chapter33 リンゼ
世界は暗闇へと閉ざされていた。
側ですうすうと寝息を立てて眠る精霊が居る。瑠衣は未だ眠りに着けずに居た。
時刻は既に真夜中と言える位だろう。
何故だか眠るのが怖かった。
これも全部知ってしまったからだろうか。あの手紙によって、全てを――。
自分の中に存在する精霊――恐らくファイの愛していたと思われるリンゼが居る。今まで彼女の存在を知らなかった。だから、特に不安を感じる事もなかった。
でも、知ってしまったから恐れを抱くようになってしまった。いつか、ファイが知ってしまい、彼女が自分の身体を乗っ取ってしまうのではないかと思うと、眠れそうになかった。
そっとベッドから這い出て、月が明るい窓辺に立つ。
照らし出された瑠衣の影がぐにゃりと揺れた。
「!?」
悲鳴を押し殺した。何事かとファイが起きてしまっては困る。
影が一人の少女を形作る。いつか、夢で出会った少女。
『こんにちは……それとも、こんばんわかしら?』
「え、はあ……」
普通に挨拶され、反応に戸惑う瑠衣。
『ファイは今、寝ているのよね』
「ええ、ぐっすり」
不思議と敬語になってしまう。尊い存在と思えるオーラが漂っているからだろう。美しきモノであるからこそ、尊さを感じさせるのだ。
彼女はそっとファイの側に近寄ると、一つの花を掌に生み出し、傍らに置いた。
悲しげな表情を見て、瑠衣は心を鷲掴みされたような気分だった。胸が苦しくて、呼吸すら叶わないと思える程だった。
気取られぬよう、静かに深呼吸する。
『皮肉よね、自分でも消滅してしまったものだと思っていたのに、こうして核を人の魂に融合させ尚意識は生きているなんて……』
「貴方は私の魂と一体化しているんですね」
『私が消えて既に無数の月日が流れただろうに、ファイはまだ私を追いかけているのね』
「……好きだから」
痛い。
「ファイは、貴方の事が好きだから……。貴方だって彼の事が好きなんですよね?」
溢れそうになる感情をせき止めるのが精一杯だ。
少し間を空けて、彼女は柔らかな春の日差しのような笑みを浮かべて言った。
『好きだった』
次の瞬間、キラリと月光に光る滴が彼女の瞳から流れ出していた。それを合図に瑠衣の目からも一粒、涙が零れ落ちた。
『私は既に消滅した身。いくら特殊な理由で精神を保っているとは言え、生き返る事は決してない。あるのは、消滅のみ――。だからこそ、彼には前を向いて生きて欲しいの。私の事は、内緒にしてくれるわよね?』
「……それでいいんですか?ファイの事、好きだったのなら尚更――!」
『好きだからこそ、離れるのよ。貴方の中に私は存在している。けど、私の命は既に終わっているのよ。この先、こんな不安定な状態で何処まで存在を維持出来るか分からないのに、未練なんて残してしまえば、どうなる事か。これは、ファイのためにも私のためにも必要な事なのよ。そして、貴方にもね』
側に居る事だけが愛ではない。そう、彼女は教えているようだった。
好きだから離れる――。
まさか、悠は好きだから離れる事を選んだのでは……?何らかの原因があって。
原因と考えられるのは、恐らく。
ファイの方を見た。憎みたくとも、憎みきれぬ相手。
『貴方、彼に惹かれているのでしょう?』
「!?」
どうして周りの人間はそうくっ付けだがるのだろう。ぶんぶんと首を振ると、更にクスクスと彼女は笑った。
『貴方の心は見え透いているわ。そして、ファイも私と重ねずに貴方を好きでいようとしている。彼が何故貴方に惹かれるのか、そして貴方が何故彼に惹かれるのか、分かる気がするわ』
彼女の姿が薄れていく。
引き止めようと手を伸ばした瑠衣だったが、手は虚空を掴んで彼女の姿は一瞬にして消え去っていた。
ただの幻に過ぎなかったのだろうか。
いや、彼女は確かに存在している。自分の魂と融合した状態で。
――融合?
よく考えてみれば、不思議なチカラを使える精霊と人間の魂が混ざり合ったらどうなるのだろう?チカラが使えたり、するのではないか。
試しに頑張ってみた。
勿論、何も起こらなかった。
――起こったほうが怖いか……
自分が普通の人間同様であると身を持って知り、安堵した瞬間睡魔が襲っていた。
その場に倒れこみ、そのまま瑠衣は眠った。
『何故、どうして……!』
気がつけば、暗闇の中で何かと戦う彼女の姿があった。三つ編みの髪が振り乱されていた。服もボロボロだ。
と、攻撃を受けて彼女の身体が吹っ飛ぶ。
闇から凄まじい怒りを込められた声が轟く。
「何も分かっておらぬ!願いを叶えるとはどういう事なのか、全く分かっておらぬ!」
更に柱上に光が彼女を貫く。
『きゃああああああ!』
「リンゼ!」
彼女の身体が完全に後ろへと倒れる。そこへ駆けてくるのは赤毛の少年――ファイだ。
精霊リンゼはふるふると首を振った。そのまま下へと落ちていく。
もう少しと言う所で、ファイはリンゼの手を掴み損ねた。そのまま彼女は落下していき、姿を消した。
絶望し、嗚咽を漏らすファイ。
その後ろから更に声が轟く。
「……ふふっ、お前達も覚えておくが良い。我に逆らえば、どうなるかを!」
ファイは奥歯を噛み締め、地面に爪を立てた。
「……い、――!」
遠くから声が聞こえる。
と、突然頬に衝撃が走り、瑠衣は跳ね起きた。
「あ、起きた」
ヒリヒリする頬を押さえて瑠衣は目をパチクリさせた。
思わず鏡を見れば、押さえた頬は少し赤くなっていた。
「全然起きないからビンタしてみた。どうだ、聞いただろう!」
女の子の頬を叩くだなんて、あり得ない。
こんな奴にときめくはずがない。好きになるはずもない!
「ガキ!」
「んなっ!こんな所で普通寝るはずないって思ったから何かあったのかと思ったんだよ!」
「正当な理由を並べただけで許すほど私は単純じゃない〜!」
いつもの痴話喧嘩を始めたせいで、先程まで見ていた夢の内容は瑠衣の記憶から消えかかろうとしていた。