いや、彼女のおかげなのだろうな
天帝は様変わりした精霊の姿に感銘を受けていた。
「瑠衣、お前が言えよ」
「え?」
「俺は正直……その」
きっと後でからかわれてしまうだろう。でも、言っておかないとこんな素直な気持ちいつ言えるか分からない。
詰まり詰まりにファイはその言葉を口にした。
「お前と……一緒に、居られるだけで、いいから」
「いよ、男前!」
案の定メリッサがはやし立てた。
見ると、瑠衣は頬を赤らめてはにかんでいた。やばい、マジで可愛い……。
と、ファイの胸から離れ、瑠衣は天帝と向き合った。意思の強い翡翠の目がこちらに向けられ、心臓がドクリと脈打つのを天帝は感じていた。
形ある姿ではないが、リンゼは確かに瑠衣の一部として息づいている。そう思った。
「三つ目の願い、言わせて貰います」
「何なりと言うがいい」
自分の足元を見て、瑠衣は告げた。
「契約主達の記憶を、戻して下さい」
「!」
思いかげない言葉に天帝は目を見開いた。
「学んだ事があったのは、精霊達だけではありません。契約主となった人間の方も、確かに学び取れたモノがありました。それを忘れ去り、前と変わらぬ生活をする姿を見るのは辛いです。大切なモノを学んだのに、振り出しに戻り、心を閉ざしている様を見るのは……。責めて、ここに来る前の契約主達の記憶だけでも戻してもらえませんか?」
記憶が消される理由は知っている。
でも、彼らが最後に契約していた人間達ならそう悪用するはずもないだろう。
「……心得た。記憶は既に生まれ変わった契約主にも戻しておこう」
「有難う御座います」
一礼し、精霊達と笑顔で話し始める彼女の姿を見守る天帝。
彼女が護ろうとしたモノが、こうして生きている。彼女自身は消えてなくなってしまったが、彼らが存在する事で彼女の思いは生きていく。
それが散り散りになっていても。
別れの時間は近づいていた。