chapter37 重なる影
「ファイ、おやすみ〜」
「おう」
あれから一週間経った夜。
いつものように先に寝始める瑠衣。
「ちょっと、あたしへの挨拶は!?」
「ああ、メリッサもおやすみ……」
「何か、どうでもいいような挨拶でムカつくわね」
メリッサも回復し、再び瑠衣の家へと戻ってきていた。
すうすうと規則正しい寝息が聞こえてから、メリッサとファイが向き合った。これから大事な話をするために。
「んで、あたしが居ない間にとうとうクートも従属するようになったわけね〜」
「そうだ。その事だが――」
伏せがちにファイが言う。
「明々後日には、天帝の元へ向かおうと思う」
「なっ……」
流石のメリッサも驚きを隠せないで居た。それもそうだろう。まさかこんなに早く帰る事になるとは目覚めた直後には思ってもなかった。
こんなにすんなり今回の戦いが終わったのも、ファイ――契約主である瑠衣が巧みに説得したおかげとも言えるだろう。
従属する身であるメリッサには拒否権がない。が。
「いくら何でもそれは早すぎるでしょ!」
普通に反発した。
「私はもう少し――責めて一週間はいるものだと思ってたのに!蓮斗とデートすら出来ていないのに〜!」
「そりゃ俺だってあいつとデ、デートなんて……」
「それじゃあもう少し待とうよ〜!」
「今、思ったんだけどさ」
「ん?」
「天界へ向かう道に入れば、契約主の記憶は契約解除時同様、消えるんだろ?」
その言葉にメリッサは凍りついた。
「それって、永遠の別れに等しいよな……。俺は人間になると言う願いを叶えて瑠衣とずっと一緒に居たいと思ってたけど、それは出来ないじゃないか……」
彼女からの返答はない。
「だったら、もう無駄に想いを募らせずに行った方がいいかなって……そう思ったんだ」
「……やよ」
ぼろぼろ涙を零すメリッサ。潤んだ瞳は相変わらず、幼児を思わせる。
「嫌よ!そんなの!」
そう言ったかと思うと、メリッサは窓ガラスをすり抜けて外へと出て行ってしまった。
確か、蓮斗の家はこの近くにあるそうだとか。
――まあ、蓮斗も変わったし、心配ないか
今なら信頼が置けるので、追いかけない事にした。
それよりも、あのチカラ――瑠衣が暴走したあの能力は完全にリンゼのものだった。
あまりにも彼女を思わせる要素の持ち主である瑠衣にただならぬ因縁を感じたものだ。
確実に、リンゼは存在している。瑠衣の中に。
姿を、一度でいいから見せてはくれないだろうか――。
目を閉じようとした時だった。
『ようやく、二人きりになれましたね――』
響いた懐かしい声に勢い良く顔を上げた。透けてはいるが、リンゼの姿が目の前にあった。
一体いつから捜し求めていた事か。
聞きたいことが沢山あった。でも、口は開かなかった。ただ、逢えただけで嬉しくて。
『私はどうしても言わなければと思い、顔を出したまでです。それほど時間を共には出来ません。こうして意識を飛ばす事はかなりチカラを使うのです』
「ああ……」
『貴方に真実を語っておきます。私は――』
瑠衣に語った事と同様の内容をファイに話した。
信じられないと言わんばかりにファイは目を白黒させた。
「……でも、お前は確かに存在しているじゃないか」
『本来存在してはならないのです。私の意識が消滅しないと、不安定な魂となっている瑠衣さんがどうなるか――』
その先は計り知れない。
消えなければならない。そして、その事を彼女自身も望んでいるのだ。それを咎める権限など、持ち合わせていない。
でも、せっかくこうして精神が残っているのに、彼女を助ける手立てがないのが悔しい。
『だから、もう私の事は忘れ去りなさい』
「!」
冷たく言い放たれた言葉にファイは絶句した。
『ちゃんと前を見て。過去ばかりを求めていては、迫り来る天帝との再会時に敗北を招きます。私の二の舞にはならないで。貴方には私ではなく、彼女がついているのですから』
違う。
そう言いたくとも声に出来なかった。いや、そうする事も彼女は叶えさせなかった。
瑠衣に想いを寄せているのは確かだ。ただ、そのきっかけを作ったのは他でもなく、リンゼなのだ。
きっかけはただリンゼに似ていると理由だった。
他人のイメージを重ねるのは駄目だと分かっていた。だが最初はどうしてもリンゼと重ね合わせていた。
『私は既に死んでいるのです。本当は貴方の前には絶対出ないと誓っていました。貴方を惑わしているのは、他でもなく私なのですから』
リンゼが近づく。
『愛していました、ファイ。あの時言えなかった別れの言葉です……。さよなら――』
「リンゼ――」
思わず引きとめようとした。
しかしこのまま引き止めても彼女の負担になるだけだ。
本当は手放したくない。でも、既に彼女は手の届かない場所へと行ってしまっているのだ。今更、元通りに戻れる訳がない。
周りの景色と同化して消え行く彼女の姿にファイは一言投げかけた。
「俺も、愛してた」
流石に別れの言葉は言えなかった。
それで十分だった様だ。とろける様な笑みを浮かべてリンゼは消えた。
よろめいて、ファイは壁によりすがった。
悲しくて、悲しくて仕方がなかった。どうしてこんな運命の中で愛してしまったのだろう。
暫くファイは嗚咽を漏らし続けた。
「お〜い、起きろ〜」
「全然反応しないね」
「よしっこれでどうだ!」
突然頭に冷気を感じてファイはがばっと起き上がった。
「あ、起きた」
「やっぱり冷たい空気も苦手みたいね〜♪」
と、瑠衣がこちらに顔を近づけてくる。
「目、腫れてない?大丈夫?」
慌てて鏡を見せてもらうと、少し腫れあがっていた。睡眠不足に泣き跡が重なって更に状態を悪化させている。
しばらく鏡を見つめていたファイだったが、満面の笑みを浮かべて言った。
「別に何ともねえよ」
「そう?」
重なる影にファイは目を伏せた。