chapter41 等価交換
カシオのよりきらきらと輝く膝ほどまである銀髪に、深みのある蒼の瞳をもった人物は微笑んだ。
その肌の白さから一瞬女とも思えるが、性別はれっきとした男だ。
微笑みの裏に隠されたモノを皆感じ取っていた。
「天帝……。単刀直入に言うぞ」
この言葉から恐らく戦いの火蓋は切って落とされるだろう。
「精霊の核を持ってきた。俺の願いを叶えてくれ……」
口の端が歪んだ。
「どいつも、こいつも……!」
纏うオーラが瞬時に刺々しくなる。思わず怖気づいてしまいそうだ。
白の柱にピシッとヒビが入る。それだけ殺気立っている証拠だ。
「お前はリンゼと同じ事をして、挙句の果てにはリンゼすらもそのままで……!」
「ファイ!」
守る様に水のドームがファイを覆う。
鋭い眼差しがメリッサに向けられた。思わず、メリッサはごくりと唾を呑んだ。
……来る!
「懐柔されたか!」
強烈な光がメリッサ目掛けて放たれる。横へ飛び、その光をかわした。
だが既に読まれていた。飛んだ方向目掛けて第二波が放たれていた。避ける事が出来ず、直撃する。
「きゃあああ!」
「メリッサ!」
倒れこむメリッサ。水のドームが弾けた。水のチカラが止まったのだ。
「くそ!」
今度はクートが雷を天帝目掛けて落とす。
見事に直撃したが、天帝は全くダメージを受けていない。
と、天帝の姿が瞬時に消えた。
はっと背後を見たが、そのときには既に時遅し。
背中に衝撃。地面に叩きつけられ、クートは意識を失った。
「やはり敵わないか……!」
「くっ……!」
糸も簡単にメリッサとクートがやられてしまった。
やはり天帝のチカラは強すぎる。とても敵う相手ではない。
「ファイ……その魂にしかと刻み込め」
「伏せろ、ファイ!」
無数のカマイタチが天帝の放った無数の光の矢を砕く。
瑠衣を抱いたままではまともに太刀打ち出来ない。しかし安全な場所など天帝の前にはありはしない。
地面に手を置き、炎を噴き上げる。が、天帝は空に飛び上がり、火柱は届かない。
再び天帝の姿が消える。
「後ろか!」
振り向けば天帝がこちらに向かってくる所だった。
技を繰り出そうとファイが拳を突き出した。が、その拳を天帝が手首から掴む。
握る手の強さにファイは思わず表情を歪める。瑠衣を抱くもう片方の手の力が緩んだ、その一瞬。
彼女は天帝の手の元にすくい上げられた。
「瑠衣を返せ!」
すぐさま天帝に向かっていくファイ。
だが見えないバリアに弾き飛ばされ、その場にうずくまった。
「皆、よく聞くがいい」
威厳ある声が響く。
「この世は無から一を創造する事は出来ぬ。出来るのは天を統べる我のみ。それ以外は等価交換で成り立っているのだ。願いを叶えたくばそれ相応の代価を差し出せ。そのために精霊達を戦わせ、代価として受け取るのだ。代価も払えぬ愚か者に何を褒美とすればいいのか!」
「等価交換……」
「……まあよい。リンゼを代価とし、お前の願いを叶えてやろう」
そう言うなり天帝は手を瑠衣の胸へと入れた。精霊達が核を奪うために使う異次元への道。そして彼が掴もうとしているのは――。
瑠衣の魂そのものだった。
光溢れる球状をした魂を天帝は掴んだ。その途端、瑠衣が目を見開き、身を震わせた。
「まさか人間の魂と融合していたとはな……」
そのまま手を引き抜こうとする天帝。人は魂を一度失えば確実に死んでしまう。
「やめろ!」
ファイは叫んだ。
すると突如柔らかな風が吹いた。優しさに満ちた気が流れ出す。
『おやめ下さい、天帝――』
いつの間にか天帝の前に跪くリンゼの姿があった。
「精神までまだ健在だったとはな」
ぴくりと眉をひそめ、手を止めた天帝にリンゼは更に語る。
『私の核は既に完全に取り込まれ、彼女の魂と一体化しています。無理に私の核を引き抜こうとすれば彼女の魂が壊れてしまう。なくなるのは私だけでいいはずです。私が代償となりましょう。ですから、残りの皆の未来まで奪わないで下さい――!』
切実な彼女の訴えに精霊達は心打たれた。
それに呼応してクートの胸から一つの核が飛び出した。それがみるみる人の形を取り、マリアナが姿を現す。
「マリアナ!」
「リンゼ様……」
悟り、ふるふると首を振ったリンゼにマリアナはそれ以上言葉を紡ぐ事は出来なかった。
天帝がぎりっと奥歯を噛み締めた。
「どうしてだ……」
『え?』
「どうして、お前はいつも我の手からすり抜けていく――?」
それは今までに見せた事のない、悔しさに満ちた顔だった。
「誰も気付きはしない……我とて、皆と同じく感情があり、自らの望みを抱いている事を――」
精神のみのリンゼに触れられるはずがないのに、天帝は彼女の髪に触れた。
「我とて、誰かを愛する事があるという事を――」
『天帝……』
続く言葉がなかった。
確かに今まで一度も考えた事がなかった。彼にも、人間や精霊同様の心を持っている事を。
強大なるチカラ故に下界から隔離され、仕える者や大精霊には一線引かれ、どれほど孤独だっただろうか。
これも、等価交換。偉大なるチカラを持つ代わりに感情や自由を奪われる事が定められた世の取引だと思い始めるのも無理はない。
本当に天帝を狂わせていたのは、その周りに居た存在だったのだ。
「私は――お前さえ手に入れば!」
ぐぐぐっと瑠衣の胸から魂が取り出される。
「あああああっ!」
『あああああっ!』
二人の悲鳴が重なる。
自分の胸を押さえて崩れ落ちるリンゼ。
「リンゼを手に入れる代償は、お前だ!」
経験した事のない苦しさの中で、瑠衣は薄目で彼の姿を見つめた。
自分の命の源が奪われてしまう。しかし身体には力が入らない。どうする事も出来ない。
――彼はリンゼさえ手に入れれば満足する。これ以上戦う事はない。なら、私はその代償に……
一筋だけ、涙が出た。
本当は死にたくない。でも、これで全てが終えられるのならば。どちらにしろ、手立てなど残されていない。
死を覚悟して、瑠衣は目を閉じた。
『天帝』
とても彼女の声とは思えない低い声。
次の瞬間、無数の蔦が天帝を襲い掛かっていた。