chapter31 今は前へ
いつもの学校。いつもの授業。
このいつもが一瞬にして砕けてしまうなんて、思ってもなかった。いや、あの結末こそが本来この戦いには必然的なものなのだろう。
臆病で、ビクビクしていたけど、その微笑みは周りの空気を和ませていたマリアナ。彼女の姿はもう何処にも見受ける事は出来ない。
そして精霊に関する全ての記憶を失った織音は普通の女の子として生活している。
――彼女を関わらせるのは危険だろう
ファイとの相談で、この精霊達の戦いが終息するまで織音と関わるのは自粛する事にした。
もはや精霊も居ない、記憶すらももたない彼女を巻き込むのはあまりにも危険すぎる。なら、もう一切関わらせない方がいいと判断したのだ。
仲の良さは持続しつつも、瑠衣は出来るだけ距離を置くように心がけていた。
学校の帰り道。
前ならば織音とマリアナと女同士の話で盛り上がっていた。
でも今は、ファイと二人きり。しかもファイは何だかソワソワして落ち着きがない。
静寂だけが流れている。
話題はないかと必死で頭の中を探り、ようやく話題を出す。
「今日は両親は残業で、おばあちゃんは老婦の会の会合だから、夕食は二人だよ」
「あ、そう」
「ファイの好きなメニュー、作ってあげてもいいわよ?」
「やった!それじゃあ俺、ハンバーグがいい!」
小学生のような発言に、思わず瑠衣は笑う。
こんな風に喋っている方が嫌な事とか、悩み事とか忘れられていい。
家の前までやって来ると、門の前に見慣れた人物が立っていた。
「蓮斗?」
名を呼ぶと彼はこちらを見て駆けてきた。
「メリッサなら悠の家だよ?」
「それはカシオから聞いてるヨ。それよりもクート?の契約主と思われる子と、面会出来るチャンスがあるんだ!」
「本当!?」
「明日、病院内でイベントがあって、外部の人間も気軽に行けるんだヨ!その子はまだ自分で移動したり出来るから、きっと病院内で会える筈。一応兄貴に許可は貰ったんでネ」
「やるじゃん!じゃあ悠にも連絡しておくね!」
「それじゃあ明日、放課後に森川総合病院前に集合ダ!」
「分かったわ」
蓮斗が帰って行き、瑠衣とファイも自分達の家に入った。
着替えて瑠衣は携帯を片手にキッチンへ向かった。
調理に入る前に連絡を入れておかないと。そう思ったが、指が動かなかった。普通に連絡を入れればいいのに、文面を打ち込む事が出来ない。
いつしか傷つけていたのだろうか。想いが砕かれるような決定的な出来事があったのだろうか。
それとも、最初からそんな気持ちなど持って居なかったのだろうか。
叶うものならば、戻りたい。確かに想いあっていたつい最近へ。マリアナや織音が元のままの時間へ。
「戻りたいのか」
気付けばファイが背後に立っていた。
「後悔すれば、確かに戻りたいと思うものだけど、時は戻らない。前に進むしかないんだ」
「……」
「過ぎた事をきちんと受け止めろよ」
「受け、止める――」
ファイの言葉で気が付いた。
自分は現実から逃げ出す事を望んでしまっていたのだ。
逃げても何も覆りはしない。過去は、どうあがいても変えられない。
ならばそれをしっかりと受け止めて、前へと進まなければ。
動かなかった指が文を綴り出す。数分で打ち終わり、戸惑う事なく送信ボタンを押した。
モヤモヤとしていた気分がスッキリした。
「ありがとう、ファイ」
「別に礼を言われるほどの事じゃねえし」
「いつもファイには助けられてばかりだね。私は何もしてあげられなくて……」
「ちゃんと貰ってるさ」
「へ?」
コツンとファイが瑠衣の額を突いた。
「お前はただここに居ればいいの!」
「……私だって頑張るもん!」
荷物だなんて思われたくない。
自分に出来る事をしていきたい。目の前に居る、自分を支えてくれる人に。人達に。
今日の夕食はかなり豪華になりそうだと張り切る瑠衣を見てファイは思った。
本当は前に進めていないのは自分の方なのだと思う。
未だに記憶に縛られている自分が居る。
そう、あれは前々回のこの戦いが終わりそうな時だった。
既にカシオの核を掌中に入れていたファイは樹の精霊と出くわす。
炎に弱い樹のチカラなど足元にも及ばないと高をくくって戦った。
だが、彼女はチカラの強さだけが勝敗を導くのではないと言った。彼女の出すチカラの技はどれも棘があっても心の優しさを持っていた。
彼女は争うのが嫌いだとファイをそのまま仲間とした。
次々とマリアナ、クート、メリッサが付き従う事になり、全ての核が揃った。
そのままで天帝の下へと訪れた一向だったが。
「これはどういう事だ、リンゼ」
「この通り、精霊の姿形のまま核を持ち帰ったと言う事です」
「君は何も分かっていないのだね」
玉座から立ち上がった天帝は樹の精霊リンゼを睨んで言葉を続けた。
「戦い、傷つけあうからこそ願いは叶える価値があるのだ。それでは願いは叶えられぬ。今すぐ核を取り出すのだ!」
「……出来ません」
「何……だと!許さぬ!お前など、消え失せるがいい!」
「やめてくれぇぇ!」
天帝の怒りに触れた彼女は消え失せた。
それでも何処かで会えるのではないかと、戦いの度に捜し求めていた。
しかし、いい加減自分も受け止めなければならないのだろう。彼女は消滅した。何処にも居ないのだと。
彼女に付き従った日々は戦いを重ねつつも、幸せだった。世界の素晴らしさ、人間の素晴らしさ、全て教えてくれたのは彼女だった。自分の中の彼女の存在は大きい。
「ファイ?」
はっと顔を上げると瑠衣がこちらを見ていた。よほど思い詰めていた顔をしていたのだろうか。
手を振り、へらへらと笑って誤魔化す。
今は前へ。目前にある事を考えよう。
明日はクートの契約主と思われる少女と接触するのだ。彼が何か罠を仕掛けていると考えるのが妥当だろう。
瑠衣だけは、護り切って見せる。そう硬く誓う。