chapter42 全てをかけて
蔦は完全に天帝を呑みこんだ。
「うっ……!?」
どうも天帝のチカラをもってしてもその蔦を解けないようだ。
掴まれていた瑠衣の魂が天帝の掌から逃れ、胸の奥へと引っ込む。
それと一緒にリンゼの姿も瑠衣と重なる。
ブロンズヘアが緑の編みこみに変わる。開かれた目は瑠衣のものより濃い緑だ。
『どうしてもと言うのなら、私を捻じ伏せてからにして下さい』
細められた目は完全に戦闘モードに入っている証だ。あまり怒らない人は怒らせると怖いと言う話は本当だとファイはこの状況でしみじみと思った。
軋む音と同時に天帝が蔦から抜け出す。一応ダメージはそれなりに与えたらしい。
「リンゼ……何故我と同等のチカラを……」
『そんな事を言っていられる状況ですか?』
「!」
いつの間にやら一面花畑になっていた。
舞い散る花びらが風に乗ってこちらへと襲い掛かってくる。鋭く花びらは掠めた頬を傷つけていく。
彼女の強い思いがここまでのチカラを発揮しているのだ。
「くっ……!」
攻撃したくとも、自分の想い人に出来るはずがない。それを笠にリンゼは次々と攻撃を繰り出す。
流石の天帝もとうとう反撃を開始する。全ての花びらを結晶に閉じ込め、砕いた。
増産させようとしたリンゼだったが、花本体も結晶化され、呆気なく破壊されてしまった。
次に天帝を襲ったのは召還された人食い薔薇だった。
噛み付いてくる薔薇に天帝は危うく飲み込まれそうになったが、光の球を貫かせ、薔薇を見事撃沈させる。
激しい戦いに皆固唾を呑んだ。ここまで本気になって戦った事があっただろうか。彼女は護る一心で戦っている。
と、急にリンゼが膝をついた。
『ただの精神体である私にはきついわね……』
「強大なチカラはそれだけ自分の体力も奪ってゆく。あれは単なる突発的なチカラに過ぎない。だが、我は違う!」
何処からともなく鎖が現れ、彼女をがんじがらめに縛り付ける。
「さあ、先程の勢いは何処へ行った?」
『くっ……』
リンゼはそのまま目を伏せた。
勝ち誇り、歩み寄った天帝はリンゼの顎をとらえた。
次の瞬間晒し出された彼女の顔に天帝のみならず皆が驚いた。
彼女は――泣いていた。否、先程と纏っているオーラが違う。あれは、瑠衣だ。
「私は……貴方の気持ちが分かる気がする……」
「なっ――」
「愛する人の死を認めたくないって気持ちが。ましてや、存在の消滅なら尚更――」
「分かったような事を……!」
更に縛り上げられても瑠衣は言葉を並べ続ける。
「だって、生まれ変わる事さえ出来なくなるんでしょう?どんなに探しても二度と、生まれ変わりの似た人ですら決して出会う事はなくなってしまうんだもの。それは、その人を心の支えにしている人にとっては、辛い事。もしそういう世界の理を知ったのならば、誰だってそう思うでしょう」
「黙れ」
「少なくとも、私はそう思う。自分の愛する人がそんな事になったら……どんな手を使ってでもそれを阻止したい!」
鎖にヒビが入る。
身体の自由を奪っていた鎖が砂となって散る。
『私は全てをかけて、貴方を倒します……』
強い光が辺りを包んだ。
ガードをしたものの、天帝でもその光のチカラを免れる事は出来なかった。
「そうか……」
チカラに吹き飛ばされながら天帝は理解した。このチカラは確かに強大だが、命を奪えるほどのチカラではない。
それが、彼女の――思いのチカラ。
彼女はいつだって誰かの死を望まなかった。それを阻止するために前回だって全力で戦ったのだ。ただし、相手も殺さないように。
前回は勝った。そして今回は負けた。彼女だけでない、恐らく人間の方の強い思いが彼女のチカラを増幅させたのだろう。
でも、これでいいのだろう。
思いは、チカラで捻じ伏せる事など出来ないのだと知ってしまったのだから。
思いは必ず相手に届く。でも、それに理想の形で応えてくれるかどうかは別物なのだ。
完全なる存在でも、手に入れられないモノがある。
あの状態でここまでのチカラを放てばどうなるか、もう想像はつく。
悲しいが、それも受け止めなければならないのだ。
背中を打つ鈍い衝撃。そのまま光の中で天帝は意識を失った。
光が止んだ。
どうなったのか精霊達には分からなかった。あまりにも眩しくて何も見えなかったからだ。
仰向けに倒れて気を失っている天帝の姿があった。そしてそれを見下ろす彼女の姿も。
「やった……!」
ファイが夢のように呟く。
皆がほっとしたのもつかの間だった。
ドサリ。
彼女もまた力尽きて倒れたのである。
全身から血の気が引いた。
「リンゼ!」
「瑠衣!」
もう今はどちらなのか分からない。
と、リンゼの姿が瑠衣の身体から抜け出した。しかしその精神体は前よりか透明度が増していた。
目の前に居る彼女がとても遠くに感じた。
『もうこれで、大丈夫でしょう……。あのチカラと共に思いも届いたはずですから。天帝もそこまで残酷なお方ではありませんし……』
「リンゼ、お前は本当に無茶しやがって」
『ええ。私の願いがこれで叶いますから……』
「え?」
『前にも言ったはずです。私は本来存在してはならない存在――』
「消えてしまうの!?リンゼ様!」
やっぱり。
『貴方達がこれからも生き続けてくれれば、私はいいのです。それに、私が生きる事は瑠衣さんを苦しめる事になりますし……。私も、かなり苦しいのでね……』
「最後の最後まで人の事ばっかりだな」
『いいえ、私の我儘ですから……。皆、今まで、さんざん、振り回して、ごめんなさい、ね……』
彼女から光の粒子が剥離していく。どんどん彼女の姿が薄れていく。
思わず引き止めそうな手を必死で制するファイ。既に別れは経験した。今度こそ離さないと決めていたのに、引き止めることが出来なくなってしまった。
目を閉じる。深呼吸してゆっくり開く。
不思議と心が落ち着いていた。
「本当にさよなら、だ。あの日、本当に言えなかった別れの言葉で、お前を送ってやる……」
その優しい面持ちにリンゼは彼の成長を感じた。嬉しくて身体がぽかぽかしてきた。
『ありがとう……さよな、ら……』
彼女の姿――精神体はこの瞬間、光の粒子となって消滅した。