chapter36 儚い生命
ショックを受けつつも、恐る恐るクートは彼女の手を握った。
「サラ……」
それが彼女の名だった。
名を呼ばれ、サラはうっすら目を開けた。もう半分ほどしか開かないようだ。
誰なのか認識し、笑みをこぼすサラ。
前回同様カシオが魔法をかける。
「……良かった。最期に、会えて」
「最期だなんて言うな!オレは、オレは……!」
首を振るサラ。
彼の横に立つ一人の少女へと視線が移る。
「貴方、サラって言うのね……」
「ええ……。わたし、は、サラ・リンドウ……。日本名は、林道沙羅って……言うの」
一呼吸置いてサラが続ける。
「私は、ずっと、一人だった……。ずっと、病院で、暮らして、外に行くなんて、ままならなかった……。だから、友達と、呼べる、存在が居なくて……」
握られた手に力を込める。
「でも、やっと、出来た……。大切な、存在が」
クートの瞳が潤む。が、必死で涙を堪える。
その様子を見ていたファイが瑠衣の背後から顔を出す。
「こいつが、心の支えだったんだな」
「だって……、お父様や、お母様、皆、私を置いてきぼりに……」
「完全なる孤立ですカ。その気持ちなら、分かるヨ」
蓮斗が言う。言わば、親に捨てられたも同然だったのだ。金だけ払って治療はさせるものの、愛情を注ごうとはしなかった。彼女も辛い思いをして生きてきたのだ。
それが、彼女の生きる意志のない、最大の理由なのだろう。
「クートだけじゃないよ」
瑠衣が呟く。
その瞳に沢山の光を集めて。
「私達だって、もう仲間――友達じゃない。知り合うって本当に偶然の縁なんだよ。無関心じゃなくなった私達だって、もう友達じゃない!孤独なんかじゃない!」
もう一方の手がすがるように瑠衣の手にしがみついた。
その様を見て、悠、蓮斗が彼女の手に触れる。
「ちゃんと巡り合えたんだよ。君が望んでいた存在にさ」
「心の寄り所がちゃんとここにあるんだヨ。この縁も、きっと精霊同士の戦いがあったからこそあるもんだネ」
そうだ。
リンゼが――ファイがして来た事。その努力によって、新しい契約主同士の関係が結ばれるようになったのだ。
精霊が、導いたのだ。この縁を。
――孤独なんかじゃない!
その言葉がサラの脳に幾度となく響いていた。
もう自分一人で抱え込まなくてもいい。彼一人に頼らなくてもいい。
こんなに、こんなに温かい関係がここに築かれたのだ。それだけで、心が軽くなる。
ふっと気を緩めた時、涙が零れた。
涙で滲んではいたが、クートもまた泣いていた。
彼は特別だった。今までずっと、心の支えとなり、自分のために尽くしてくれた。
そんな彼が――好きだった。
自力でマスクを取る。駄目だと言う声がしたが、そんなのどうだっていい。
最期の我儘くらい、許される。
彼はちゃんと分かってくれていた。自分がどうしてほしいのか。
背中を抱えられる。
「愛してる、サラ」
「私もよ、クート……」
それは初めてのキスであり、永遠の別れのキスであった。
彼の唇の温かみに全身の力が抜けていった。意識が徐々に闇へと落ちていき、数秒後には何も感じなくなった。
心臓停止を意味するアラーム音だけが鳴り響いていた。
ぐっと泣き出しそうになるのを堪えていた瑠衣だったが、悠から差し出されたハンカチにとうとう涙が零れた。
これが、人の命の終わる瞬間。
何て悲しいのだろう。
一度経験した事を思い出していた。
数瞬前までは確かに生きていた人物がもう肩一つ震わせない虚しさが押し寄せた。喋る事も出来ない。温もりを感じる事さえ出来ない。
二度と巡り合えないのだと痛感させられる。
ベッドに寝かされた彼女は少し嬉しそうな微笑みを浮かべていた。最期だけは、幸せに思えただろうか。長年欲しかった存在が手に入って。
クートはその場に崩れ落ち、最期の温もりをずっと噛み締めていた。
「これから、彼女はどうなるんだろう……」
「葬儀までは取り計らってくれると思うんだけど」
死してなおの扱いが不安だ。
休憩スペースで皆が暗い表情をしていた。人が死んで、明るくなんて出来るはずがない。
「お葬式とかも、出てあげたいけど、いきなりでびっくりされちゃうだろうから、出られないだろうし……」
ちゃんと送り届ける事すらままならない。
重い空気の中、ずっと何も言わずに俯いていたクートが立ち上がった。
「とれよ、核」
「は?」
「……サラの居なくなった世界に価値なんてない!」
ファイの手首を掴み、強引に自分の胸へと突っ込ませる。
覚悟したように、クートが目を閉じた。
その様にファイは勢い良く腕を引き抜いて、その手で彼の頬に殴りかかった。鈍い音がして、クートが床へと倒れる。
「甘ったれた事を言ってんじゃねえよ!」
食いかかる勢いで言い放つ。
「あの子が、お前の消滅を望むとでも思ってんのか!確かに天帝曰く、死した者を生き返らせる願いは聞き届けられないと言ってたが、何もそれで全部捨てる事はねえだろ!」
「五月蝿い!オレには……オレには願いも、その存在も、全部サラあってこそだったんだ!」
「それは、彼女を言い訳に利用しているとしか思えないよ」
きっぱりと言い放たれた言葉に、クートは瑠衣を睨んだ。
それでも臆する事無く瑠衣はクートに近づき、ファイの殴った側の頬を平手でペチッと叩いた。
「貴方が存在し、生きる事によって、彼女も救われるんじゃないの?」
そう、彼自身が彼女の生きた証だ。
へなへなとその場にしゃがみ込んだクート。
ぽんっと肩を叩いてやると、まだ堪えていた想いが零れて、泣きじゃくり始めた。
――私も、いつかこんな風に想われたいな。大事に、大事に。
改めて精霊と人間との間に生まれた想いに感銘する瑠衣だった。
前にマリアナが自分に叩き込んだ言葉の意味が、ようやく実感出来た。
こうして、最後の精霊とも無事和解する事が出来、全ての精霊が一応揃ったのである。